見出し画像

高校生のための人権入門(26) 人権と法律(補足1)

はじめに

前回で、「高校生のための人権入門」の本編は終わりましたが、25回ほど人権について書いてくる中で、心に引っかかったことが二つほどあります。それについて2回ほど「補足」という形で書いて全体を終わりにしたいと思います。ひとつめは、「人権と法律」です。

パワーハラスメントは法律で防げるか

実際の生活の中で、今、起きていることが人権侵害かどうかが問題になってくると、当然のことながら、法律との関係が議論されます。たとえば、会社の中でAさんが、自分はBさんからパワーハラスメントを受けたと言い出した時、会社のコンプライアンス委員会などが調査をすると、多くの場合、Aさん、Bさん、両方に問題があったということになりがちです。例えば、BさんがAさんを同じ部署の人たちの前で、「馬鹿野郎、やる気がないんなら、お前なんかやめちまえ。」と怒鳴りつけた行為などは、あきらかにパワーハラスメントです。しかし、一方で、Aさんはそれまでに繰り返しBさんから、一対一で指導を受けていたにも関わらず、直そうとしなかったということが、いろいろ調べる中で明らかになってきたりすることがあります。結果として、コンプライアンス委員会は、Aさん、Bさん双方に口頭注意等の指導や、もっと重い異動等の処分をすることで、この問題を解決しようとします。しかし、当然のことながら、このような「解決」は、Aさん、Bさんの両方に納得できない思いを与えます

たとえば、Aさんの方は、「確かに自分は何度もBさんからそのことで指導を受けていた。直そうとは思っていたが、はたから見れば直そうとしているように見えなかったかもしれない。しかし、だからと言って、パワハラをしていいことにはならない。パワハラは人権侵害なのだから、許されることではない。加害者のBさんに、口頭注意するだけで済ましていいはずのことではない。減俸や降格などの厳しい指導があっていいはずだ」と思います。

しかし、職場はそのような要求にはまったく応える気持ちがないようなので、Aさんは弁護士に相談して、せめてBさんに謝罪と慰謝料を要求しようと考えます。ところが、弁護士は、「お気持ちはわかりますが、これを裁判で争うのはとても難しいので、お引き受けするるわけにはいきません」と言います。2019年に「労働施策総合推進法」等が改定され、企業等はパワーハラスメントの防止に努めなければならないことになりました。この法律は、2020年6月から大企業等に適用さら、2022年4月からは中小企業に適用されます。しかし、「労働施策総合推進法」に記されている内容は、あくまで事業所が雇用している人について、パワハラを受けないように配慮する義務等があることだけで、Bさん個人が特定の誰かにパワハラをすること自体を禁じているわけではありません。また、事業所がパワハラ防止の配慮をしなかった場合も、罰則としては、その事業所の名前の公表があるだけです。

実際にAさんがBさんのパワーハラスメントを裁判にかけ、謝罪や慰謝料をBさんから得るためには、「体や心に、あきらかな損害」があること(被害の存在)が大前提になります。具体的には、体に全治1週間以上のケガを受けたとか、相手のハラスメントによってうつ病を発症し、勤務が不可能になり、収入がなくなった等の具体的損失があることと、その損失が相手のハラスメントとあきらかな因果関係を持つことが証明されることなどが必要です。(これは多くの場合、きわめてむずかしいことです。)勤務している職場を、パワーハラスメントを防ぐ義務を怠ったという理由で訴える場合も、基本的には同じような証明が必要となります。そして、そのような証明をして、相手を訴えても、勝てるかどうか、勝ててもどのくらいの慰謝料や賠償をとることができるかはわかりません。ですから、こういう訴訟を弁護士は引き受けたがりません。

法律で罰せられる人権侵害や差別はごくわずか

もちろん、わたしが今までこの「高校生のための人権入門」に書いてきた理屈からすれば、AさんがBさんの言動によって、自分自身の「安心・安全・自由」を傷つけられたのならば、Aさんの人権は侵害されたと言えます。(第17回「人権の中身「安心、自信、自由」」参照)ところが、人権が侵害されたからといって、人権を侵害した人(加害者)が、実際に法律で罰せられるわけではありません。2016年に差別を解消することを目的に、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)」、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)」、「部落差別の解消の推進に関する法律(部落差別解消推進法)」の、三つの法律が施行されました。しかし、これらの法律は、基本的に、国・都道府県・市町村や会社・お店などの事業所などに対し(個人に対してではないことに注意してください)、差別を禁止し、差別の解消に努めることを義務づけてはいますが、罰則等は記していません。そのため、これらの法律は「理念法」と呼ばれることがあります。つまるところ、現在の日本にはこれまで述べたようなさまざまな人権侵害や差別が起きていますが、法律で罰せられるものはそのごく一部です

