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パン屋日記 # 最終回 雨の日のタクシー

雨の日は、

身分の不相応を世界中の人に謝りながら
タクシーで出勤します。

電車も、バスも

町はまだ、
眠りから覚めていないのです。



「すみません、にこにこ町の
 どうぶつベーカリーまでお願いします」

とわたしが言うと、

「あらー、いいねえ。
 おいしいパン屋さんだねえ」

と運転手のおじちゃんが言いました。

従業員だと明かす前に

「おいしいパン屋さんだね」

と言われたのがうれしくて、

なんだか、変な顔になってしまいました。



夕方、

広島一の繁華街・流川(ながれかわ)の
お姉さんが、

「いつものパン」を買いにご来店。

お姉さんの昔なじみのジャムおじさんが、

「元気?」と声をかけに来ました。

『元気よ。そっちは』

「んー、」

ジャムおじさんは言いました。

「ちょっと、しんどい」


人に「元気?」と聞くときは、

たいてい自分が、元気じゃないときです。


流川のお姉さんはさすがの、
流川のお姉さんでした。

『しんどいよねえ。大変な仕事やもんねえ』

と言った後

『昔、何年前かな、調理家電が流行った時にさ』

お姉さんは、つぶやくように続けました。

『ホームベーカリーだけは
 買わんかったんよねえ。
 だって、パン屋さんで買うた方が
 おいしいもん』

ジャムおじさんは少し目を丸くし

お姉さんは、ひらひらと手を振って
帰っていきました。



今日も広島は、雨。

従業員だとバレないよう、
上着と巻きスカートで制服を隠し、

「すみません、
 どうぶつベーカリーまでお願いします」

と運転手さんに言いました。

運転手のおじちゃんは

『はい』とだけ言って車を走らせたのですが

7割ほど近づいたところで、
ピッとメーターを止めてしまいました。

(機械の不具合かな?)


と思っていると


『昔、会社が中央センターにあった頃
 中央センターのどうぶつベーカリーさんに、
 よう行きよったんよ。

 まだあるんか知らんけど、
 よう行きよったわ』


そう言っておじちゃんは

おそらくは従業員だとバレてしまったわたしに、

ずいぶんと安い領収を切ったのでした。



どうぶつベーカリーは
なんとなく、創業40年。

おじちゃんが昔通っていたという
中央センターのどうぶつベーカリーは、

場所的にも、年代的にも、
わたしとはもちろん関係がありません。

今日おじちゃんのメーターを止めたのは

今から10年くらい前の、
先輩社員の接客なのだと思うと

なんだかとっても、
不思議な気持ちになりました。



「ありがとうございました。
 中央センター店、まだ、やってます」



そう言ってタクシーを降り

今日はいつもより、

ちょっと多く頑張ろうと
思ったのでした。        

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