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【毒親】"親が悪い"と思うのを許可して愛されることへの期待を手放したら、生きづらさが消えていった話

私の親は、毒親だ。

暴言、暴力、ヒステリー、無視、閉じ込める、追い出す、「お前は拾ってきた子だ」など、毒親のフルコースを物心ついた時から頂いていた。

親同士の激しい怒鳴り合いや無視のし合いも、臆面も無く子供の前で遂行する、生粋の毒親だ。

ちなみに親はめちゃくちゃ仲が悪いのに、私は親がセックスしている所を小学生の頃に2度、目撃したことがある。

「こんなに仲が悪いのに裸で近付いてる…この人達は一体何なんだ?何の生物?」

”もはや同じ生物とは思えない”と感じていた私は、彼らの言動の不一致に常にモヤモヤしていた。そんな人達を【親】だと思うのも辛かったので、『【親】なんか居なくなればいい』、『殺したい』と、小学生の頃から思っていた。
特に元凶である父親に居なくなって欲しかったので、死なないならせめて早く離婚して欲しかった。

そして今考えると当時のモヤモヤは怒りや悲しみだとわかるが、その頃の私は後述する事情により自分の感情を正確に捉えることが出来なかった。

虐待と聞くと肉体的な暴力をイメージされる方もまだまだ多いのですが、虐待とは肉体的な暴力だけでなく、精神的な暴力(過干渉、無視、放任、情緒的な応答をしない、ダブルバインド、親同士の悪口を聞かされるなどの精神的なケアをさせられる、親の不仲を見せられる)の方が、子供の脳を傷つける確率が高いと言われています。
詳しくはこの本で→『子供の脳を傷つける親たち』

親の行いを”悪”と認められなかった私

結論から書くと、私が親を悪いと認められなかった理由は、

『私は愛されていなかった』と、認めたくなかったから。

この結論にたどり着くまで、私の一生の3分の1以上を要した。
私は良い歳になるまで、自分が愛されなかった事実を認めたく無いがために、親を【悪者扱い】出来ずに居た。

当時、自身では気が付かなかったのだが、3年前までは”愛されたい”という期待が壊れた噴水のように溢れ出していた。なんならつい最近、これを書く1週間程前まで大洪水を起こしていた。
これまで、『母とだけは何とか関係を良好にしたい』と奔命し、母を旅行へ連れて行ったりもした。しかしその度に、私の期待は打ち砕かれ、変わらない【”母親”と言う名の生物】を実感するばかりの日々が苦痛だった。

壊れた噴水は益々壊れ、溢れた泥水が大洪水となって私の心を仄暗い水の底へと押し遣った。


身体は生きているけど、心は窒息していた。


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親を『”悪い”』と言えない弊害

親を悪いと言えない、認められない弊害は甚大で、私の人間関係は生きづらさと共にあった。

誰かが私に酷い言動をしても、私はノーが言えなかった。

露骨な意地悪をされても、「この人はこうだから…良いところもあるし…」と、無理矢理に『相手は悪者ではない』とこじ付け、自分で自分を裏切った。

『他人を悪く言うのは悪』みたいな呪いにかかっていて、酷いモラハラを受けても、相手を【悪い人】だと思えなかった。

ちなみに”無理矢理”の類語・関連語を調べると、”不誠実”や”乱暴に”と出る。私は自分自身を、”不誠実”で”乱暴”に扱っていたのだ。
言い方を変えただけで、大分腹に落ちる度合いが強くなる気がする。

相手の酷い言動を指摘してくれる勇敢な友人の言葉にも、『悪口を言わないで…』などと、事実を見たくないがために『悪口』と捉える”否認”や”抑圧”という防衛機制を働かせていた。

防衛機制(ぼうえいきせい、英: defence mechanism)とは、受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムである[1]。欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す。Wikipedia‐防衛機制

『人はその人自身がその人を扱うようにしか、他人からも扱われない』

この言葉の意味は、3年前の私には全く理解できなかった。
腹に落ちるほどに理解出来たのもごく最近だが、
ノーを言わない私は、嫉妬深い人達の格好の餌だった。

『飛んで火にいる夏の虫』
当時の私は、この言葉に相応しい人間だった。

『人から嫌われたくないからイイ子で居る』

私は自分をそう思っていた。
人から嫌われたくない、嫌われるのが怖い。
いつもニコニコして、相手の言うことを聞いていれば嫌われない。
そう思って、ノーと言わないのだと結論付けていた。

だがそれは、全く逆だった。

私が”人から嫌われたくないから良い顔をする人”なのではなく、
”良い顔をしていないと付き合えない人”を選んでいたのだ。

理由は、親との関係性と同じだから。
そこに”偽の”安心を感じていた。

人には、自尊感情が高い者は高い同士、低い者は低い同士でくっ付く性質がある。相手の不誠実さや違和感のある言動から目を背けるような自尊感情の低い私の周りには、同じく自尊感情の低い相手しか集まらなかった。
違和感は感じるのだけれど、事実を見たくない私は、溢れた泥水の底へ親への感情と共にそれを閉じ込めた。

