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作家の意図を忖度しろ?人間性を疑う?だったら自分で完璧なまでの批評を作ってみてはどうか?

つい先程、もう更新停止したブログのある記事に久々にコメントが書き込まれていたのだが、それが久々に支離滅裂かつ面白すぎたし、また以前書いた「シン・エヴァ」に面白いコメントが来たので晒し上げましょう。
まずブログの方にわざわざコメントしていただいた方は「ドラゴンボール」の考察に関して、「これは考察ではなく単なる痛い5chの捏造だ。作家である鳥山明のインタビューの受け答えを尊重しろ」と私に是正を求めてきた。
んで、以前上げた「シン・エヴァ」の記事だが、それにもとある方が「人間性を疑う。よくここまで人のことを悪くいえるものだ」とコメントしていたので、それについては「お前がいうな」というのを幾分丁寧に返している。
何が言いたいかというと、作品の評価とは別の私に対する人格攻撃を行う奴は悔しかったら、俺を完全に論証で説き伏せて鼻を明かしてみせろということだ。

まあ今後もおそらくこういう手合は後を経たないと思うが、上記でリンクを貼り付けている記事と合わせて改めて今回は作品の感想・批評における「感情論」についての話をしよう。
何度か名前を出しているが、これまで私に変な当てこすりをしてきた人たちがいずれも私に対して行ってきたのは客観的事実に基づく正当かつ建設的な批判・反駁ではなく「ストローマン論法」である。
「人格を疑う」だの「そんなことを言うお前の考え方・神経がおかしい」だの、とにかく何かしら理由をつけて私に罪悪感を植え付けさせ、論点のすり替えを行った上で私が間違っているかのように仕向けてくる。
それは詰まる所「俺(私)の好きな作家・作品が貶されるなんて我慢ならない!」という擁護が行き過ぎたが故の盲目的暴走か、単純に「生意気なヒュウガが気に食わねえ」という「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」だ。

私が書いた「シン・エヴァ」の記事に「人間性を疑う」といってきたある女性の方は私が過剰なまでに庵野監督を批判していることが我慢ならなかったのであろう。
現に氏の記事をいくつか拝見したが、この方は典型的なエヴァオタクであり、とにかく人生の青春を「エヴァ」に捧げてきたと言わんばかりのファン・信者であるから私とは根本的に相容れない立場だ。
もちろん相容れないからといって私はその人のことを悪く言いたいのではない、自分が好きならば自信を持って「エヴァが好きだ!」とだけ言えばいいだけのことである。
それを私にクソミソに貶されたことで、まるで作品を好きな人たちの感性までも批判されたかのように錯覚したのであろう、私自身もかつて通ってきた道だから気持ちはわからなくもない。

念の為に改めて釈明しておくと、私自身は作家としての庵野監督は嫌いだが、彼が残した作品の全てが嫌いというわけではない、『愛國戦隊大日本』『トップをねらえ!』は高く評価しているし好きだ。
しかるに彼女は私が「シン・エヴァ」に対して批判的=庵野監督を全否定している、という勘違いをしてしまい、それを拗らせて私に対する稚拙な人格攻撃に終始するしかないのであろう。
また、上記の私の書いた記事に「これは考察ではなく単なる痛い5chの捏造だ。作家である鳥山明のインタビューの受け答えを尊重しろ」とコメントしてきた方も同様である。
これに関しても私が書いている考察が作家の意図とは異なる的外れな考察だから辞めて作家の意図を忖度しろという、誤った「作家主義」なるものを拗らせたが故の攻撃の仕方だ。

だが、これも結局は「作品のファン・信者は作家の意図を汲み取って忖度しなければならない」という盲目的擁護が過度に暴走したが故の結果としてこのような言い分になるのである。
これに関しては以前もこちらの記事で書いたが、あくまでも私は「作家」と「作品」は別物であると考えているタイプであり、どんな作家でも全ての作品がいいわけではない。
たとえば鳥山明に関しても私は基本的に原作漫画の『ドラゴンボール』のうち高く評価しているのはナメック星編までであり、人造人間編〜魔人ブウ編は高く評価していないのだ。
しかし、だからと言って最新の『ドラゴンボール超』に対して否定的かというとそうでもなく、たとえば『ブロリー』『スーパーヒーロー』は個人的に好みだし名作だとも思う。

どんな作品であれ、それが世に発表された時点で既に作家の手を離れた「生き物」であるからして、あくまでも作家の意図とは関係なく実際に見て面白いかつまらないか、どう感じるかしかない。
それをやや理屈っぽく多少なり大袈裟に述べただけでそこまで批判される筋合いはないし、私に対して意見の是正を求めるくらいならもっと自身の批評を洗練させることを考えてはどうか?
それこそ私が懇意にしている北野武や小津安二郎が作った作品でもつまらないものはあるし、逆に例えば嫌いなノーラン監督が作った「インセプション」は非常に面白い名作だと思っている。
スーパー戦隊に関しても同様に、例えば上原正三がメインを担当した作品でも「ゴレンジャー」「デンジマン」は高く評価しているが、それ以外の作品はそこまで高く評価していない。

曽田博久に関しても同じで、例えば「チェンジマン」「ライブマン」を筆頭にその評価はバラバラであり、どんな作家が手掛けようがいい作品も悪い作品も当然に存在する。
ましてや本当に優れた名作になると、例えば作家の意図していない部分が思いがけず私の感性を揺さぶる瞬間があって、そういう豊かな細部をどれだけ論じられるかも大事だ。
だからあくまでも「作家と作品は別」だし、視聴する際には「〇〇が作ったものだから」という事前情報は一切捨て去り、中立的な姿勢で「作品そのもの」を見るようにしている。
むしろ、何かに囚われているのはそんな私が言ったことに惑わされて眩惑してしまっている作品の盲目的擁護派とでもいうべき方々の方なのではないか?

そしてそういう輩はこちらが「なぜそう思ったか?」を問い質していくと、理論的に私を説き伏せる技術や手札がないものだから「間違っているのはお前だ」だの「人それぞれ」だのとしかいえないのだ。
それにもう1ついっておくと、こういうことを言ってくる人たちは私が性善説で生きている心の綺麗な聖人君子やお釈迦様のような存在だと思っているのかもしれないが、私は決して人格者ではない
好き嫌いは激しいしつまらないものはつまらないと切り捨てるし、「ああしろこうしろ」と他者からどうこう言われて直ぐに「はい」と従ってしまうようなヤワな心など小学2年の段階でとうに捨てている
たかがSNSの見ず知らずの赤の他人程度が私に対してほざきやがる正論ぶってるだけの思考停止同然のゴミみたいな意見なぞに聞く耳も感性も私は最初から持ち合わせていない。

もちろんそれが自分が心から「この人の言い分は正しい、納得できる」と思う人のアドバイスなら別であり、それは確かなものであるから「そうだな」と思って自分の中に取り入れることもあるだろう。
だが、そうでもない奴の罵詈雑言など所詮はただのノイズ、そんなに私に批判されるのが嫌なんだったら私に是正を求めるのではなく、ご自身で独自の批評を一から作って見せやがれってんだ。
他人を落とすのに使うエネルギーと時間を全て自分の批評や価値観を向上させていくことに使う方がよっぽど健全なオタクライフを満喫できるのではないか?

私は今後もこのスタイルを自重するつもりは一切ない、私に好きな作品貶されて悔しいなら独自の批評を作るか完膚なき論証によって私を説き伏せてみせろ!

それが出来てこそ真のファン・信者ってもんだろうが!お前らの覚悟はそんなものか!

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