ヨーガ探求者・瞑想者【道村友哉】

叡智と共に山の奥“美しい谷”で暮らす。 米、麦、大豆、野菜と共生中。 インドにてヨーガ探究12度、チベット文化圏を廻る旅、ネパール・タイ2度・ミャンマー4度の仏教瞑想修行。 http://ieyoga.net

ヨーガ探求者・瞑想者【道村友哉】

叡智と共に山の奥“美しい谷”で暮らす。 米、麦、大豆、野菜と共生中。 インドにてヨーガ探究12度、チベット文化圏を廻る旅、ネパール・タイ2度・ミャンマー4度の仏教瞑想修行。 http://ieyoga.net

    マガジン

    • 〝わたし〟とヨーガの軌跡 《探究道編》

      〝わたし〟は道村友哉。 ヨーガ探求者。瞑想者。百姓。一つの命。 今につながる道のコト。 ただの点が今を創りカタチが見える。 あなたの心を通して見つめて頂けたらと思います。 16年間のわたしとヨーガの旅の記録。の後半。 海の向こうでのコト。

    • 山の奥〝美しい谷〟の米創り

      〝美しい谷〟に移り住んで一年。 20人の村で始まった米創り。 これは記録。 終わりのない命を紡ぐ。そんな記録。

    • 〝わたし〟とヨーガの軌跡 ~I.Eichi_YOGA~

      〝わたし〟は道村友哉。 ヨーガ探求者。瞑想者。百姓。一つの命。 今につながる道のコト。 ただの点が今を創りカタチが見える。 あなたの心を通して見つめて頂けたらと思います。 16年間のわたしとヨーガの旅の記録。

    〝わたし〟とヨーガの軌跡 《探究道編》

    〝わたし〟は道村友哉。 ヨーガ探求者。瞑想者。百姓。一つの命。 今につながる道のコト。 ただの点が今を創りカタチが見える。 あなたの心を通して見つめて頂けたらと思います。 16年間のわたしとヨーガの旅の記録。の後半。 海の向こうでのコト。

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    〝わたし〟とヨーガの軌跡 《探究道編》 3️⃣

    チベットに到着した僕を待っていたのは電車の中で見た大自然の極みとは対極の人工的な建造物たち。 そしてはっきりと主張された中国の国旗。 緊張と興奮で戸惑う僕に向かって話しかけてきた〝D〟。 Dはこのチベット人の名前を表すものだがこれから書いていくことには匿名性が必要だと感じているし念には念をが必要な世界があるのは明白だから。 Dの正体は“ガイド“だった。 チベットを自由に旅することはできない。 必ずガイドと運転手がつく。どこに行くのもこの2人と一緒でなくてはいけない

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    〝わたし〟とヨーガの軌跡 《探究道編》 2️⃣

    目を覚ますと窓の外はもう北京とは全く異なるいわゆる高地の景色でどこか靄がかかったようなグレーの世界だった。 美しいというよりは眠る前の視覚の世界との違いに少し戸惑った。 僕はチベットに向かう48時間の鉄道旅の二日目に入っていた。 寝台列車の部屋は相部屋で僕の真横のベットには中国人の大学生が1人で携帯電話を触り続けていた。彼とは何度か会話を試みたがお互いの英語力の低さにより各々の頭の中で各々の解釈で会話を完成させていた。 僕はこの長い鉄道時間を使っていくつかの本を読み終

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    〝わたし〟とヨーガの軌跡 《探求道編》 1️⃣

    「いつ戻ってくるか僕にもわからない」 本当にそう思っていたのを覚えている。 もうここにはいられない。 ただただその衝動が僕の身体を勝手に連れて行ってしまった。 この時僕はヨーガインストラクターとしてのキャリアも十分にあり、自分のスタジオを運営していた。 今思えばスタジオがある時点で僕は戻ってこなくてはいけないしそれに他にもいろんな硬い縛りが当然いくつもあった。 それでも僕の精神は自由になることを純粋に求めていた。 バックパックにヨガマットを無理やり畳んで詰めた。

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    山の奥〝美しい谷〟の米創り

    〝美しい谷〟に移り住んで一年。 20人の村で始まった米創り。 これは記録。 終わりのない命を紡ぐ。そんな記録。

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    お米の赤ちゃん

    「お米は最後の一粒まで感謝をして食べなさい。」 子供の頃こう言われて育てられてきたのは僕だけじゃないはず。 僕たちの年代はきっとまだ同じじゃないかな。 今の子供達はどうなんだろう? そして100年後はどうなんだろう? 日本ではお米を作り暮らしてきた。 もうずっと前から。 田植えは暮らしの大きなイベントで村のみんなで順番に一つの田んぼに入り全員で一斉に手で植えていた。 今は機械があるから各々が田植えをする。 速度も10倍早い。いや広いところなら100倍早い。

