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人間男児という縁のない生き物『ベストキッド』

やあ、僕だよ。
ところで僕の家の子どもは父方も母方も女の子ばかりなんだ。だから僕と同世代以下の親戚は全員女性。

「皆死んだら苗字がなくなるなぁ」なんて話していたのだけれど、ひょんなことから僕ら夫婦が苗字を受け継いでしまった(夫の苗字と僕の苗字、どちらがマシかと言えば僕の苗字の方がマシだったに過ぎない)から僕の子どもが死ぬまでは苗字はなくならないことが確定した。

それで父が事あるごとに「子どもの性別は男がいい」と言い出し、少々複雑な気持ちになったものだ。
何せ父は育児に全く参加しないどころか、家庭の運営全般を母に任せ、挙句の果てには面倒ごとばかり持ち込んだ男だったせいだ。

もちろん時代が育児参加を許さなかったのもあるし、デキ婚だったおかげで心中が整わなかったのも想像はつく。
が、それを考慮した上でも面倒ごとをわざわざ、、、、持ち込んだ父が性別に関して希望を述べるなんていうのは、大抵の事柄に関してゆるゆるな僕でも複雑な気分にくらいなるさ。

おっと、少々前置きが長くなってしまったね。
すかっとしたい僕が選んだ映画と共に、今日は「子どもの性別確定したよ」の話をしよう。

本作あらすじと感想

諸事情により、息子が活躍する作品を探していて行き当たった。
主演の子役ジェイデン・スミスは言わずと知れたウィル・スミスの息子。そしてこの話ではカンフーの達人ジャッキーチェンに弟子入りして、愛を持って育ててもらう「ドレ」という役柄だ。

厳密に言うと息子でなく弟子じゃないかという感じだが、まあ僕の疑問は息子というより「男児」(ここでの男児は日本男児でなく、小学生男児の意味である)の生態を知るきっかけが欲しかっただけなのでよしとする。

若い頃のジャッキーもいいが、渋いジャッキーもいいと思わせてくれるのがこの映画だ。
公開当時すでに56歳のジャッキーだが、いぶし銀のアクションはまさにレジェンド。アクションだけでなく演者としてのスキルも垣間見える為、俳優ジャッキーの真骨頂が楽しめる。

というのもこの映画以前のジャッキーは若手アクション俳優に押され(当たり前だ)、くすぶりつつあったようだが『ベストキッド』で再ブレークを果たしたらしい。

この映画で印象的な修行と言えば、ジャケットをひたすらコートハンガーにかけ続ける修行だろう。
初めて修行をする時に「ドレ」が「自分の強み」をプレゼンするのだが、その際勢い余って壺を壊し、「これってアンティーク?」と聞くシーンがあってあれこそが「男児」だなぁと僕は感じた。

物語の中盤にジャッキーもとい「ハン」さんに連れられ、カンフーの聖地へ向かう。これがまた神秘的で厨二病心をそそる舞台となっている。
これを観たくて無意識に『ベストキッド』を選んだんじゃないかと思うくらい、大好きなところだ(しかも竜の泉!ワクワクが止まらないではないか)。

ちなみに『ベストキッド』は下の映画のリメイク版である。

達人ミヤギの大ファンが世界中にいるのも頷ける名作であるのでぜひこっちも観てみるといいよ(ただ中身は全然違うから気を付けて)。

「あ、男の子ですよ」の衝撃

今日も今日とてふうふう言いながら妊婦検診に行ってきた。
尿検査に手こずっていた僕は過去のもの。5分ほどで手早く済ませ、続けて体重や血圧を計測し、待合室でゆうゆうと読書を楽しむ。

人が多いにもかかわらず、早めに呼ばれたのは僕の時間の読みが上手かったおかげだ。
ふふん、僕だって学習する。もう病院嫌いも克服したんじゃないかな。

そしていつも通り経腹エコーをしつつ、軽く先生と談笑する。
今回のトピックスは「糖尿病について」。興味深い話でずっと聞いていたかったが、僕のコミュ症に気を遣った先生が切り上げたのが残念だった(愛想よく出来たらよかったのに)。

