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ただの偶然か、それとも


一昨日、実家で飼っていた犬が死んだ。私が最期に一目会いたいと、実家に帰ってから、約3時間後の出来事だ。間に合ってよかった。


次の日の朝、母が葬儀場に電話した。生憎、ほとんどの時間が埋まっており、都合のいい時間は30分後か、私が行けない午後の時間しかなかった。

母は家族全員で見送ろうと、迷いなく30分後の枠を予約した。パジャマを脱ぎ捨て、用意もそこそこに、家族で葬儀場に向かった。

火葬が終わり、待合室に座ると、私たちのほかに1組の家族がいた。小学生ぐらいの男の子が「〇〇(犬の名前)って何歳だった?」と母親に聞いているのを見て、私たち家族はびっくりした。なぜなら、私たちの犬の名前も、同じ名前だったからだ。

しばらくして、葬儀場の人が「この方のワンちゃんも〇〇(犬の名前)で、同じミニチュアダックスなんですよ」と先ほどの家族を紹介してくれた。

互いに挨拶を交わして、話を聞いてみると、なんと名前と犬種だけでなく、年齢も性別も一緒だったことがわかった。

「こんなことがあるのか」と、心の底からびっくりした。と同時に、私の犬は一緒に空へ向かってくれる友達が欲しかったのかもしれないと思った。人懐っこくて、とにかく誰かといるのが好きな子だったから。

もしかすると、悲しむ私たちを安心させようと、似た境遇の友達と空へ昇ることを選んだのかもしれない。

そう思うと、この時間に葬儀場の予約をしたことが、とても偶然だったとは思えなかった。

犬が火葬炉に入る姿を見るとき、私はもう姿を見れない寂しさと、もっと尽くせばよかったという後悔と、孤独に焼かれる姿を想像して、ずっと泣いていた。

でも、同い年のお友達と一緒なのだとしたら、孤独ではなかったのかもしれない。

「え、僕と同じ名前なんですか」なんていいながら、楽しく空に昇ってくれていたらーー見送ったあの日から、ずっとそんなことを思っている。

改めて、私たちの家族になってくれてありがとう。長生きしてくれてありがとう。私が着くまで生きててくれてありがとう。

本当に家族思いの優しい子だった。そう思わせてくれたこれまでの思い出と、偶然のような奇跡のような葬儀の出来事は、絶対に忘れません。

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