記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【ネタバレあり】『新テニスの王子様』ジャンプスクエア最新号感想【勝つのはどっち!?】

「新テニスの王子様」の最新号を読んだので感想です。ネタバレありなので未読の人はご注意ください。

結果は金太郎・大曲ペアの惜敗に終わりましたが、この結末には正直読めていましたし、何より金太郎の将来のためにもここで勝つのは無しでしょってことで。
流石に日本が2連勝してしまったら不二に「7人のリョーマ」発言をさせてスペインチームの脅威を煽った意味がないですし、何より金太郎が最後まで天衣無縫依存で才能ばっかり突っ走らせていたので危うい流れではありました。
許斐先生が「あと3試合」とXにて呟いていましたのでS1まできっちりやるという流れは確定していると思いますが、やはりこの流れから行くと準決勝のドイツ戦とは違ってシングルス3本で勝つという流れなのだと思います。
ドイツ戦はどちらかといえば「チームワーク」が重視されていて、D2、D1、S1で勝ったのですが、スペイン戦はその逆で「個人の強さ」が重視されているからこそS3、S2、S1で勝つ流れではないでしょうか。

少なくともドイツ戦のS1で平等院親方が徳川とリョーマに日本を託した時点でS2とS1に関しては既定路線だと思うので、よほどのことがない限りリョーマと徳川が負けるということは考えにくいです。
以前から何度も述べていますが、まずS2に関しては割と物語初期から越前兄弟の物語にはきちんと仕込んでいましたし、その前段階として劇場版「リョーマ!」もありましたので、許斐先生としては間違いなくS2が大本命でしょう。
何よりずっと真剣勝負を楽しめずにいたリョーマの陰であるリョーガをどうやって物語の中に収めるのか?能力剥奪という幸村の五感剥奪にも並ぶチート能力をどうやって描くのか?など現段階だと謎だらけなので。
徳川に関してはここまで一度も公式戦で勝っていないのできっちり「義で世界を獲る」ことを証明して報われて欲しいし、同時にメダノレが2人いるなどもリョーガと並ぶ謎なので気になるところです。

その上でこのD2を振り返りますが、一番良かったのはセダ君がきちんと成長・改心して最終的に金太郎とお友達になれたことです、これが何よりも一番良かったところではないでしょうか。
いやあどこぞの悪魔化で乾先輩をボコボコにして何の罪悪感も抱いていないであろう立海の二年生エースにセダ君の爪の垢を煎じて飲んで欲しいくらいに、スペインっていいチームだと思いました。
最初はロミフェルから託された心理学の本などを悪用して集団催眠をやっていたセダが最後はその本をきちんとロミフェルに返却し、自分の足で立ってテニスをすることを誓ったというのが大きな変化です。
特に「やられたらやり返せは暴力やない!テニスでや!」という金太郎の言葉と裏表の一切ない純粋なプレイスタイルがセダの心を大きく揺さぶったと見ています。

セダが最終的にマルスを活かすプレイを選択し、無理やりとはいえど最後の一球でダブルスの真骨頂の1つである同調(シンクロ)に至ったというのが大変良かったです。
それに真っ先に気づいたのが誰よりもダブルスの無限の可能性を追求して極めて見せた大石副部長というのも美味しいところで、「新テニ」ですっかり形骸化していた要素をここで拾い直したのが素晴らしい。
旧作に比べると新テニのダブルスって本当の意味での「ダブルス」ではなく「変則シングルス」になっていてそれが個人的に好きではなかったので、ここでちゃんと「ダブルス」の意味を再定義してみせました
それこそが今の金太郎が成長していく上で最も欠けていたものであり、また同時に金太郎の伸び代が惜敗という形で示されることによってこれまでとは違う流れになっています。

そして今回のハイライトである金太郎の悔し涙とあそこで流れた歌詞……もうね、許斐先生がいかに金太郎をきちんと愛とリスペクトをもって「もう一人の主人公」として描いてきたかという話です。
終わった後に静かに悔し涙を流すというのがね、「スラムダンク」の海南に惜敗を喫して一人静かに涙を流す桜木花道を彷彿させる感じで、金太郎もまた一つテニス選手として間違いなく成長したと思います。
何が違うかって金太郎が「負け」ときっちり向き合い、その痛みを受け止めていることであり、これって実は今まで描かれてこなかった金太郎の新しい側面だったのではないでしょうか。
今までずっと「勝ったモン勝ちや!」で「勝ち」にばかり意識が向いていて「負け」というものの重さ・苦さ・悔しさというものと真に向き合ってはこなかったといえます。

思い返してみてください、旧作の全国準決勝で金太郎は自分の出番が回ってこなかったことに駄々を捏ねて、リョーマとの一球勝負をやっていましたよね。
あの時白石が言った「金ちゃん、うちらの負けや」と諭した言葉の裏にあるもの、「四天宝寺は決勝戦に進むことができない」ということの意味を金太郎はまだわかってなかったのです。
白石が不二との初対決で言っていた「どんなに良いプレイをしようと3勝せなチームは負けや。だからどんなにつまらなくても、基本に忠実なプレイをし続ける」と呟いた意味もそこにあります。
「勝ったモン勝ちや」というスローガンの裏に込められた勝利への飽くなき情熱とその裏にある敗北の痛み・苦しみを金太郎は旧作でも新テニでも今ひとつわかっていなかったのではないでしょうか。