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    お米達の小さな家を創る

    お米マガジン第三弾🌾 前回勇ましいことを言い放ってから2週間が経っていました。 言い訳は一つだけです。 梅雨なのに雨が降らなくなった🙌 晴れるということは有難いことに忙しいんです😅 無限のように湧き出てくる自然の仕事に加えて本来の役割である〝ヨーガの伝達〟もあります💦 では、なぜ今書けているのか? 答えは簡単♪ 久しぶりの恵みの☔️✨のおかげです。 実際はもうだいぶ進んでいる〝100年前の田んぼ計画〟に追いつきたいのですが今回の写真はまだ4月の終わりのもので

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    湧き水の道

    〝お米マガジン〟を作ってからあっという間に3週間近くが経ってしまっていました。 その3週間のうちに季節は流れ、流れ、流れすぎてまさかの梅雨がきてしまっています。 目まぐるしい日々に書くものが追いつかず💦 いや!今日からお米マガジンが今に追いつけるように書こうと思います。(実はただ雨で時間ができてきただけですが、、😉) つまり今からは少しだけ前の話です。 前回のお米マガジンで載せた【100年前の田んぼ🌾】計画。 計画の最初はもちろん田んぼを創るところからなんですが皆

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    100年前の田んぼ

    ここは〝100年前の田んぼ〟 山の中にひっそりとあった田んぼ。 僕はこの《美しい谷》の昔の景色が見たい。 勿論、時は戻らないし全ては変わり続け進み続ける。 それでもこの谷に暮らすことを決めた1年前に僕には昔の景色が見えた気がした。 その景色は本当に微かなものでしかなくてそこから紡ぐことはあまりにも果てしない。 でも、ここで生きていくうちに谷のみんなが僕に昔の景色をたくさん見せてくれた。 写真なんて一枚もないけど。 それでも話してくれる言葉たちが僕にはっきりと景

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    〝わたし〟とヨーガの軌跡 ~I.Eichi_YOGA~

    〝わたし〟は道村友哉。 ヨーガ探求者。瞑想者。百姓。一つの命。 今につながる道のコト。 ただの点が今を創りカタチが見える。 あなたの心を通して見つめて頂けたらと思います。 16年間のわたしとヨーガの旅の記録。

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    〝わたし〟とヨーガの軌跡 4️⃣

    僕がもうあまり思い出すことがない期間の話。 と言っても意図的に思い出さない訳ではなくて、ある時から次の人生を生きているような感覚なのでこの時のことは大袈裟に言えば前世の記憶のような感じなのです。 あまりにたくさんの人に囲まれていた時のこと。 ヨーガの練習に人生が食べられ始めた15年前から以前にも書きましたが僕は極端な性格のせいかメキメキと変化をしていきます。スポンジに水を吸わせたようだとはこのことでどんどん練習が形になっていきます。 誰よりも硬かった身体は1年も経つと

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    〝わたし〟とヨーガの軌跡 3️⃣

    [ BE GOOD. DO GOOD. ] まるで教会のように中心で左右二つにわけられた広い空間の一番前の壁にはこう書かれていた。 僕も前のインド人達に習い左の列の後ろに座り同じように目を閉じる。そうしているうちにマントラが聞こえてくる。マントラとは日本で言うお経のようなものだと思ってもらうと理解しやすい。 今からもう14年前くらいだろうか。 インド北部の町リシケシ。よくこの町はヨーガの聖地だと言われているがインド人曰くここはヒンドゥー教の聖地だがヨーガもたくさんのア

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    〝わたし〟とヨーガの軌跡 2️⃣

    真っ白な長い髭、深い顔の皺、身に付けているのはオレンジの腰巻き一つ。 そして、極め付けは鼻緒のない石の下駄を足の親指と人差し指で上手に掴んでゆっくりと階段を上がってきた老人。 ここはインド。 とあるヨーガの修行場だが、インドでは彼らの宗教であるヒンドゥー教とリンクしているところがありこの場所はそんなところ。 まだ若くインドにも通い始めたばかりのインド初級者の僕はその“the 仙人”ルックスの老人先生にグッと引き込まれていた。 彼は老人だが僕の目には子供のようにも見え

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    〝わたし〟とヨーガの軌跡 1️⃣

    急なことですが、自分のことを書き残しておこうと思います。 今から遡ること16年間分のとても長い長い記録。 まず先に書いておきたいのが、僕の頭は整理されていないうえに曖昧な記憶を手繰り寄せるので途中話が時空を超えてどこかに消え去るかもしれません。 笑ってツッコミながらお付き合い頂けたらと思います。 僕の名前は、道村友哉(みちむらともや)。 職業なんて謎のカテゴライズは今はさておき確かなことはこの名前くらいです。 16年前の呼び名は”みっちー”。 今はこの小さな山奥

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