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最後に残ったものを大事にする『レンゲ荘』

やあ、僕だよ。
あまりに冷え込んだものだからパソコンのあるキッチンにいることも出来ず、湯船の中でこうして文章を書いている。

いつもの僕ならこういう時はつぶやきで済ませてしまうのだけれど、昨日「真面目に生きる」って書いてしまった手前、時間が押しても記事をあげたかったみたいだね。
まあ、今日くらいは殊勝に生きてみようじゃないか。

殊勝、しゅしょう、シュショウ。
そのように書いたはいいものの、殊勝に生きるってどういうことなんだろうね。

しゅ‐しょう【殊勝】
[形動][文][ナリ]
1 とりわけすぐれているさま。格別。
「相談したれど別に―なる分別も出でず」〈露伴・五重塔〉
2 心がけや行動などが感心なさま。けなげであるさま。「親に心配をかけまいとする―な気持ち」「いやに―なことを言う」
3 神々しいさま。心打たれるさま。
「いつもよりも一しほ今日は―には覚えぬか」〈虎明狂・釣針〉

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%AE%8A%E5%8B%9D/

ははあ、なるほど。
殊勝に生きるっていうのはずいぶんハードルが高いものなのだな。一朝一夕に出来るものでもないみたい。

今回読んだこの本も、「殊勝に生きよう」としている主人公の話なんだ。
彼女が作中で捨てたものから「大事にする」ことについて僕なりに書いていくね。

さあ、今日も始めようか。君が楽しんでくれると嬉しいな。

本書あらすじと感想

『れんげ荘』群ようこ
バブル世代の「キョウコ」は23年勤めた広告代理店をすっぱり辞め、「森茉莉になりたくて」都内の激安アパート(築50年かも)れんげ荘に引っ越してくる。
折り合いの悪い「母」との関係を始め、れんげ荘の面々、兄家族や同世代の友達など、時間の有り余る「キョウコ」には考えることがたくさんある。悩み、愚痴りながら、ささやかな幸せを堪能する大人の女性の日々を垣間見れる長編小説。

この間観た映画の原作が群ようこ氏だったので、今まで映画化されてなさそうな『れんげ荘』を選んだ(僕はよっぽどのことがない限り、映画も原作もどちらもみることはない)。

一年住んでもほとんど物が増えない部屋でお隣の「クマガイさん」とお茶したり、姪の「レイナ」と和菓子を食べたりする様子はまさに理想の女一人暮らしだ。
元々、華やかな生活をしていた「キョウコ」。引っ越しを機にほとんどの衣類を手放したが、彼女の言動の端々に「お洒落」に対するこだわりが垣間見える。

僕はこういう女性に弱い。「キョウコ」さん、きっと目の前にいたらすごく魅力的な女性なのだろう。
それこそ、彼女が図書館通いを始めたばかりの頃に「老人男性」がナンパしてくるほどには魅力的なのだ。

いいなあ、僕は気を抜いていると背景になってしまうからなあ。
ただ図書館にいるだけでぱっと華やぐ人というのは男女問わず、現実にも存在する。
でもそんな人たちも「人」である限り、悩みはつきなくて、それがまた愛おしい。

最近の僕は激しい感情がたくさん押し寄せて(それが例えポジティブなものだとしても)、とても疲れていたのですごくちょうどよい本だった。
自分の心をフラットに、凪の状態へ持って行きたい君にもぴったりの本だと思うよ。

文句と怒りが収まらない人と被害者意識が抜けない人

僕の独断と偏見で大変恐縮だが、この人らは根が同じ種類の人間なのではと踏んでいる。

片や攻撃的、片や防御的なので、まるで真逆のように感じるのだけれど、結局どちらも「自分以外が悪い」という考えに固執している点で同じなのだ。
「キョウコ」の母も僕の母も(あるいは父も)。

こういった人たちを非難する意図は僕にない(その権利もない)。
が、本当の意味で仲良くはなれないだろうなと悲しくはなる。
そして僕自身がこの類の感情にのまれそうになると、自己嫌悪でじんましんが出る

罪を憎んで人を憎まず、というけれど、僕はこの「自分以外が悪い」と言い切ってしまう傲慢さを憎んでいるのだと思うのだ。

どうしても捨てられないものを大事にすることの尊さよ

「キョウコ」は仕事を捨て、家を捨て、母を捨て(きれてないけれど以前の状態に比べればずいぶん離れていて)、物を捨て、物欲を捨て、やることを捨て、トイレとシャワーが共用のワンルームに住んでいる。

彼女は「クマガイさん」に洋服を貰った時や友だちの「マユちゃん」が遊びに来る時、少女のようにうきうきする描写がある。
要らないものを遠ざけた先にある、彼女の本質、本当に「捨てられないもの」がそこに見えた気がした。

図らずも、現在の僕はその状態にある。
が、結局仕事は探しているし、ベビー用品を増やす予定であるし、辞めた趣味以上に新しい趣味が増えた。
僕が捨てられたのは自分に関する物欲と1年以上使っていなかった持ち物、家事に対する忌避の感情くらいだ(これでもたくさん捨てたと思ったのだけれど)。

捨てると同じ分だけの新しいものが入ってくるのはいいが、それまで持っていたものを要不要も判断せず、蔑ろにしてしまいがちなのである。
怠惰で面倒がりで飽き性な僕だからこそ、意識して選択し続けたい。それが「大事にする」ってことだと僕は思う。

傲慢さを捨てられない人を尊重したい(仲良くなれるかは別として)

「自分以外が悪い」という傲慢さを憎む気持ちを僕が「大事にする」のと同じくらい、その傲慢さを捨てられない人たちにとっても「自分以外が悪い」という考えが「大事にする」ものなのであれば尊重しようと思う。

それこそ「自分以外が悪い」という考え方を極端に遠ざけていると自尊心を大きく傷つけるかもしれないし(最近流行りの自己肯定感ってやつだ)、何より自分を守る気持ちに率直であることは決して悪でないからだ。

とはいえ、その気持ちに固執して自分の責任を他者に押し付けるような行為を繰り返すのであれば、それは忌むべきものになってしまうのだけれど。

「大事にする」ものがなるべく同じだと、一緒にいるのが本当に楽になる。
今までも僕の周りの人たちは比較的善人が多かったように思うが、僕自身が関係構築が下手すぎて困らせるばかりだった。最近はこの原則に気づいたのでほんの少しだけ、良い感じに過ごせている。

だから「大事にする」ものが違う人たちとの関係構築も工夫できないかな、なんて思い始めた。
この工夫を見つけられれば、両親の攻略はもちろん、生まれてきた娘とまったくウマが合わなかった際にも応用でき、仕事や私生活でも役に立つ夢の技術となる。

今のところ「ほどほどに距離を取る」くらいしか思いつかない(実際、一番上手くいっている工夫だ)。
とりあえず「退屈」に身を任せてしばらく考えてみようかな。



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