「はい、これで終わりです」
「ああ、どうも。それで、性別は娘確定でいいんですかね?」
「そうか、まだ見てませんでしたか。もう一回見ますね」
「はあ」
「あ、男の子ですよ」
「え!」

まるで男の子が嫌であるかのように驚いてしまった僕を見て、先生は「もしかして女の子が良かったですかね」と少々しょんぼりしていた。
僕は「いや、男の子でも女の子でもどちらでもよくて、でも名前を決めたいからその、中性的な名前でもいいかなと」としどろもどろになりながら、返答にもなっていない言い訳めいたことを言ってしまった。

あーあ、またやってしまった。
人間慣れた頃にミスをやらかしがちである。僕はまた改めて一つ学びを得た。

性別はどっちでもいいんだよ、本当だよ

以前の妊婦検診で性別に関して言及があった時、僕はもしや複雑な気持ちになるんじゃないかとびびり散らかしていたわけだけれど、全然普通にそんなことはなくて結構感動したと書いた。

あれからわずか21日。
あんな偉そうなことを書いておきながら、いざ男の子だと確定すると僕が「どれだけ女の子として腹の子に接してきたか」が分かった。
つまり、僕はほんの、ほーんの少しだけ、複雑な気持ちになっていたのだ。

性別がどうでもいいというスタンスは、僕自身に対しても子どもにも変わらないはずだ。
ではこの複雑な気持ちはなんだ。
あれか。父が余計なことを繰り返し言うから、アラサーらしからぬ反骨心でちょっと複雑な気持ちになってるんだろうか。
だとしたら僕の思春期はいつになったら終わるんだ。その方が複雑だよ僕は。

確かに、父への反骨心がないと言ったら噓になる。
実のところ、僕はそれなりに父に対してリスペクトをしていて、探求心や好奇心は彼から学んだところが大きい。
でもだからこそ、彼の家庭に対する態度が道理に則っていなくて納得が行かない。それでちょっと痛い目を見たらいいのに、と思っているところはある。

あんな態度を通してきたのに家庭に関する事柄で彼の思い通りになるなんてズルい、と思っているのだ。
まあ、これは些細な意地悪心。取るに足らないものである。

もっと根深いところに複雑な気持ちの原因があるんじゃないか?

夫と複雑な気持ちを共有する

原因が掴めないまま、病院近くのスーパーで買い物すべく夫と待ち合わせした。
それで夫に男の子だったことを告げた。LINEですでに伝えていたが、改めて自分の口で言った。

夫は「何だよ、完全に娘の感じで妄想してたわ!」とのことだった。
そう、そうなのだ。僕も娘の感じで妄想してたんだよ。

結局、最初に感じた「どれだけ女の子として腹の子に接してきたか」の話だった。
女の子として過ごした21日間の延長線がなくなるという衝撃である。
頭では「もしかしたら男の子かも」と考えるようにしていたけれど、でもやっぱり小学生の女の子を見かけると「あれくらいの女の子って何に夢中になってるのかな」とか思ってしまっていたのだ。

性別のバイアスはその後の生活を具体的に妄想する判断材料としてはうってつけで、それこそ早く会いたいという気持ちが「女の子」の生活をより想像させた。

「ペアルックしようと思ってたんだよなぁ」
「お前絶対母親とペアルックしないじゃん」
「しないなぁ、あり得んよな」
「一緒にゲーム出来るな、男なら」
「全然興味ない可能性あるで」
「いや、男でゲーム嫌いなやついないわ」

夫は夫で自分の性別に対してバイアスかかりまくりで、客観的に見ようとしても自分のことはなかなか見れぬ人間の性を見た。性別だけにね。

そして夫と話している内に「男の子ええやん」と思えてきた。
そもそも腹の子について妄想した21日間がなくなるわけでも何でもないのである。それに昨今の世間の流れが続けば、今流行りのジェンダーレス男子になる可能性も十分ある。

母にババアと言ってぶん殴られる思春期娘もいれば、母とペアルックすることに抵抗を感じない小学生息子もいる。
つまるところ僕がやることは変わらない。彼女もとい彼に、好きな色を選ばせてやるのみである。



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