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東京日記〜銭湯の「主」とパンダ・子パンダ

今回の東京面接旅行では日暮里に宿を取った。他の地域よりも安かったからだ。

東京駅から上野方面の電車に乗り、ホテルへと向かう。そうしてたどり着いたのが、「東京日記」の初回に記したあのホテルだった。

その節は「日本の未来の縮図である」と、いささかネガティブな紹介の仕方になったが、良い面もあった。近くに温泉があったのだ。
広島の「ほの湯」のように、食事処も併設されている。

風呂は「銭湯」に分類されるものだった。内湯が一つ、季節の湯が一つ。サウナ、水風呂、半露天の岩風呂で500円。
浴槽には、わずかに色が異なる小さな青いタイルが敷き詰められている。

壁には銭湯らしく富士山が描かれており、裾野には松林が広がっている。
松林の手前には湖があり、その湖畔には何か白と黒のものが丘のように盛り上がっている。よく見えないので近づいてみる。


(えっ?)


パンダである。


富士山の湖畔で、
3匹のパンダが井戸端会議をしている。


3匹のパンダの中央にも、
また別の何かが描かれている。

さらに近づく。



子パンダである。


井戸端会議をする3匹のパンダの中央で、

さらに2、3匹の子パンダが
ころころと戯れている。
意味がわからない。

おかしな出来事には意味があるはずだ。
今日一日をよく振り返って答えを見つけた。

そうだ、ここは日暮里という場所だが、
乗った電車は「上野方面」だった。

つまりあの絵は、上野動物園のパンダだ。


風呂から上がり、
ロッカーからタオルを取り出す。
私の足元に落ちる水滴を、
「主」が見ている。

主(ぬし)とは、
どの銭湯にも必ずいる
数十年モノの常連客だ。

基本的には寡黙だが、
新入りに声をかけたり、
マナーのわからない者に指導をしたりする
銭湯の守り神である。

その主が、
私の足元にポタポタと落ちる水滴を見ている。
チラ見ではない。凝視だ。

私の真横に木製の丸イスを置き、
私の方へ真っ直ぐ身体を向けてガン見している。


銭湯には、みんな大抵、
フェイスタオルを持ち込む。

身体を洗うのに使用し、
湯船に浸けないように気をつけ

浴場から脱衣場に上がる前に、
固く絞ったそのタオルで
身体の水滴を拭き取るのが一般的なマナーだ。

私は、ここで白状するが、
浴場にタオルを持ち込まないことにしており

脱衣場に上がるときは、
すんません、すんませんと思いながら
素手で水滴を払い
こそこそとロッカーへ向かう。

日暮里の主は、それを見逃さなかったのだ。
脱衣場に緊張が走る。


私は主に凝視されながら、
髪を拭き、身体を拭き、
持ち込んだ洗顔フォームの容器を拭いた後、
足元の水滴をさっと拭き取ってから
バスタオルをしまった。

おもむろに主が立ち上がり、

連れもいないのに


「そろそろ行くかね」


と言って去る。

よかった、命拾いをした。

危うく、
ありもしない源泉に
沈められるところだった。



化粧水やクリームを持って化粧台の方に向かう。
女湯のドライヤーコーナーはいつも混む。

空いた席に座って髪を乾かしていると、
隣の人の動きがどうも気になった。
なんというか、ドライヤーの向き…狙う方向が、おかしいのだ、

後ろを乾かすふりをしてちらっと横目で見ると、
隣人は「足の指の間」を念入りに乾かしていた。

風呂上がりの、指の間の、
わずかな湿気が許せないのか。
逆に几帳面だなと思った。

指を乾かし終わった隣人は無言で立ち上がり、
扇風機の裏に立てかけたモップを手に取って
床に落ちた髪の毛をさっと集めた。

おそらくは従業員用であろうそのモップを、
慣れた手つきで元の位置に戻す。

洗面台を軽く流す人や
椅子をきちんと戻す人は見たことがあるが、
床の掃除までするお客さんは初めて見た。
この銭湯は治安がいい。



女湯を後にし、併設の食事処で
唐揚げ定食を食べた。

風呂の受付は東南アジア系の外国人で、
食事の注文はタッチパネル。
自動音声で番号を呼ばれ、
できた料理をセルフで取りにいく。

日暮里はやはり、
日本の未来の縮図であると感じた。
行く先々で、なんだか妙な不安がつきまとう町だ。

しかしながら、

「主」という古式ゆかしいシステムと
ドライヤーコーナーの治安の良さ、

富士の湖畔でころげまわる
パンダ・子パンダの銭湯壁画もまた

たしかにここに 存在するものなのである。


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