新しい法律をつくれば人権問題は解決できるか

以上のことからわかることは、現在の日本ではほとんどの人権問題は、法律によって「白黒をつけるもの」にはなっていないということです。このような日本の状態に対して、「差別禁止法」のような新しい法律を作ったり、個々の差別事件や人権侵害をもっと厳しく取り締まれるように法律を改正するべきだという意見があります。これはこれでもっともな意見であり、わたしも「差別禁止法」のような法律を日本もつくるべきだという意見には、基本的に賛成です。そのような法律があるとないとでは、実際にはだいぶ違うだろうと考えるからです。実際に「ヘイトスピーチ解消法」に基づいて、ヘイトスピーチを取り締まるような条例を作った都道府県や市町村もいくつか出ていますし、運用や適用が行われ、規制の効果も出ていると思うからです。しかし、だからといって、このような法律の新設や改定で人権侵害や差別を解決することができるかということになると、これはたぶん無理だろうとわたしは考えています。

法律では、人権侵害を解決できない理由

そう考える理由はいくつかあります。まず、なにが差別であり、なにが人権侵害であるかは、法令によって規定することがきわめてむずかしく、場合によってはかえって人権侵害を見逃すことにつながりかねないということです。具体的な例としては、パワーハラスメントを防ぐために「労働施策総合推進法」を改定した際、厚労省はその指針として、どこまでがパワハラで、どこまではパワハラとは言えないという例を示しましたが、その線引きについては、さまざまな批判がありました。その批判の一つに、「ここまではパワハラとは言えない」と示すことが、逆にそこまでならやっていいんだという理解を生むのではないかというものでした。これはもっともな批判だと思います。

二つ目に、人権侵害は一方的に行われるものではなく、むしろ現実には相互に行われていることも多いという事実があります。例えば、役所の窓口で起きるカスタマーハラスメントなどでも、突然、それまでおとなしい感じだった住民(たとえば、生活保護を利用している住民)などが、窓口の職員のひと言にキレて怒鳴り散らしたり、暴力を振るったりすることが起きています。この場合、暴言や暴力の場面だけを見れば、あきらかに暴言を吐いたり、暴力を振るった方が悪いのですが、よく調べてみると、暴力を振るった方は、窓口の職員が自分を見下すようなひと言(「でもねえ、あなたはもともと生活保護を受ける資格がない可能性が高いんですよ。」等)を口にしたので、キレたのだということがわかってきたりします。つまり、相手のひと言によって、自分の「安心・自信・自由」を傷つけられたと感じた人(本来、「弱い立場の人」)が、キレて、今度は逆に職員(本来、「強い立場の人」)の「安心・自信・自由」を傷つけたことになります。つまり、ここでは最初、被害者であった方が、次の瞬間、逆に加害者に変わってしまっているわけです。そして、このようなことは人権が問題になる場面ではよく起きることです。法律は、このような双方に加害行為などの過失があったば場合、それぞれの人の行為に対して、「可/不可」の判断を下し、それを差し引きして判決を下すことになりますが、そういう判決は、当然のことながら双方の当事者を納得させません。

三つ目に、そもそも法律による判断を下しても、それで人権の問題自体が解決するわけではないという事実があります。これは人権に関わる事件だけでなく、すべての民事事件についても言えることですが、裁判によって加害者が決まり、その人が賠償金や慰謝料に応じたところで、被害者はそれで満足することはふつうありません。多くの場合、被害者は、賠償金や慰謝料の金額の不足を感じるとともに、「加害者の反省と心からの謝罪」を求めますし、人権に関わる事件が起きた事業所や自治体等に対しては、再発防止のための「確実性のある努力や約束」を要求します。これらはまったく、当然の要求です。しかし、実際には、人権に関わる事件の場合は、加害者は「心からの反省と謝罪」には応じないことが多いですし、事業所や自治体等の再発防止の努力や約束は、多くの場合、形だけのものに終わって、実効性のないものになりがちです。つまりは、法律による判断は、解決にはなっていないのです。

四つ目に、人権に関わる問題の解決は、具体的な人間関係のあり方自体を変えない限り不可能だということがあります。そう言えるのは、人権に関わる問題や事件は、必ず具体的な人間関係の中で生じているということがありまます。職場のパワーハラスメントにしても、学校での子どものいじめにしても、本当に再発を防止するためには、そこにおける個々の人と人との関係を変えない限り不可能です。そして、人と人との関係をどう変えるかは、法律では規定できません。それをあえてしようとすれば、学校の教育目標(生徒一人一人の自主性を尊重し…」)のようなきれいな言葉を並べただけの、実効性のないものになってしまいます。

人権が尊重される社会の実現のためには

人権を尊重するために法律を新設したり改定したりし、さらにその法律を実効性のあるものにしていくことはもちろん必要です。ただ、法律の新設や改定では人権の尊重はなかなか実現できません。法や制度の新設や改定は、人権が尊重される社会の実現のための必要な条件であっても、充分な条件ではないのです。人権の尊重(具体的には、各人の「安心・自信・自由」が守られる社会、だれもが「生きていてうれしい」と思える社会を実現すること)のためには、具体的な日々の人間関係が変わらなければ不可能なのです。そして、さらには、今の日本人の人間関係を決定している社会の考え方や価値観、経済や政治や制度そのものが変わらない限り、人権が尊重される日本社会の実現はできないとわたしは考えます。(第24回「『正しさ』のぶつかり合いから抜け出すこと(その3)」もご覧ください。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?