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リトアニア留学記

今回は私がリトアニアに交換留学した際の体験記や感じたことを書こうと思います。

なぜリトアニアにしたのか


この質問、留学のことを知っている人全員に聞かれます。行くと決めた時も、帰国した後も、就活の際も、永遠に「どうしてリトアニア?」と聞かれました。

黄色いところがリトアニア。
実はロシアの飛び地であるカリーニングラード州に接しています。
(画像URL:https://www.city.toyohashi.lg.jp/secure/52973/hp_host_lito_map.jpg)

そもそも私はどこかの国に学生時代に一年間留学しつつ4年で卒業したかったので、しっかり単位交換が可能な大学を選ぶ必要がありました。なので、大学が正式に交換留学先として認めていて、尚且つ個人のGPAやTOEFL スコア、志望理由書などで審査されるプログラムで行くことにしました。
そのプログラムの大学リストから選ぶときに、どうせなら周りで誰も行ったことがない国に行った方が事前情報がなくて面白そうだし、公用語が英語じゃない方が文化が全く違うだろうな〜楽しそう、という思いでチェコやスウェーデン、ノルウェー、リトアニア、エストニアなどの東欧・北欧の国を中心に出願しました。
その中で一番生活費が安く済みそうだったのでリトアニアを第一希望で出願し、無事acceptされました。

リトアニアは旧ソ連圏であり、二度ロシアに併合された苦い歴史を持っています。だからこそとても自国の文化や言語を大切にする、バルト三国の1つです。現在はウクライナ難民を多く受け入れており、ロシアへの毅然とした態度を取り続けています。そんな国に一年間行くのは怖くなかったの?とよく聞かれますが、私は良くも悪くも非常に楽観的で、知らない土地に行くことができるという事実にワクワクしていました。 こうして私の一年間のリトアニア生活がスタートします。


リトアニアは豊かな森と湖が広がるとても美しい国です。

どうだったか(辛かったこと、新鮮だったこと)

リトアニアはEU圏であり、また他のEU諸国に比べ生活費や物価が安いためドイツやスペイン、フランス、イタリアなど西側諸国に加えてインド、カザフスタン、エジプト、トルコ、ジョージア、アゼルバイジャン、ウクライナなど本当に色々な国から、異なる経済状況の留学生が来ています。(その中でもやはりロシア語がある程度通じるという利点のためか、同じ旧ソ連圏から来ている学生が多いような印象を受けました)

ブルガリア、台湾、フランスから来た友人たちとのパーティー。

リトアニアでの生活は毎日が新鮮で、本当に楽しかったです。 もちろん辛いことも時々ありました。道で子供にアジア人だからと差別されたり、同年代くらいの少年に道路に突き飛ばされたり、リトアニア語を話せないために店員さんから心無い対応を受けたり。 ずっと東京でマジョリティーとして生きてきた自分が初めてマイノリティの立場になった期間でした。
また、東欧の冬は想像以上に厳しく、1日の日照時間が3-4時間の日が長く続きました。太陽がないことがこんなにも心身に影響を及ぼすのか、、と痛感しました。
それでも、それ以上に世界各国から集まる留学生たちと共に寮生活を送り、仲の良い子とヨーロッパを旅行して、ディスカッションだらけの授業を耐え抜いたことは本当にかけがえの無い思い出になりました。


住んでいた学生寮
旧ソ連時代に建てられたもので、かなりボロかった、、

今まで出会ったことのない国々から来た同年代の学生と、お互いの国の状況やこれからの進路や自分の興味についてコーヒーをお供に夜通し語るのは、本当に楽しかったです。

留学を終えて・日本で生きる


また、人生で初めて日本のことを客観視することができました。日本語の美しさや母国語と自分たちの国があることの大切さなど、いつも当たり前に享受していたものの価値を改めて見つめ直す機会になったと思います。
例えば、私は留学中にお気に入りの本を何冊か持って行ったのですが、夏目漱石の「夢十夜」を読んだ時にその文体のあまりの美しさに改めて驚きました。

自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

夢十夜  第一夜より


厳しく長い冬の間、私は日本語の本を貪るように読んでおり、それで(精神的に)生き延びたと言っても過言ではありません。
母国語(日本語)の話者と、日本の国土がほとんど重なり合い、そこに独自の文化が根付き、日本語を芸術の域にまで押し上げて発展させてきた人々がいる、そしてそれを自分たちが難なく理解できるということは実は凄いことです。
リトアニア人の友人が「自分が子供の時は海外のテレビドラマやアニメのリトアニア語の字幕はなくて、ロシア語か英語の字幕で見るしかなかった。だから第二言語の習得もある意味必要に迫られたことだった。」と話していたのがとても印象に残っています。
私たちは、日本語で傑作と言われる作品をそのまま読むことができますし、それは映画作品などでも同様です。(黒澤明や小津安次郎はリトアニアの映画の授業でも取り上げられていました)
しっかり日本語の文化圏とその市場の大きさが担保されているというのは本当に稀有なことだなあ、と思いました。

反対に、東京の広告の多さ(美容・ダイエット・塾etc)や、新卒一括採用、賃金の低さ、受験戦争、ワークライフバランスなど、疑問を感じる部分も出てきました。また、母国だからこその世間一般で良しとされている「成功ルート」みたいなものがはっきり見えてしまい、それもなんとなく嫌でした。

そことどう折り合いをつけるか、一時期は在外公館派遣員(海外の日本大使館での二年間のインターン制度)に申し込むか、海外の院に行くか、日本で就職するか、この3つの選択肢の中でかなり悩みました。


結局、両親とも相談した上でそのまま日本に帰国して就活し、大学を卒業したら就職する道を選びました。
就活をすることで今まで知らなかった世界を知ることができたので、後悔はないです。それでもまたいつか違う国に留学でも駐在でもワーホリでも、どんな形であれ長期間滞在できると良いな〜と思います!

リトアニア人の友人のお母さんが手作りしてくれたビーツの冷製スープ、Šartibarščai。
冷たくて、栄養たっぷりで、人工着色料なし。
リトアニアの夏といえばこのスープです。




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