『自分は愛されていないと認めたくないがために、親を悪く言えない』

『誰かの悪い所を認めてしまうと、親の悪い所も認めなければならない』

『親の悪い所を認めると、私は愛されていないと認めなければならない』

この気持ちが氾濫し、私の心は泥水で溢れ、感情は底へ沈んだ。

その泥水とは、底とは、自らが創り上げた【深淵】だった。

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『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』

これはよく知られた、19世紀のドイツの哲学者・フリードリヒ・ニーチェの格言だ。だがこの言葉の真の意味は、【深淵】という言葉の曖昧さにより、捉えどころがわからなかった。だが自分と向き合って、自分の本当の欲求を認めたら、気が付いたのだ。

『深淵とは、自分自身が創り出す恐怖の集合体であり、幻である』と。

本当は、深淵なんて存在しないのだ。

現実を受け取らないために、恐怖で自らを囚えて離さない。
この自らが創り出した恐怖こそが深淵であり、深淵の底にはモンスターが居るのではなく、自分の本当の欲求や感情が隠れているのだ。

自分自身を認めなくて済むように、都合よく創られたのが【深淵】なのだ。

【深淵】の底を覗いて。

『私は愛されたかったのに、愛されなかった』

この深淵の底に居たのは、幼い頃の私だった。

自分が良かれと思って親にした言動でも、親は激高し、暴言を吐き、暴力を振るい、私を家から追い出した。為す術が無かった。
親に愛されない、庇護されない事実は、
子供の頃の小さな私にとって死を意味した

そんな死の恐怖から自分自身を護るために、私は私を【恐怖で支配】した。

そうして私の欲求を閉じ込めないと、苦しくて、悲しくて、辛くて、生きてゆけなかった。

小学生の頃の私は、虐待を受けていると傍からはわからない程に明るく活発だった。しかし人の顔色を気にしての言動はその頃からあって、”トモダチ”は単なるラベルにしか過ぎず、自ら相手の下に入ってゆく関係しか作れなかった。なのでいつも、集団で居ても疎外感を感じるし、私の意見は後回しになった。

いつしか、”一人で居ることがスキ”になっていった。

本当は、友達とわいわいやりたかった。けどなぜ自分が下に入るのか、今で言うマウンティングをされるのかが全く理解できなかった私は、一人で居る気楽さに甘えた。”良い顔をしないと付き合えない人と付き合わなければいい”そんな単純な考えすら、思い浮かばなかった。

自尊心の低い人達の集まりを、”これが世界だ”と、履き違えていた。

そうしてますます、”セカイ”や”セケン”への嫌悪は高まり、人間への不信感という華がムクムクと育っていった。

その華は美しい世界を私に見せてくれるのだが、ツルは薔薇のように棘だらけで、体の中に寄生し、私を傷つけた。

華への水やりは、私が行った。
自らを傷付けている事実から目を背け、棘だらけの華を愛し、【低い自尊心】という養分を与え続けた。そうして大輪の華を咲かせた其は、私の心だけでなく、体をも傷付け始めた。

それは、下血と刺すような胃の痛みとして、昨年末に現れた。

防衛機制が自己免疫疾患等を引き起こす原因であるとする説は、精神神経免疫学として近頃注目されています。
詳しくはこの本で→『体がノーと言うとき』

その前から、顎関節症や不要な噛みしめ、不眠、首や肩、腰の痛みなどとして傷が現れていたのだが、世間でもそれらに悩む人は多く、『理由なんてわからない』と、シップを貼る等の対処療法で済ませてきた。

私はここ4年間にわたって信頼できるセラピストさんのもとでカウンセリングを受けているのだが、下血した際にその方が言った。

『晴子さんは、身体に出ますよね?』

慈愛に満ちた表情を浮かべながらも、セラピストさんは多くを語らなかった。だが4年間、私を温かく見守ってくれた人から発せられたその一言の残響が、私の心に響き続けた。

そして【体がノーと言うとき】という本を薦めてくれた。

『まさか下血が精神的な痛みからくるなんて…』私は信じられなかったが、上述の本を読んで腑に落ちた。
そこには、私が使っていたような防衛機制を使い、大病を患った患者の例がいくつも記してあった。かの有名な、レーガン元大統領や、スティーブン・ホーキング博士の事例も上げられていた。

