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いまだに変わってると言われるとドキッとする『集中力はいらない』

やあ、僕だよ。

誰にでも持ちきれる物事の数は決まっていて、それをキャパシティとかって呼ぶよね。

その物事を一つ一つ見ていくと、「送るべきメールが3通以上溜まった時の心のざわつきを処理するタイミング」とか、「飼っているインコが肩に10分以上いつづける度に耳を噛むのをどうにかする」とか、現実の行動や思想はとても細かいものの集合体で、処理のために「仕事」だの「プライベート」だのでラベリングするには無理がある。
(しかもインコが肩にとまるのは大抵デスクチェアに座っている時だ。)

ラベリングはつまり、「やらねばならない」の優先順位を決めるためのものなんだけれど、無理があるものに余計な労力を使うのは体力のない僕にとって非効率そのもの。

それで、優先順位をまるで無視して「今やれることからやってしまう」ようにしたらめっちゃ楽になったし、「やらねばならない」から概ね逃げなくてもいいようになった。

今回の本はそんな分散型思考の人が救われる一冊だったよ。
そして、「理解」と「ラベリング」についての話もしていくね。

さあ、始めようか。
今日も楽しんでくれると嬉しいよ。

本作あらすじと感想

森博嗣氏の小説を読んだことがない。
何故かというと、僕の中で森氏が「高学歴イケメン」で新進気鋭の人気現代小説家というイメージになっており、嫉妬の対象になっていたからに他ならない。
(僕は巨乳とイケメンに並々ならぬ嫉妬心を抱く性質がある。)

もしも小説が面白かったら困るので、避けていた。でもタイトルが絶妙にライトで全部面白そうなんだよね。

そんな、ちょっと気になる存在の森氏がこの、『集中力はいらない』の著者である。
これは、こんなのは、読むしかないではないか!
タイトルからすでに内容は予想できたし、結論として新しい発見はなかった。

それでも読んでよかったと思うのは、僕がまさに集中できない人間だからである。
…まあ、名前に「飽き性」なんて入れるやつに集中力を求める人はいないだろうけれど。

だから僕にとってこの本は「あるある」エピソードの本なのである。

じっとしていられない。次から次へとやりたいことを思いつき、新しい方へ気が向いてしまう。目の前に差し出されたものに興味を抱けるのは数分のことで、たちまち厭きてしまう。もうこれは良いから、別のことをしたい。はい、よくわかった、納得した、だいたい理解した、だからほかのことをやらせてほしい、といつも思うのだった。 そんな注意を受けるのは、僕だけではなかったかもしれない。

今でこそ「飽き性」であることをネタにできるが、「飽き性」が周りからどんどん消えていった学生の頃は本気で悩んでいた。
両親や祖母からも「全部中途半端でもったいない」などと言われていた。

 そんなせっかちな僕の場合、多くの失敗は、ものごとをじっくり進められず、つい慌ててさきを急いでしまうため、不充分な結果になることだった。これは、子供の頃から散々指摘されてきた。「もう少し落ち着いてじっくりと取り組みなさい」と何度言われたかわからない。たとえば、接着剤が硬化するのを待っていられない。塗装も完全に乾くまえに手を出してしまうし、すぐ次のことをしたくなって失敗をする。急ぐから作業が不充分になり、どうしても雑な仕上がりになってしまう。

「落ち着け」というのも生涯切っても切れない性質なんだよね。
これは社会人になってからもそうで、無能有能に関わらず、僕を使う上司たちが口を揃えて言う評価だったから確かだ。

「物事を主観で見る」人たちを「考えてるとは言えない」とする意見には同意しかねる(そもそも物事が人間の手元に来たら、いかなるものも主観からは逃れられないと思うからね)けれど、それ以外はだいたい「あるある」だった。

そして、超進学校から名古屋大学で工学研究者になった経歴をみるに、「せっかち」でもちゃんと学校に馴染めたのが羨ましい。
母の「一生懸命やりなさい」に対して、父の「八割程度でいい」という森氏のご両親のバランスもとてもよい。

とはいえ、この本を出してる時点で森氏は60歳オーバー。
冷静に自分の性質を生かす方法論はいささか鼻につくきらいがあるけれど、それもこれも絶対どこかでつまづきながら編み出したものなのだ。

森氏は悩むなんて時間の無駄だとばっさり切り捨てていたが、集中できない人に対してひどい態度を取る人もいる。
とはいえ、悩める人は集中できる人でもあるのだ。多分僕だって集中できないからこそ、「悩んでる」とヘラヘラ軽口をたたけるのである。

「集中できないのも案外悪くない」と思える一冊。
中途半端でも、やったものがなくなることはないと至極当然な原則を思い出させてくれるので、落ち着きのない君におすすめだよ。

