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山手の家【第28話】

おせちにはあまり手をつけられなかった。
そんな気分じゃなかった。
頭の中が混乱の余韻でぼんやりしていた。
普段は美味しいものに目がない真も、箸を置く時間がやけに長い。
義人は何に怒っているのか、ピリピリとした雰囲気を隠しもせずに漂わせて、無言を貫いていた。
幸代は義人とは対照的に、はしゃいでいた。
お重の中を覗いて、「あら、エビがあるわね。食べちゃおう」と、1尾食べ、たった今エビを食べたばかりだというのに、「あら、エビがあるわね。食べちゃおう」と、再びお重のエビに箸を伸ばし、それを4回繰り返したところでエビがなくなって、ようやく幸代の箸がエビ以外に向いた。
(そういえば、お雑煮って……)
いつもなら、おせちと一緒に食べるはずの丸餅に白味噌のお雑煮が出てこない。
キッチンに確認に行こうと椅子を引くと、真が「今日はもう帰ろうか」と、弱々しく耳打ちしてきた。
逆光のせいなのか、真の顔色はいつもより悪く見えた。



「せっかく来たのに」
名残惜しそうな幸代と、無言のまま手を振る義人に見送られて、到着して1時間足らずで義人の家を後にした。
真が真珠を抱き、瑠璃は真珠のお世話グッズが入ったバッグを持った。おせちは、お重ごと義人と幸代に託した。
こんな、静かで寂しい元旦は初めてだった。無言のまま、来客用駐車場に停めた車の前に立つ。
行きは瑠璃が運転したので、帰りは真が運転する約束だったが、「瑠璃さん、運転してもらえる? 僕、運転する自信がない」と、力無くつぶやいた。
瑠璃はバッグの中から鍵を出し、ロックを解除した。
運転させてもらえるのは瑠璃にとって救いだった。
ハンドルを握れば自然と運転に集中して、考え事から自由になれる。
もしも助手席に座ってしまったら、見慣れた景色など目に入らず、考え事の渦に引き込まれそうだった。
駐車場を出発してすぐ、信号につかまる。
「しんどかったなぁ……」
真はぐったりと助手席に身を預けていた。
「お雑煮、出てこなかったね」
目の前の横断歩道を、おじいちゃんと孫と思しき2人が手をつないで渡っていく。
「そう言われれば、餅すら、もらってないな」
毎年、大晦日についた餅を元旦に幸代がお雑煮として振る舞い、余った餅をもらって帰るのが習慣になっていた。
「お義父さんとお義母さん、大丈夫かな」
「そうだ、あの話。信子さんに訊いてみようか」
目の前の信号が青に変わった。
アクセルを踏む。T字路を越えたところでウィンカーを右に出して右折専用レーンに入る。
右折待ちの車が数台、そろそろと動き出していた。アクセルを緩めながら最後尾の車に近づく。
電話の呼び出し音がかすかに漏れた。
「……真です。あけましておめでとうございます」
真がスマホを耳から離し、画面をタップした。
「あぁ、マコちゃん。あけましておめでとう」
信子の声が車内に響いた。
「あけましておめでとうございます」
ハンドルを右に切る。
「ルリさんも、おめでとう。真珠ちゃんは? 元気? おめでとう」
「瑠璃さんの運転で、僕ら、父さんの家から帰るところです」
「こちらにはねぇ……」
信子がスマホの通話口を手で覆ったのか、ガサガサと音がした。
左にウィンカーを出して、空に向かって伸びる道を進む。
目の前をモノレールがゆっくりと通過していく。
「もしもしぃ? 兄貴? あけまして、おめでとうさん」
「優子? お前、仕事じゃないのかよ」
優子は「ふふふ」と、はぐらかした。
「優ちゃん、あけましておめでとう」
「瑠璃ちゃん、あけおめー。真珠も、あけおめ」
左に流れるカーブを越えて、アクセルを踏み込む。マフラーの低くうなる音がかすかに聞こえる。
「あなたのお父さんから聞いたかもしれないけど、揉めちゃって」
「急に行くあてがないって言うから、来てもらったの」
右手に現れた白い斜線が細くなっていく。斜線の向こうを走る2車線と合流して3車線になると、正面に赤い橋桁と山が待ち構えていた。
元旦のまだ少し早い時間帯だからか、車の量はいつもより少ない。
「お2人は何か食べたの?」
「これからどこか探して食べに行こうか? って、信子さんと話してたところ」
「じゃあ、僕らそっちに行くから、一緒に食べようよ」
真の声が弾んだ。
家に帰るならこのタイミングで右の車線に入るのだが、優子の家に向かうとなると、このまま左の車線をまっすぐ進んだ方が到着が早い。
「どこが開いてるかわからないけど、探してみるよ」
「じゃあ、近くに着いたら連絡ちょうだい」
「オッケー」
「マコちゃん、ありがとう。楽しみに、待ってるわね」
信子は最後に「ルリさん、安全運転でね」と、付け足した。
さっきまで「しんどい」と言って顔色の悪かった真は、元気を取り戻したようだ。
赤い橋桁の1つめを通過する。
「さーて、おせち食えなかった分、食べるぞ」
通話を終えた真は、スマホを片手に伸びをした。


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