私は心の負担から自律神経が正常に働かず、常に筋肉が過緊張を起こしていた。それが凝りとなって現れ、しまいには内臓まで痛めた。

心の棘を抜かないと、私が私を殺すんだ。

4年間、見えては隠れを繰り返していた私の本心が、ようやく日を浴びようとしていた。

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『”いい子”で居たい君へ』

私は、『愛されなかったと認めたら、悲しくて、悔しくて、惨めな気持ちになる』と、無意識で考えていた。

自分は愛されるに値しない子供だ。なんて、認めたくなかった。

認めない状態でも怖いのに、認めたら、恐怖で死ぬんじゃないか。

でも八方塞で、本心を見るしか方法は無い。けど怖い。死ぬほど怖い。

そんな中で死にそうになりながらも覗いた心の底で見つけた答えは、

『私が愛されるに値しないから愛されなかったのではなく、彼らが愛せない人だったんだ』

【相手の責任まで自分の責任と感じて自分を責めていた】私が、人生で初めて、【他人の責任を自分のものとして受け取らない決意】をした瞬間だった。

今でこそ腹落ちしていて心から理解して書けるが、防衛機制は、”使った人にメリットがあるから使う”のだ。

私の場合のメリットは『親から愛されなかった事実を認めなくて済む』。

でも親から愛されなかった、愛して欲しい形で愛されなかったからと言って、あなたが”愛されるに値しない人間”では無いのだ。

沢山愛されて良いし、沢山愛して良い。
あなたが愛して欲しいと要求すれば、ちゃんと応えてくれる人は居る。

たまたま、【あなたの親がそうでなかった】だけ。

そして、どんなにいい子で居たくても、あなたの愛に応えない人、不誠実な人からは、今すぐ逃げるのだ。脱兎のごとく。貴重品も持たなくていい。とにかく逃げる。
見返りが無いから逃げるのでは無い。あなたを愛せない人に、あなたの心や時間を使わないで欲しい。

その行動はあなた自身をあなたが大切に扱うことになり、あなたがあなたを大切に扱えば、あなたを大切に扱う人が集まる。

あなたが心から求めて、人を、あなた自身を愛すれば、【あなたが心の底から安心出来る場所】が手に入るのだ。

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最後に。

とっても大事なことを書きます。

感情は、喜怒哀楽に代表され様々ありますが、全ての感情は植物の根や枝葉のように繋がっています。そして、どれか一つを感じることを止めれば、全ての感情が希薄になってゆきます。

しかし感じられる感情が希薄になったからと言って、感情自体が消えるわけではありません。

私も長らく感情を感じることを自分で止めていたので、4年前、カウンセリングを受け始めた際に、『その時の感情は?感情ワードで表すとどんな感情ですか?』と聞かれても、『わかりません』としか答えられませんでした。
けれどその時も感情自体は存在していたので、感情を表現しない、感じない代わりに、常に何らかの不調が身体に起こっていました。

特にここ日本では、感情を感じない事を良しとする文化が根強く残っています。男性は女性よりもその影響を濃く受けている傾向があり、【人前で泣かない、弱みを見せたら負け】という思い込みが無意識に行動に反映されています。男女間のいざこざも、全ては【素直になること】で解決するのですが、【素直になる】方法が教育で示されない、お手本として見せられる親が少ないのも問題解決を妨げる要因ではあります。

ちなみに私は、感情を封じた&家庭でのコミュニケーションが”怒り”であった結果、二次感情である【怒りを出してぶつかる】のがコミュニケーションだと認識していました。なので若い頃は、すぐにキレては恋人などにぶつかって砕けていました(笑)

問題解決を妨げるとどうメリットがあるのか?誰が得するのか?それは社会を思うように操りたい人達が。ですが、この話は本題からそれるので、今回はこの辺で終わります。

※毒親とわかったからといって、極端に恨んだり、許そうとする必要はありません。
何事も極端に走らず、自分の感情、気持ちをその場その場で感じる努力をすれば、いつか別の答えに辿り着くはずです。

私は性犯罪被害にもあっているのですが、その話はこちらの動画でしています。よかったらご覧下さい。

気持ちよく誠実という意味のコミュニケーションは、毒親育ちの場合は自然に身に着けるのは難しいですが、学ぶことで誰しもが身に着けられます

辛くても、自分を正面から見つめると、同時に真のコミュニケーションも学ぶことが出来ます。

これを読んで下さった皆様の未来を、心から応援しています。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
励みになるので、いいね♡やシェアして下さったら嬉しいです。

職業という社会的な枠ではなく(越境という意味で無く、愛を持ってという意味で)人として私に愛を教えてくれたセラピストさん、私がモラハラを受け続けに行くなら「縁を切る」とまで言って止めようとしてくれた当時の友人、黙って見守ってくれる盟友に、愛を込めて。

~2022/3/11まで、日本橋のギャラリーにて絵画の展示をしています。是非会場でご覧下さい。日程や場所の詳細はこちらから。

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