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美しい日本語。美しい音楽。

私と『小沢健二』さんとの出会いは直接的ではない。
なにが直接的ではないのか。

中学2年生だった頃の私は、いつも一緒に行動していた友達が引越してしまい、とても落ち込んでいた。

ある日の部活でのこと。
先輩と同級生がなにやら軽快で楽しそうな歌を綺麗にハモらせ、リズムに合わせて手を叩き踊り出した。
稲妻のような大きな光が私にふりかかった!

『なにこの音楽!!!?』

普段大人しい私が興奮して友達に尋ねると、

「小沢健二のドアノックだよ♪」

と教えてもらった。
そう、私は人がうたう小沢健二の歌から、小沢健二を知り好きになったのだ。

なぜドアノックに心を奪われたかというと、
・軽快で早口で駆け抜ける歌詞の疾走感に対してハモリが綺麗なところ。
・歌に手拍子と振りがついて楽しそうなところ。
・私も一緒にやりたくなるところ。
だろうか。
上の動画を見ていただけたら伝わるかと思う。
(ちなみにバックはスカパラ)

今はこんなふうに簡単に知ることができる時代なのだが、当時は携帯もインターネットさえない時代。
その小沢健二を調べようにも調べる術がない。
頭の中で何度も小沢健二の名前をリピートし想像に馳せる。

そんなある日、友達がミュージックステーションに小沢健二が出ることを教えてくれた。
やっと会える!!
やっとやっと待ち望んでいた音楽が聴ける!!!!

20時、私の前に小沢健二が現れた。
渋谷の王子様と聞いてはいたが、私には本当に王子様に見えた。(後に王子から神になる)
そして歌が始まった。
友達の歌でない、本物がうたう歌が始まった。
ドキドキは最高潮だ。

『強い気持ち強い愛』

を歌っている小沢くんを見て、音楽がキラキラしているように見えた。
音は目には見えないけれど、私には見えたような…そんな気持ちだった。
うれしくてうれしくて仕方がなかった。
こんな音楽が聴きたかった。

そこからお年玉でラジカセを買い、お小遣いでアルバムを買って聴きまくった。
1人でずっと聴いていた。
小沢健二の歌があれば寂しくなかった。

初めはメロディーが楽しくて仕方なかったのだが、小沢くんは東大文学部卒業だと知ってから歌詞を読むようになり気づいた。
なんて美しい日本語なんだ!と。

『明りをつけて
   眩しがるまばたきのような
   鮮やかなフレーズを誰かが叫んでる』#天気読み 

『美しい滝の音のように 葉の擦れる音がする』#いちごが染まる

自然な例え方が、本当に美しい。

(上のYouTubeはコメント欄のわかりみが深い。)

それからほどなくして小沢くんはしばし私の前からいなくなった。
アメリカに行ってしまった。
しかし私はその間もずっと小沢くんの歌を聴いていた。

赤ん坊の娘が泣いた時に小沢くんの『痛快ウキウキ通り』をうたうと泣き止んだ。
お腹の中にいた息子は『戦場のボーイズライフ』をうたうと暴れた。

ずっとずっと私の中に小沢健二という音楽があった。

そして13年後、小沢くんは帰ってきた。
復活ライブに当選して、とうとう会える時が来た。

『流れ星ビバップ』から始まり終わったライブは、カッコよくて楽しくて楽しくて、楽しくて仕方なくて、涙なんて流す暇もなくて、最後は「ありがとう!」とでっかい声で叫んでいた。

それから小沢くんは新曲にも勢力的に取り組んでくれた。
お互い大人になり、親にもなった私たち。
大人になってからの苦しみを抱えていた私にとって『流動体について』『彗星』の歌詞が自分の中に落ちたときは、うれしくて涙がこぼれた。

ああ、この人を好きになってよかった。と。

先日3年ぶりのライブに行くことができた。
今は隣りで一緒に小沢くんを聴いてくれる人がいる。
ふと横を見ると、彼は初めての小沢健二を全身で楽しんでいた。

ライブ中、当時の曲が始まるとあの頃の1人ぼっちの自分が脳裏に浮かび、涙が溢れた。
涙をぬぐいながら優しく教えてあげた。
「今は1人じゃないよ。よかったね。」

『今遠くにいるあの人を
   時に思い出すよ笑い声と
   音楽の青春の日々を
   再生する森 満ちる月
   続いて行く街の空を横切る
   彗星のように』    #彗星

神様はいると思った
私の小沢健二への貢献  #ある光

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