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パン屋日記 #8 ああいう店のコロッケは旨い

「すみません、予約をお願いしたいのですが」

お客さまのレジを打つわたしのうしろで

愛し尊敬してやまない年下の上司・坂下先生が、
お電話をかけておられます。

「手羽先を3つ、コロッケを2つ
 切り身のから揚げを100gと……
 白肉のから揚げはありますか?
 あっ、じゃあそれも100gお願いします」

出てくる言葉ののラインナップが
あまりにもパン屋に不似合いで、

わたしは震える声を必死でおさえつつ

「ありがとうございました……」と言って
お客さまを送り出しました。

「はいっ。20分後ですね、わかりました!」

もう揚げたてをほおばっているのかと
思うほどの笑顔で電話を切る、坂下先生。

今夜は、県外のご友人たちと
オンライン飲み会をなさるのだそうです。

(坂下先生)
「いやぁしかし、おおもりの揚げ物は
 おいしいですよね」

「おおもり」というのは、パン屋の向かいにある昔ながらのお肉屋さんです。

おとうさんと、おかあさんと、
お姉さんの3人で商っています。

(icca)
『今時、注文してから揚げてくれるようなところ、なかなか無いですよね』

(坂下先生)
「あのちょっと辛いくらいの、強めの塩加減がお酒に合う」

『スーパーやコンビニでは、お釣りのやり取りをコイントレーでするようになりましたけど、おおもりはどうなんでしょうね』

「いやー、おおもりは一生、ハンドtoハンドでしょう」

わたしはお姉さんの、少し湿ったやわらかい手を思い出しました。

「正直、衛生とかあまり考えてない感じの…」

『そう、なのに不思議と清潔感があって、
 嫌な感じがしない』

「ああいう店のコロッケってほんと」

『ほんと、旨いんですよねー』

おおもりのコロッケは、
中身がねっとりしています。

これ以上ないほどにプルップルの牛すじが
おいものなかにたっぷりと
混ぜ込まれているからです。

「あっ、20分たった!」と言って

カモシカのように店を飛び出していく、
坂下先生なのでした。

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