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【実話怪談】雨降る校舎

高校1年生の夏休み前。

退学していったクラスメイト、セトさんの話をします。
私は中学校から高校に上がる時に、引っ越しをしました。
高校受験は、「電車で通えて、制服が可愛くて、自分である程度カリキュラム選べる自由なところが良いなぁ……。」くらいの気持ちで、少し特殊な公立高校を選びました。
無事に合格して、やれやれと一息ついてから気が付いたのは、(あれ?もしかして通学めちゃくちゃ大変かもしれない。)ということです。
自転車を全力で漕いで、片道40分はかかります。もちろん電車でも通えましたが、1時間に一本しか走らない電車を待つのも嫌で、結局自転車通学を選びました。

そう、私は当時からあまりじっとしていられない性格でした。 

通学の道のりは、自転車を漕ぎながら暇つぶしに漢字検定の問題集を眺める日々。気付けば漢検2級は1年生の時に余裕で取れていたのですが……これが、私の高校時代の始まりでした。(危険なのでもちろん真似してはいけません。)
今思うと、当時父も母も担任さえも「その高校はちょっと遠いから、やめておいたほうが良いんじゃない?」とか言わなかったんですよね。

そんなわけで、出身中学校が同じセトさんと高校で再び会うなんて、思ってもみませんでした。

セトさんは背が高く、大人びていて、当時流行っていた縮毛矯正で髪はサラサラ。黒縁眼鏡も似合っていてモデルのような出で立ちです。独特の空気感を身に纏い、なんとなく他者を寄せ付けない雰囲気を放っていました。

中学3年生の時のクラスメイトでしたが、お互いに目立つタイプでもなく、セトさんと言えば教室でひっそりと静かに読書をしている姿が印象的でした。

相貌失認症である私がセトさんを覚えていたのは、ある時机からHUNTER×HUNTERの漫画がのぞいていたことがあったからです。他の人が気付かないうちに、そっと奥に押し込んで隠したのを覚えています。
それ以降、漫画が大好きな私はなんとなく彼女に親近感がありました。

高校で再び同じクラスになったものの、セトさんは相変わらず物静かに読書していたので、話すタイミングもなく時は過ぎました。

さて、この高校にはおかしな伝統がありました。

元々運動部が強い高校で、どちらかといえば体育会系なこともあったからか、6月に行われる体育祭はとにかく派手でした。
伝統的に行われていたのが、とある体操です。
4人1組になり、組体操と器械体操を組み合わせたような動きをします。小道具を持ちながら、時折「ヤー!」などの掛け声を大声で上げたりと、伝統の体操ながら、思春期の少年少女には様々な意味で過酷でした。
体育祭が近くなると、特に体育会系の教師から容赦無い怒号が飛び、伝統体操の仕上げに躍起になっていきます。
私は(こんな体操があるなんて聞いてないよ……。)と思いながらも、長いものには巻かれろ、という精神で仕方なく毎日練習を頑張っていました。

元々体育会系の割合が多い高校だからか、みんな素直に取り組んでいました。

セトさんを除いて。

セトさんは、体育の時間になると見学したり姿を消したり。どんなに体育の先生が脅しても、涼しい顔で無視をして図書室で本を読んだりと、自由に過ごしていました。
それでもセトさんは、毎日学校に来ていたと思います。

体育祭当日。

個人競技の終わりになって、担任から呼び出され、「セトさんが教室で見学しているようだから、休憩後の伝統体操はグラウンドで見るようにって、言ってきてくれる?」と頼まれました。
「え、私がですか?」
思わずそう口に出てしまいました。
私に頼む理由がわからなかったからです。
「同じ中学校でしょう?セトさん、あなたとはよく話すって言っていたし。」
内心(いや、そんなことはないけど。)と、思いながらも「そうですね、じゃあ声を掛けてきます。」と言って、校舎に向かいます。
なんとなく、彼女がそんな嘘をついたのは、担任に心配されるのが煩わしかったからだろうと見当がつきました。
(大変だよな……セトさんは多分、本当にただ1人でいたいだけなのに。)

グランドと校舎には距離があり、急ぎ足です。
生徒玄関の扉に手を掛けた時。
(あれ?)
なんだか違和感がありました。
周りの空気がピリッとしたような……。
(静電気かな。)
そう思いながらも、いつも通り校舎に入り、教室へ向かいました。
向かいながらじわじわと、違和感は体に染みてきます。
階段を上りながら、私は唐突に違和感の正体に気付きました。

