ヨーガ探求者・瞑想者【道村友哉】
〝わたし〟は道村友哉。 ヨーガ探求者。瞑想者。百姓。一つの命。 今につながる道のコト。 ただの点が今を創りカタチが見える。 あなたの心を通して見つめて頂けたらと思います。 16年間のわたしとヨーガの旅の記録。
〝わたし〟は道村友哉。 ヨーガ探求者。瞑想者。百姓。一つの命。 今につながる道のコト。 ただの点が今を創りカタチが見える。 あなたの心を通して見つめて頂けたらと思います。 16年間のわたしとヨーガの旅の記録。の後半。 海の向こうでのコト。
〝美しい谷〟に移り住んで一年。 20人の村で始まった米創り。 これは記録。 終わりのない命を紡ぐ。そんな記録。
山に秋がやってきています。 自然と織りなす美しい時間。 このイベントはいろんなことを下ろし、静寂に浸って頂きます。 もちろん通常であれば難しいはずです。 ただ、 身体を穏やかに導き、 息を丁寧に紡ぎます。 ヨーガの本来の手順を踏んで頂きます。 どんな方でも。 きっとより良い感覚に寄り添って頂けるのではと思います。 忙しい頭の活動や重い身体。 そっと手放しにいらしてください。 山の朝とヨーガリトリート 【日時】 10月1日(日) . 8時半開場 9時〜10時半
9月に入り、 目に映る景色はどんどん変化を遂げていく。 そして、 頭に飛び込んでくる考えのようなものも変化を遂げていく。 この目まぐるしい世界は一人一人の中に在る。 ひとつひとつの変化はキラキラぐんぐん僕たちを惹きつけるものであり、 それは楽しく悲しく素晴らしい。 でも、 整理しなくては飲み込まれていく。 自分を止める必要がある。 身体のことも勿論だけれど。 そのもう一つ根っこの部分まで。 意図してできる人はとっても少ない。 だから止めてくれる環境を見つけると
息をする。 生まれてからずっと行ってきたこと。 死ぬまでずっとし続けていくこと。 正しい呼吸とは? もしそんな質問があったなら、 〝何のための呼吸なのか?〟ということが鍵になる。 ヨーガには、呼吸法という練習がある。 呼吸法が何のために行われているか知っていますか? 何のため? その後に技法があります。 目的に向かい、最適な技法を練習していく。 そこに体感が生まれます。 呼吸という体感をしてみませんか? 【Sutra yoga -呼吸-】 オンライン
久しぶりに内装。 今まであまり触らないようにしてきた母屋。 それはこの家のストーリーを残し続けていきたかったから。 完全に手を入れてしまうことも勿論魅力的なのだけれど。 今回の改装を終えると我が家は全てが円滑に動きだす。 それは、物理的にもそうだし暮らし方の仕組み的にも。 形を変えすぎないようにやさしく改装していく。 そして納得して次の形へ移行する。 この家に暮らし月日を重ねていく。 どんどん変化していく家。 自然や動物たちの動きによって劣化したり工夫した
“稲がこける” この時期、もっぱらの話題の種。 村の集まりに行くと必ずこの話になる。 きっと田舎のどの村に行っても同じだろう。 お米ができてくると稲穂は重くなる。 そして、首を垂れる。 ただ、茎が細かったり束が少なかったりなど出来によって倒れやすさは変わる。 もちろん台風が来たり、雨が多かったりなど環境の影響も大きい。 何かしらで倒れてしまい、そのあと大雨などで水につかってしまうとお米がだめになってしまうことも多々ある。 生えたまま発芽するなんてことも。 し
8月が終わる。 今年の夏は村の夏祭りがあり、グッと夏の香りを加えてくれたように思う。 この暮らしに変わりもう割と長い期間が過ぎ去って、それ以前の暮らし方を忘れたわけではないけれど少し遠くのことになった。 海外を行き来しながらの修練を続けた10数年間。 インドをはじめチベットやミャンマーに心を寄せた濃密で過酷な期間。 またあの暮らしをしたい! と思うことはないのだけれど、 こうして文字を書いていたりすると蘇る記憶に少し浸ってみたりもする。 僕が過ごした日々はもう決
8月も終盤に入った。 日中こそ太陽はまだまだ暑いのだけれど、朝晩は冷え込むようになってきた。 我が家はいわゆる〝田舎のおじいちゃん家〟だと思ってもらうといい。 平屋部分と二階建て部分があって部屋数が多い。 離れもあるのだけれどもうくっついた感じに改装している。 それに土間の農作業スペースもくっついているので母屋にみんなくっついた不思議な間取りになっている。 だから子供たちが遊びに来るとうちは楽しいと言って走り回ったりかくれんぼをしまくる。 どうやら最適らしい。
