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クリスマスのチョコレートケーキ

まだ子供が小さい頃、
私は公園デビューに失敗して、

あちこちの公園をハシゴしていました。

結婚して引っ越してきてからは、

知り合いもいないところで、
子供と二人だけであちこちの公園をフラフラしていました。

そのときに出会ったのがYちゃんでした。

Yちゃんはブランド物のスーツを着て、公園のベンチに座っていました。

私はなぜか彼女の隣に座って話しかけていました。

偶然にも、

彼女の子供の生年月日がうちの子と同じだったこと、

そして、私と同じマンションの違う階に住んでいることを知ってから親しくなりました。

Yちゃんは、地元では有名な地主さんの息子さんと結婚していました。

ご主人もとても有名な会社に勤めていました。



美人で頭の良いYちゃん、

イケメンで優しいご主人、可愛い子供。

まるで、憧れの典型の家庭でした。


Yちゃんはなんでもできました。

1日1200円で生活したら節約できることを教えてくれたのもYちゃんでした。
(子供が小さいうちに限りですが)

きゅうりを買ったらぬか漬けにして、
オニオングラタンを作ったら軽食1食分になることや、

イチゴが安いときに一緒に買いに行って、いっぱいジャムを作ることも教えてくれました。

お茶の時間だから一緒に遊ばない?と、いつも私を誘ってくれました。

大袈裟なティーセットがあったわけではなく、

お煎餅を上等なお皿に盛り付けて、ほうじ茶のときもありました。


Yちゃんは結婚する前は美容室で働いていましたから、うちの子の髪の毛も良く切って貰いました。


なんでもできる美人なYちゃんに、

私は憧れと尊敬の気持ちで接していました。


Yちゃんが引っ越して行ったのは、
出会ってから1年目のときでした。



ご主人の実家に家を建てたから、
そこに引っ越すけど近いからまた会えるよ、と言って。


確かにちょくちょく公園で待ち合わせをしては、
子供を連れて遊びに行っていました。



だけど、だんだんYちゃんの様子がおかしくなっていきました。

「私、生命保険に入ったんだ」と、唐突に話すこともありました。



Yちゃんちはお金持ちだから、

生命保険に入ったのかな?と一抹の不安を持ちながらも、彼女に深くそれを聞くこともありませんでした。

暫くしたらYちゃんが子供をお義母さんに預けて働くと言い出しました。


Yちゃんち、お金持ちじゃん、
子供はまだ2歳になったばっかりじゃん、

どうして?と聞いたけど、

Yちゃんの気持ちは変わりませんでした。


Yちゃんが勤める美容室は少し遠かったけど、
私は自分の髪をカットして貰うときは、
Yちゃんがいるお店に通うようになりました。

綺麗なYちゃんの白くて細い指で、
髪の毛を洗って貰うときだけが、
唯一私が安心していられる時間でした。

私の家は当時から夫と不仲でしたので、
夫が帰ってくるのが怖い日々を過ごしていました。

それをYちゃんに話したことはありませんでしたが、彼女は知っていたと思います。

1ヶ月に一度は必ず、夫が私を殴る蹴るの大騒ぎをしていたので、

階は違うとは言え、時には警察沙汰になっていた家のことを知らないわけがありません。

当時から離婚は考えていましたが、
子供が小さ過ぎてできませんでした。

Yちゃんもそれを知っていながら、
敢えて私に聞くこともありませんでした。



あるクリスマスの日、


Yちゃんが手作りのチョコレートケーキを丸のままプレゼントしてくれたことがありました。

Yちゃんの家の分は?と尋ねても、

うちはケーキを食べないからと言って、

「ひゅうがさん、チョコレート好きって言ってたから良かったら食べてくれる?」とお皿のまま置いて行きました。


家でもケーキは作っていましたが、

Yちゃんのチョコレートケーキが素晴らしく美味しかったので、

後日お皿とお礼を持って行ったときに、
レシピを教えて欲しいとお願いしたこともありました。


私はまだ若かったのだと思います。


彼女の苦悩は、


全て、あのクリスマスの日のチョコレートケーキが意味していたことを気がつくことができませんでした。


ある夏の日、Yちゃんの美容室で髪の毛を切って貰ったあとに、

Yちゃんが袋を私に渡してきました。

「もうすぐ◯◯ちゃんのお誕生日でしょ。
うちの子とお揃いで作ったんだけど着てくれると嬉しいな」

見るとハンドメイドとは思えない程しっかりとしたスーツが入っていました。


「待ってよ、Yちゃん
私、お裁縫苦手だからお返しできないよ」と言ったのですが、

Yちゃんは「いいから、いいから」と、
自転車で帰る私を手を振りながら笑って見送ってくれました。


それが、


Yちゃんを見た最後の姿でした。


Yちゃんが亡くなったと知ったのは、

彼女が亡くなってから1週間後でした。

ずっと電話を描けていましたが、
全く繋がらない状態が続いていました。

電話に出たのは、Yちゃんではなく、

Yちゃんのご主人のお義母さんでした。


急いで子供と一緒にYちゃんの家に行くと、

彼女はもう荼毘に伏されたあとで、

私はあまりのことに声も出ませんでした。

ご遺影に手を合わせて帰ろうとしたら、

目を真っ赤にしたご主人が、
呆けたように椅子に座ったまま挨拶してきました。

その瞬間、全てが繋がったようにわかったのです。

クリスマスのケーキを家に持ってきたこと。
彼女をここまで追い詰めたのはこの人だと。


美容室の方が後日、私に話してくれたのは、

あの日、

うちの子に服をプレゼントしてくれた日に、
「やっと渡せた」と言って喜んでいたこと。

私がカットしに来る日をずっと待っていたこと。


ご主人が浮気をして、Yちゃんが流産してしまったこと。

子供をお義母さんに取られてしまい、Yちゃんには居場所がなかったこと。

ひゅうがさんと同じマンションに住んでいた頃が一番楽しかったこと。

なにかにつけて、私と一緒に◯◯してきた、と嬉しそうに話していたこと・・・


私は


自分の家が一番不幸だと思っていたばかりに、

Yちゃんの苦しみや悲しみを気がつけなかったことを激しく後悔しました。


Yちゃんは本当は、ご主人の心が他の女性に移ってしまったことが悲しかったんだと思います。

遺書もなく、彼女は何も言わないで亡くなっていきました。

想いが伝わらないままの死は悲しいだけです。


今くらいの次期になると、

私は毎年Yちゃんがチョコレートケーキを持ってきてくれたことを思い出します。

Yちゃんらしい几帳面な字で書かれたレシピのチョコレートケーキを、

今年も作ります。



あなたが居なくなってしまってからは、

クリスマスケーキはずっとチョコレートケーキです。


大好きだったYちゃん。

もうちょっとしたら、そっちに行くけど、

歳をとってしまった私を笑わないでね。


あなたはきっと綺麗なままなんだろうな・・・


もう少しだけ待っていてね。

まだやらなきゃいけないことがあるから。


そのときは、いっぱい話をしようよ。

私も離婚したんだよ。

笑っちゃうでしょ。

あのとき、


私達は


同じことで悩んでいたのに、


お互いに話せずにいたんだね・・・


今なら話せることも、


これから起きることも、

全部、全部話そうね。


お煎餅にほうじ茶を淹れてね。



親愛なるやよいちゃんへ。


愛を込めて。





写真は「パブリックドメインQ様」「フリー素材サイトたりぽす様」からお借りいたしました。
ありがとうございました。