思えば幸村に負けた時も鬼先輩に2度負けて負け組に送られた時も、金太郎って負けたのに悔しさとか痛みとか、そんなのをまるで感じていなかったようにも思えます。
正確にいえば「負けて悔しい」という思いはあったのでしょうが、それをきちんと「腹の中に落とす」というか「負けるってこんなに悔しいんだ」ということを痛感するには至っていなかったのでしょう。
逆にいえば金太郎は負けと向き合うことから「逃げてきた」ともいえ、そこの「負ける悔しさ」を誤魔化さずに自分の中で向き合わなければその先にある「勝利の喜び」もまたわからないといえます。
だからこそ今回、ラストに流したあの無言の悔し涙を見てきちんと金太郎も順当に成長していること、ここで初めて「負け」の重みを知ったことで更なる高みへ成長することが可能になったのです。

決勝戦前の決定戦で白石が言っていた「今の金ちゃんでは越前クンに勝てんやろ」と大曲先輩に頼んでダブルスを頼ませた意味、そして幸村が試合後に「このままでは負ける」と言っていた意味もここでしっかり回収されています。
同じ1年生エースで潜在能力・才能だけでいえばリョーマより上の筈の金太郎が何故リョーマに勝てないのか?あの時幸村が言っていた「このままでは負ける」と言った意味は?というのがこのラストシーンに詰まっているのです。
リョーマと金太郎の最大の違いはもちろんテニス選手として踏んできた場数・経験値ですが、それ以上に物を言うのは「敗北の無念さと勝利の喜び」をどれだけきちんと体の中に刻み込めたかということだと思います。
跡部様は旧作で十分にそれを味わい尽くして散々辛酸を嘗めてきたからこそそれを痛いほどにわかっていますが、金太郎はその意味では経験値が浅いことも含めてテニス選手としては未完の大器なのです。

また、これは冬野さんも指摘していましたが、新テニに入ってからの金太郎はずっと馬鹿の一つ覚えみたいに天衣無縫を使っていて、しかも心強さの輝きという一種の天衣無縫の極み2まで覚醒していました。
それを最後まで持続できるバケモノのような体力があってこそできることですが、一方でその天衣無縫ゴリ押しで勝ってしまうというのは一つのプレイスタイルに依存してしまう危険性も孕んでいます。
金太郎はいかに自分が才能に恵まれていながらそれをいたずらに消耗しているのか?ということに無自覚であり、それは決してシングルスで負けても勝っても気づくことはなかったのでしょう。
そこに気づくためには自分の才能だけでは勝てないダブルスへ転向させる必要性があったわけですし、単純なリョーマとの差別化だけではなく「才能の限界」に気付かせるということがこの試合の眼目だと思われます。

実際今回の試合では才能だけでいえば日本チームが圧倒していたのに、最終的にスペインに負けたのは金太郎の才能ではないダブルスならではの「協調性」と「自分のテニスにいかに向き合うか?」の差となって現れました。
ダブルスって単純にテニスが上手い人たちが組んで強いのではなく、シングルスだと己の才能を活かしきれない者たちが手を組むことによって相乗効果で高め合っていくことの心地良さにあります。
私が黄金ペアや海堂乾ペア、鳳宍戸ペア、丸井ジャッカルペアを好きなのもそこにあって、例えば手塚と不二が組むよりも大石と菊丸が組んで勝つような者であって欲しいと思うのです。
自分だけが頑張れば良いというのではなく相方も含めてしっかり連携して勝たなければ、相方の才能を引き出すプレイをやって高め合わなければダブルスの意味はありません。

そしてそれこそがおそらく白石が金太郎をD2へと差し向けた意味でもあり、旧作だと気付かなかった白石部長の気遣い・優しさといった部分にようやく金太郎は今回の負けで少し実感できたと思います。
四天宝寺から受け取ったものがラケットだけではなく、何よりも「勝ったモン勝ちや」の精神をより本物へ昇華していくために、更なる高みを目指すために必要なものが何であったのか?
手塚・跡部・幸村が後輩たちに大切なものを託していったように、白石もまた間接的ではありますが金太郎にちゃんと大事なものを継承することができたといえます。
だからこそ、この敗北は金太郎の伸び代の現れでもあって、金太郎がこの先ちゃんと勝てるようになるには単にテニスが上手いだけではダメなんだと、もっとその先にある高みなんだと実感しなければなりません。

「何が負けなんだろう?」というさり気ない歌詞とリョーマと金太郎の無言のタッチが本当にね、旧作から含めての金太郎の物語がここで1つの完結を迎え、またここから始まるのだと思うとグッときます。
そしてセダくんという初めてリョーマ以外にできた友達もまた彼の成長を促してくれることには間違いなく、だから負けといえば負けですが、読後感としてはスッキリとしていて遺恨はありません。
不二も金太郎も、そして亜久津も圧倒的な才能を持つ「天才」と呼ばれる人たちがいかに「才能だけでは超えられない壁」を知り「本当の意味での勝ち負け」を知ってこの先を目指すかが成長の鍵ですね。

そして次回は休載を挟んで大本命であろう宿命の兄弟対決のS2、楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?