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【不思議な話】あの夏

〈第十話〉

高校1年生の、夏のことでした。
クラスメイトのTさんが亡くなりました。
夏休みに入ったばかりのこと。
学級代表からの電話で、その川の事故を知りました。

「クラスの数人で遊びに行ったんだって。Tちゃんだけ、いなくなっちゃったって。まだ見つからなくて……きっとすぐ見つかるよね?大丈夫だよね?」

これは私が長年、ずっと悔やみ続けている出来事です。
当時の私は、とても薄情な人間でした。
家の都合で引っ越しが続き、新しい人間関係を作るのも億劫で、その上相貌失認症でしたから……思春期、ということもあったのでしょう。
私は、人の顔と名前を結びつける努力を一切しなくなっていました。

その場しのぎの会話で盛り上がり、特定の仲良しが数人いればそれで良くて、あとは有象無象。誰に対してもいい顔をして、敵さえ作らなければ良いと思って生きていました。あの夏までは。

学級代表から電話をもらった次の日の朝、担任から電話がかかってきました。

「Tさん、見つかったって……。」

その声で、Tさんは亡くなったのだなと、悟りました。
「それで、今から学校に来て欲しくて……学級副代表のあなたに、Tさんの弔辞を書いて、お葬式で、読んで欲しいの。」声を詰まらせながら、担任は言いました。
「それは……学級代表じゃ、ないんですか?」と、聞くと、「実はね、学級代表のYさん、ちょうどTさんのグループと、うまくいっていなかったそうなの。Tさんとは喧嘩したままだって、泣いてね……とても弔辞が書けるような状態じゃなくて。」苦しそうに言う担任に、それ以上なにも言えず、私は了承して家を出ました。

(私なんて……私なんて、Tさんの顔さえ浮かばないのに?)

学校に着いたら、やっぱりはっきり断ろう。私にはその資格がない。そう、強く思いました。弔辞は、仲のいい人が読むべきに決まっている。
学校に着いて、担任の顔を見て、言葉が詰まりました。憔悴し切ったその雰囲気に、何も言えなくなってしまったのです。

「ごめんなさいね、急にこんな……。さっそくだけど、これ、読んでくれる?」

手渡されたのは、一通の手紙でした。
私のクラスでは、クラスメイトの誕生日に全員で手紙を書いて渡すという決まりがありました。
夏休みに入ってから誕生日を迎える私には、夏休み前にみんなが書いた手紙を担任が預かっていたのです。

その手紙を見た時、私は弔辞を書こうと決心しました。
担任から渡された、Tさんからの手紙。
そこにはこう書かれていました。


『誕生日おめでとう。髪の毛切ったんだね。素敵だよ。ごめんね。このクラスのこと、よろしくお願いします。Tより』

そこからのことは、必死でしたので、断片的にしか覚えていません。

翌日の新聞でTさんの顔写真が載り、その時ようやく「あの子が、Tさん……。」とわかったこと。

弔辞を書くために、Tさんの将来の夢が書かれた作文を読んだこと。美容師になりたかった、Tさんのこと。

クラスメイト1人1人に電話をかけてTさんについて聞いたこと。

「私、Tが沈んでいくの、見たの。手を伸ばしたのに、私は浮いて、Tは沈んでいくの……私は、私は助かったのに。」そう言って泣き続けるクラスメイトに、寄り添ったこと。

弔辞を読むためにお葬式に向かう道で、私が弔辞を引き受けてくれてよかったと、Tさんの友人に声をかけられたこと。

弔辞を読み終えるまで、一切涙が出なかった、私のこと。

弔辞を読んだ帰りの電車。
1人になりたかった私は、どこに向かうかもわからない電車に飛び乗りました。眠気がきて、そのまま寝て起きると、窓の外には海が広がっていました。

停車したところで降りて、そのまま駅を出ずにベンチに座り「疲れたな……。」と呟いた時。

急に、涙が次から次へと溢れました。悲しかったのです。クラスメイトの顔も浮かばない薄情な私が、心底嫌になりました。心底後悔していました。

Tさんは、私が髪の毛を切ったことにも、気付いていたのに。私は、Tさんの顔も浮かばなかった。

やり直したい、やり直したい。
でも、もう戻らない。もう、失われてしまった。

グッと、くぐもった声が自分から出ました。
我慢できず、嗚咽に変わっていきます。
どれくらいの時間、そうしていたでしょうか。

「これ、使いなさい。」

見知らぬお婆さんが隣に座り、ハンカチを差し出しました。それから私が泣き止むまで、ずっと黙って寄り添ってくれたのを温もりと共に、よく覚えています。

あの夏の、何もかもわかっていたようなTさんの手紙と、お婆さんがくれたハンカチは、今も私の生き方を示し、支えてくれています。

これは私の実話です。



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