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クレームの行方。

大学の講義で『苦情』についてディスカッションする場があった。
講義によると苦情解決とは、「究極の傾聴と共感」であると習った。

施設に勤めていた頃、とても利用者に一生懸命な奥様がいた。
利用者は高次脳機能障害から片麻痺があった。
奥様は早期の在宅復帰を目標に、リハビリ職員から療法を習い、毎日面会に来ては取り組まれていた。

私はなぜか高次脳機能障害の方に好かれる傾向があり、その利用者から慕われていた。

また、その利用者のお母様と私につながりがあった。
施設の前に勤めていたデイサービスで、私がお母様を介護していたのだ。お母様は認知症があり自分が誰なのかもわからない状態だったが、とても穏やかで職員みんなが大好きな利用者だった。

そんなご縁を、利用者も奥様も大変喜んでくださった。

されど、その利用者は不快な思いをしていた。
高次脳機能障害の症状にある独特な人懐っこさが私は好きなのだが、他の職員はどうしたらいいのかわからなかったようだ。

ある日、奥様の不満が大爆発した。

トイレに行きたいと言っている利用者を連れて行ってくれないとの苦情だった。
そこからもっとリハビリをしてほしい!など不満があふれてしまった。

けっきょくその利用者は退所されることになった。

退所される前に奥様にこんなことを言われた。

「よしよし。さんは、ここでいいんですか?デイの頃はあんなに素晴らしい介護をしているところだったのに…。

…悔しい。」

利用者が退所されてから1年後、街中を車で走っていると奥様が車椅子を押しているところを見かけた。
奥様は一生懸命だった。

ずっと心残りだった。
退所させてしまったこと、退所からなにも学ばせられなかったこと、ただただ一生懸命生きていた2人の思いが報われなかったこと、私1人の力ではなんにもならなかったこと。

悔しいのは私の方だ。

その悔しさを胸に、本当に困っている人を救える方法や方向を考えていきたい。

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