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ドイツ歴史家論争(+永井陽之助)

ドイツの歴史学者エルンスト・ノルテは、ナチによる犯罪の特殊性・唯一性を否定する人物だった。

彼の主張を発端に、1986年から翌年にかけて「ドイツ歴史家論争」が展開された。

ノルテは、ナチの虐殺には前例があり、それはソ連のボリシェヴィキによる虐殺だとする。

彼は言う、

一つの殺人、大量殺戮の一事例は、他にも殺人の事例があるからといって「正当化」されるわけではない。だからといって、もっぱらただひとつの殺戮、大量殺戮の一事例にだけ眼を向け、因果関係がありそうなのにその事例を知ろうとしない態度は、根本的に誤りである。

『過ぎ去ろうとしない過去』人文書院、p.48

さらに、論敵の哲学者ハーバーマスに対しては、

[…]彼はまずはもっと勉強してほしいし、自分のあらかじめ決まっている判断が脅かされていると思ったときでも、耳を傾けるようになって欲しいものである。

同前、p.181


私がノルテの存在を知ったのは、ギ・ソルマン『二十世紀を動かした思想家たち』(新潮選書)という対談集を読んだときだ。

彼の主張が批判を集めるのは当然と思ったが、その冷めた見方はニヒルな雰囲気を漂わせており印象に残った。

個々の論証には難が多いようで、前出の『過ぎ去ろうとしない過去』所収のユルゲン・コッカによる批判は説得力がある。

また、この本には、1986年に予定されていたが行われなかったノルテの講演の原稿「過ぎ去ろうとしない過去」が載っている。

中止された理由は、本書を拾い読みした限りでは分からなかったが、たまたま相馬保夫・東京外国語大学名誉教授の文章を読んだところ推察できた。

相馬氏はベルリン自由大学への留学を振り返り、ノルテ教授のリレー講義が、学生らの非難とヤジにより実施できなかったと語っている。

これはヒトラー政権掌握50周年のことらしいので、1983年の出来事と思われる。

歴史家論争の開始前から非難轟々だったようだ。


ノルテの相対主義的なナチズム観は暴論なのか、それとも正論なのか?

少なくとも誰もが納得するような中立的な意見ではなく、イデオロギーとしては保守に属する歴史観である。

その証拠に、保守派と言われる政治学者の永井陽之助も、レーニンとヒトラーを比較した文章で次のように述べている。

[…]「革命の参謀本部」としてのボルシェヴィキ党の組織と戦略をつくったレーニズムこそ、二十世紀を野蛮の時代にかえた根源である。

『歴史と戦略』中公文庫、p.132

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