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AIを「利用」するか、AIに「依存」するか

先週の記事はいつになく反響があった。
「改めて健康診断を受けることにしました」と3名ほどが連絡を下さった、喜ばしいことだ。
去り行く人は自らの命をもって残されたものに大切なことを教えてくれる、
と知り合いの住職の説法で聞いた。それを生かしていかないといけない。

それにしても、考えれば考えるほど、
この先の未来がどのようなものになっていくのか、
先が見えるようでまったく見えてこない。
ある雑誌で「若者が自己承認欲求に走るのは、潜在的な将来への不安を打ち消そうとしているからだ」
と書いてあるのを読んだ。
若者の多くが未来を明るいものだと考えず、悲観や不安を感じているというアンケート結果は多くの調査で明らかになっている。

自分みたいな年齢であれば、
「あとは適当にやり過ごして、田舎暮らしでもするか・・・」でやれそうな気もするが、
今どきの若者、ましてやうちに来ている小さな子ども達にとっては、人生も始まったばかりだ。

少なくとも私たちが学生の時代は、
「学歴社会」とか「終身雇用」とかいうのが一般的で、とにかくそこそこの大学に進学さえすれば、大学さえ入ってしまえば、残りの人生は「安定」だという考え方をみんなしていたが、
これからの時代、安定とか、確実とかいうものは全て打ち砕かれる気がしてならない。

教師や親がもっとも心に刻まなくてはいけないこと。それは
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「先の見えない未来に、どうやって子ども達を備えさせるのか」
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この一点だ。

もっとも、この問いに正解や解答があると考えてはいけない。
私もかつては世の中の大抵の問いにはひとつの正しい答えがあるのだと考えていた、
そしてそう育てられてきた気がするが、今になって、実は世の中の大抵のことはopen questionなんだということに気づく。それぞれにそれぞれの解がある。

どういう人生を生きたいか、それもそもそも違う。我が子の適性、向き不向き、好き嫌いを考慮してやってほしい。

不吉なのは、AIと呼ばれるテクノロジーにもはや人々が振り回されている雰囲気を感じることだ。
得体の知れないもの・・・果たしてAIが活躍する世界は本当にバラ色なのか、それとも・・・。
そういう自分もその振り回されている一人かも知れない。

岐阜市が「生成AIを中学校で試験的に取り入れる」プロジェクトを始めるそうだ。そもそも何が行われるのか、何を試したいのか、あまり私も良くわからないが、気になるのは
学校教育はAIを「利用する」のか、それともAIに「依存する」のかだ。

個別最適化された学びにはAIは有効的だという。
生徒一人一人の課題をAIが判断してその段階に応じた問いを考えてくれるので、一斉指導の弱点はカバーされる。
今は何より学校も人手不足なので、先生達の業務がAIによって合理化され、働き方問題などの課題解決に資するなら素晴らしいことだとは思う一方で、
学校現場がどんどん無機質なものになってしまうのではないか、教師も生徒も、「考えること」をしなくなるのではないか、
そんなことを思うのは杞憂なのか。

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楽なことはいい。
時間がかかっていたものが短時間で出来ることは良いこと。
その分空いた時間や労力をもっと必要なことに使おうではないか。
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AIの世界は果たしてそんな素敵なことばかりなのだろうか。

私が尊敬する教育者は
「そもそも学校は失敗しにくるところだ」と生徒に話している。生徒が失敗をしない学校教育は意味がない。

AIが私たちの代わりに色んな考えを出してくれて、そのおかげで思い悩んだり、試行錯誤したり、失敗したりすることがなくなるのだとしたら・・・
それは学校教育にとって本当に良いことなのか。

AIを自分たちでコントロールしながら「利用する」価値があるのは間違いない。
しかし、それが「依存」になったら、教師は教師でなくなり、学校は学校でなくなる。

自分たちの学校で守っていきたいものは何なのか、改めて職員と膝を突き合わせて話し合う必要があると感じている。

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