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えみりあ/emilia
2024年6月30日 02:42
空が白み始めている。瑠璃は小さなビルの群れと、その向こうに顔を覗かせるタワー、そして雲が埋め尽くす空をリビングから眺めていた。考え事をしているうちに、眠れなくなってしまった。(掃除のおじさんの話も、01号室ばかりリフォームするのも、結局そういうことだったんだな)901号室、801号室、601号室と、瑠璃たちの住む部屋の上下階で今年の同じ時期にリフォームが入ったのも、年末の投身自殺が原因だと
2024年6月29日 01:32
3日経って、ようやく発熱がおさまったものの、咳がまだ続いている。何かしゃべろうと息を吸うたびに、むせるような激しい咳が込み上げる。真や真珠にうつすことのないように、瑠璃は家の中でもマスクをし、寝起きする部屋を真と真珠とは分けていたが、しゃべろうとすると咳が止まらなくなる症状が出てからは、瑠璃から真に話をしたい時はスマホのメモ帳アプリやメッセージアプリを使って筆談をしている。しゃべりさえしなけ
2024年6月28日 01:57
山手の家を正午頃にあとにして、瑠璃は駅に向かう途中で見つけた1ピースピザを数種類買い込んで帰宅した。掃除のおじさんに言われた通りに管理会社に連絡を入れると、受付の女性から「わざわざ、ご連絡くださり、誠にありがとうございます」と、丁重にお礼を伝えられた。「ここだけの話、中には勝手に住み始める方や、勝手に部屋を又貸ししてしまう方もいらっしゃいますので……」受付の女性はそれ以上何も言わなかったが、
2024年6月27日 01:31
脳のMRI画像の診断の結果、義人にも幸代と同じように初期の認知症の診断が出た。義人は「なんで私が」と、納得がいかないらしかった。クリニックの医師から勧められて、2人揃って要介護の認定調査を受けることになったが、調査は1ヶ月待ちだという。義人と幸代の住む家に一旦は戻った信子も、市営住宅の申し込みを済ませたと優子経由で知らせがあった。とにかく小川家のみんなが、この春にそれぞれの落ち着くべき場所
2024年6月26日 00:54
真が手配した鍵屋さんが到着する頃にはすっかり日が暮れていた。「今日はシリンダー交換と、ドアガードの設置。それから、ドアロックについてご相談とお聞きしています」鍵屋さんは挨拶もそこそこに、台車に積んだ大きな工具ボックスを開け、頭にライトのついたバンドを巻いた。(これでやっと、知らない間に誰かが家に上がっている恐怖から解放される)瑠璃は安堵すると同時に、誰ともわからない相手に対して勝利をおさめ
2024年6月25日 01:31
比較的、冬でも温暖なこの街に、2日連続で雪が降った。近所の店のあちこちが、臨時休業したり、営業時間を短縮したりしていた。『雪』と、ひと口に言っても、この街に降る雪は瑠璃が生まれ育った北国の雪とは違い、粒が大きくて、手のひらに乗せれば、あっという間に溶けてしまう。もう1つ、雪にまつわる違いがあるとすれば、北国では時に厄介者扱いされる雪が、ところ変わって温暖なこの街では珍しいものとして扱われると
2024年6月23日 23:53
衝撃の元旦から1週間経った。瑠璃と真、そして真珠の3人は厚手のコートを着て、山手の家にいた。義人が手配したエアコンの設置業者がそろそろ来る頃で、マンションのエントランスに到着したら真のスマホに連絡が入る約束になっている。真は冷たい床にあぐらをかいて、さっきからずっと、スマホで調べ物をしているようだった。(早く来ないかなぁ)じっとしていると足元から体の熱を奪われそうだった。瑠璃は真珠を抱っ
2024年6月22日 23:42
「私があの家に? とんでもない」元旦にかろうじて営業していた、客足の少ないファミレスで、信子は赤い口紅の跡をつけたグラスを片手に大きな声を上げた。「そりゃ、あの家に帰りたいかと言われたら帰りたいわよ。でも、何ヶ月も前からマコちゃんたちが住むって言ってるし、私が義人と幸代さんがお金を出してリフォームしたあの家に戻るなんて言ったら、幸代さんに何を言われるか……もう、恐ろしいわ」信子は眉間に深いシ
2024年6月21日 23:34
おせちにはあまり手をつけられなかった。そんな気分じゃなかった。頭の中が混乱の余韻でぼんやりしていた。普段は美味しいものに目がない真も、箸を置く時間がやけに長い。義人は何に怒っているのか、ピリピリとした雰囲気を隠しもせずに漂わせて、無言を貫いていた。幸代は義人とは対照的に、はしゃいでいた。お重の中を覗いて、「あら、エビがあるわね。食べちゃおう」と、1尾食べ、たった今エビを食べたばかりだと
2024年6月20日 23:59
山手の家に誰かが入った形跡を見つけてから、瑠璃たちは掃除や家具の配置を考えるために2週間に1回のペースで山手の家に出入りするようになった。水道管の掃除の件を、義人は一切知らないという。それでも真は「鍵を交換するのは引っ越しの直前で良い」の一点張りだった。瑠璃は仕方なく『水道管掃除のご案内』の用紙を折りたたんで、玄関扉の1番下の蝶番の下に目立たないように挟んだ。誰かが扉を開ければ挟んだ用紙が落
2024年6月19日 23:26
雲が空を埋め尽くしている。街全体が、どことなく影がさしているように見えた。この2週間で急に涼しくなった。「涼しくなった」というよりも、「寒くなった」という方が合っているかもしれない。瑠璃は数ヶ月ぶりに厚手のパーカーを引っ張り出して、袖を通した。真珠には、真が「せっかくもらったんだから」と、夏に信子からもらったパーカーを着せた。黒を基調に、惑星とロケットの細かい絵柄が散りばめられていて、肌
2024年6月18日 23:55
マンションの入り口で待っていた優子と合流して、リバーロードを少し下ったところにあるカフェに入った。このカフェはランチ目当ての客でいつも長い行列ができるが、ランチタイムが終わる頃には行列も消えて比較的入りやすくなる。ランチのオーダーストップ直前に店に滑り込んだからか、すぐに4人掛けのテーブル席に案内された。イスの1つをよけてベビーカーを置くと、その隣に真が窮屈そうに座った。「私がそこに座ろう
2024年6月18日 00:11
夜になるときらびやかな繁華街も、土曜の昼間となると、人通りはあっても静かだった。真が「行ってみたい」と、予約を入れた和食の店でランチを食べ、山手の家に向かって緩やかな坂を上る。最寄り駅から山手の家に向かうには、それなりに急な坂を上らなくてはならないが、夜に賑わうエリアから家を目指すとなると、長く緩やかな坂を上ることになる。明日から10月になる。街を歩く人を見ていると、薄手の羽織ものを着ている
2024年6月16日 23:58
「姉さん、急にどうした?」義人の呼びかけに無言のままの信子は、表情ひとつ変えずに足元に落ちたフォークを拾い上げ、空になったケーキの皿の上に乗せた。真は信子を凝視したまま、そろりと移動して瑠璃の隣に立った。瑠璃が真を見上げると、目が合った。真は声を出さずに、「わからない」と、ゆっくり口を動かした。瑠璃も首を傾げて返事をしていると、「あなた達は食べないの?」と、幸代が振り返った。「今、お茶