理解のためにラベリングをしたのに、いつの間にか一番理解から遠くなる現象

これは「偏見」「バイアス」「思い込み」なんていう言葉でも言い換えられる。
そもそも理解とは何かと考えた時、「誤解なく二者間の状態を把握する」ことだと僕は思ってる。

でもこれってどだい無理だと思わない? 
前述したけれど、何かを理解するために五感や思考を使って状態情報を受け取った瞬間、それを通すのが「主観」である限り、歪みは生まれる。

実際、僕は目が悪くてよくリンスとシャンプーを取り違える。
厳密に言えば、理解しようとした瞬間からこの取り違えは常に起きている。ゆえに理解なんておこがましいし、「分かってる」やつに限って分かっていない、、、、、、、のは「分かってる」やつがラベリングすると、ほとんどの場合、以降そのラベルを更新しないからじゃないかな。更新しなければ取り違えはそのまま、あるいは大きくなる。
世の中には、リンスやシャンプーのような不変のものの方が少ないのだから。

理解と思考停止は最も遠い存在

にもかかわらず、人間が「偏見」「バイアス」「思い込み」を手放さないのは、理解より余計なエネルギーを使わずに物事を処理、つまり一応、「把握する」形を装えるからだと思う。

膨大な物事を一つ一つ理解するより、自分に関わらないものはラベリングして考えないようにすれば、本当に大事なことを理解する(考える)リソースを確保できる。
この思考停止は生存戦略のようにも見えるし、人間という生き物は何かを理解しようとすればするほど、何も理解できないのかもしれない。

何が言いたかったかというと、物事の理解をしようとしてラベリングをするのは、人間の脳が楽をするための思考停止であること、そしてそもそも物事の理解は「主観」を通している時点で取り違えが起きているからほぼ無理だ。
加えて、取り違えを無視する「分かってる」やつのラベルはあまり信用ならないし、更新もされないので理解からは遠いって話である。

「お前は変わってる」の幅の広さ

僕に貼られたラベリングで最も多かったのは「お前は変わってる」だ。
貴重で麗しい繊細な乙女時代、この「変わってる」にとんでもなく振り回されてきた。

幼稚園の時に「飽き性ちゃんって変わってる」と同級生から言われた。この時の「変わってる」は好意的かつ幼児期の発達で重要な自分と他者を分ける意味(らしい。育児本で読んだ)での批評だ。
僕は情緒が未発達ぎみだったので何も感じなかった。今ならちょっと嬉しくなる「変わってる」である。

小学校にあがると、ことごとく「変わってる」と先生たちが口にした。
担任の先生だけじゃなく、他の先生も言うし、それを真似して僕の両親も「変わってる」と言い出した。
初潮を迎えた小学5年生の頃には、その「変わってる」に否定的な意味が多分にあると気づいた。
中学校もそう。高校はどうだったかな、否定的な「変わってる」を聴きたくなくて耳を塞いでいたかもしれない。

落ち着きがない、集中できない、何もかも中途半端、女の子らしくない、忘れものが多い、だらしがない、目立ちたがり屋なのに特定の友だちがいない、雑、授業中別の本を読んでいる、いじめに対する異様なこだわり、異性に混じる、性知識に躊躇がない云々。
否定的な「変わってる」に普通の僕は戸惑った。大人から向けられる嫌悪感に慣れてなかった。

本当は元々「変わってる」の中にあったのだ、否定的な意味が。僕が気づかなかっただけ。それに気づいた時、すごく、すごーく傷ついた。
ありがたいことに、僕の周りの子どもが言う否定的な「変わってる」にそれほどの攻撃性はなかったように思う。
子どもは残酷だけれど、幼稚なのだ。彼らの嫌悪感には隙がある。それは僕の救いだった。

褒めながら完膚なきまでに否定する大人に比べれば、いくらか「理解」しやすかったからだ。

そして僕は否定的な「変わってる」を使っている人に対してラベリングをする

してみよう。
うーん、なんだろう。

話下手な人、とかかな。
「表面上の成績は優秀だけれど、問題行動と見られがちな態度のせいで周囲から浮く一歩手前で、先生の手間的にも馴染むよう努力をしてほしい反面、独特な視点とバイタリティは失ってほしくない」みたいな話をしてくれれば僕だって傷つかずに済んだ(多分)。

でもそんな風に他人について考えるのってすごく大変だし、デリケートだし、賢い人であればあるほど断言することにためらうはずなのだ。
それで「変わってる」と表現するのである。

もういっそわからないって言ってくれた方がマシじゃないか、と思ったところで一人だけ「この人については理解できないですね、ははは」と笑い飛ばした先生がいたことを思い出した。
当時の僕は物事の好き嫌いがはっきりしすぎているこの先生があまり得意でなかったが、下手に「分かってる」風を装わない点で誠実な人だったんだと気づいた。

20年越しの「理解」だ、こういうこともあるもんだなぁ。



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