音と、光です。

電気がついていないから暗いのは当たり前だけれど、それでも陽光が入ればいつもはもっと明るい校舎なのです。
ましてや今日は晴天……雨の音なんて、するはずがない。
ゾッとして思わず、すぐそこの窓から外を見ました。
そこから見えるグラウンドには、誰もいません。「嘘でしょ……。」
雨も、降っていません。

なのに、雨音がします。

愕然としてしばらく足は止まりましたが、ハッとして教室に走り出します。
セトさんは?
セトさんは教室にいるのだろうか。
不安で泣きそうになりながら、教室まで全力疾走します。
足音はしません。

教室の扉を勢いよく開けると。

セトさんは、いました。

机の上に座って、窓の外を眺めていたようです。扉を開ける音も、足音もしないからか、セトさんが私に気付いた様子もありません。

「セト、さん。」

後ろ姿に、声をかけます。
声はしっかり、周りの空気を震わせ。

「うわぁ!!」

その声に驚いたセトさんが声を上げながらこちらに振り返ります。
何を言っていいかわからない私は。
「先生が、伝統体操、グラウンドで見るようにって、セトさんに伝えてって……。」
と、絶対に今言うべきことじゃないことを口走っていました。

セトさんはその言葉にキョトンとして、笑い出します。
「ほんっとに、リアルな夢だなぁ!」
セトさんが喋る姿を私はその時、初めてみました。
なんだかホッとして、「夢か……そうだよね。」と、私も肩の力が抜けました。
「馬鹿みたいだと思わない?あの体操。」
セトさんがこちらを見ながら言葉を紡ぎます。
「あんな美しくないの、やるなら死んだほうがマシ。こういうの、なんだっけ……チョベリバだよ、ほんと。」
当時の、派手な子たちが使う流行語(超ベリー・バッドの略語)を口にするセトさんがなんだか面白くて。
思わず私も「チョベリバだね、学校は。遠いし。」真似して返事をしました。
「だよね!?遠くても楽しそうな学校って選んだのに、ただ遠いだけとか終わってる!」
雨音が、止まない。
「……でも、セトさん毎日来てたよね。」
私の言葉に、セトさんが真顔になりました。
「中途半端が、嫌いなだけ。」

夢なんだろうけど。

夢ならば、これはセトさんの夢なんだろうなと思いました。

「私さぁ、学ぶのは好きなのに、学ぶ学校は嫌い。友達はケンジだけで充分。」
突然出た男性の名前に面食らうと、セトさんは楽しそうに笑います。
「ミヤザワケンジ、だよ。」
ミヤザワケンジ……それが、作家の宮沢賢治に結びつくまでに少し時間がかかりました。
「カンパネルラ、だっけ?」
「そうそう、有名どころは銀河鉄道の夜。」
楽しそうなセトさんの顔。
セトさんの夢。
頭の中で、警報がなりました。
(これ、長居したらまずい気がする。)

だって、これがセトさんの夢だとして。


私はどこまで存在を許されるだろうか。

「ごめん。私、伝統体操に戻るね。」

そう言うと、セトさんはまたハハッと笑いました。
「うん、私には無理だけど、できるならその方がずっと良い。」
そんなようなことをセトさんが言うのを背中に受けながら、走り出します。

外へ。

雨音は、校舎を出るまでずっと鳴り続けていました。

校舎を出ると、眩しい陽光で目が眩みます。
(伝統体操、間に合うかな。)
一目散に、賑やかなグラウンドへ駆け出しました。

それから無事に体育祭を終えて、翌日からセトさんは学校には来ませんでした。

そして、そのまま退学していきました。

それからしばらくして。
セトさんが大検を取って進学し、宮沢賢治の研究をしていると風の噂に聞き、再び交流することになるのですが……。
それはまた別のお話になるので割愛します。

当時、あの不思議な校舎で起きたことよりも衝撃だったのは。
私には無い美意識を持ち、私にはわからないこだわりを持って、この世の中で懸命に生きる人がいるということでした。
思えばあれが、私が多様性という概念を初めて意識した出来事だったかもしれません。

これは私の実話です。

高校時代の話は以下にもあります。
興味のある方、ぜひ。



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