〝呼吸〟は、当たり前に共にあるモノ。 それでいて、その当たり前ゆえに知ることのないもの。 気づけば息をしていて。 その中にあるカタチに気づけない。 たとえ呼吸に集中したところで、動きの小さい行為であるためにその動きがどういう形なのかを捉えることが難しい。 ヨーガでは、呼吸とは[熟達した専門の先生に習う必要がある]というのが定説。 たとえ本や我流で呼吸を学んだとしても難しいのはこの文言からもわかる。 呼吸 練習してみませんか? はじめは自分一人ではわからない道
村の夏祭りが終わった。 いろんなことをとにかく詰め込んだパンパンの時間だった。 文字にするのが難しい。 難しいなら書かなければよいのだけれど、なんだか残しておきたくて。 みんな各々の想いや暮らしや悩みや喜びがあるのだけれど そんなことはバーンと置いて、 さぁいってみようか! それが夏の祭りさ 子どもたちの笑顔が見れて 大人たちの笑顔が見れて 幸せだったなー まぁ当日と今日の2日間、灼熱の中準備に片付けに大忙しだったけど、、 来年の祭りは~なんて今も想え
今年の夏はどこもかしこも〝異常気象〟が起きている。 僕の暮らす山奥の谷では先日の台風まで、1か月以上まともな雨が降らなかった。 「こんなこと今までなかった、、」 いたるところから聞こえてくる声。 ついさっきも北海道に住んでいる生徒の練習をオンラインでみていて、彼女の口からもこれまでになかった北海道の気候や生き物の話を聞いた。 ニュースを読むとそんな話が世界中から届いている。 そんな中、今さっき。 日課である夕方の田畑の観察に行ってきた。 久しぶりに水が入った田ん
溢れる情報。 頭の中にも外にも。 そんな情報を自分の中でしっかりと整理してみませんか? 本当に理解するには体感が必要ですが、知識がしっかりとみなさんを助けるところへ整えていくことは今の時代に必要なことのように思います。 ヨガは言葉が独り歩きをしすぎました。 それは、個人の中で曖昧な形にかわっていき、なんとなく良いモノとして行われています。 僕はヨガの形をみつめることにとても多くの時間を費やしてきました。 そして、しっかりと形が感じ取れることで起きるモチベーション
近畿を直撃した今年初の台風。 今回はとにかく進路のことだけが情報としてあり、どこまでの被害がでるのかは来てみなければ、、、という台風。 蓋を開けてみれば、僕たちの住む谷は被害が小さいように感じました。 ただ、近隣のエリアでは本当に大きな被害も出ており、台風という現象の生き物のような恐ろしさを改めて感じました。 勝手な見解ですが、僕たちの谷に吹く風が今回はいつもと違い谷間を吹き抜けるのではなく山にあたって和らいでいたように思います。 今朝、田畑や山などの確認に向かい、
今年初めて上陸した台風が今ちょうどこちらにむかっているところらしい。 田畑や山、そして古い家屋を持っている僕たちはこうした災害に関してはとても敏感。 昨日1日と今日の雨が強くなるギリギリまでいろんなところを見回り整備する。 刈った草や木々をどこにどうするのか。 田んぼに流れる水路はどうなっているのか。 家の雨樋はちゃんと機能しているのか。 農作物や果樹たちはちゃんと強風や強雨を耐えれるのか。 そしてこの山は、この大地は、この自然の猛威と折り合えるのか。 僕たちができ
子どもたちの夏休みになぜか僕も混ざってる。 毎年8月に入るといろんな子供たちがやってくる。 どの子もキラキラした目をして。 ワクワクした身体を連れて。 そして、僕は〝大人のグループ〟ではなく〝子供のグループ〟にスッと入る。 子どもたちも当たり前のように僕を仲間に入れてくれるし、2回目以降の子供たちはもう僕と“遊びに来ている”。笑 あまりに連日になってくるとさすがに疲れが出てくるのだけれど、、 不思議なもので寝て起きれば大半はリセットされる◎ 長く行ってきたヨーガの
走り穂。 今年も稲に穂がつきだした。 またこうして可愛いお米の花が見れて幸せです。 無農薬・無肥料。 さらには独自不耕起なんて方法をとっていると、最後は稲たちに向かって「がんばれー!!」って言うくらいしかできない。 気候が毎年変わりつづけるため、今年は梅雨がかなり長く、明けてからは全く雨が降らなかった。 誰にも読めない自然の栽培。 どうなることかと思った矢先、こうして穂が出始めた。 それも去年と同じタイミングで。 僕が米を作っている! なんて言うことは到底でき
8月1日になりました。 この頃はいくら山奥でもガッツリ暑い。 特に今年は。 日中は基本的にすべての活動がストップしてしまうため、思い切って山を離れてみることに。 といっても街はかなり遠いし行きたいわけでもなく、カフェやご飯を食べに行きたいわけでもない。 と最初はあてもなく涼探しのつもりが、、、 答えにたどり着く◎ その答えは、“田舎の図書館”。 田舎と言ってもキレイに直されていてとっても心地よく本は少ないけれど田舎だけあって自然の本がちゃんとある。 今日のお供