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高校生のための人権入門(22) 「正しさ」のぶつかり合いから抜け出すこと(その1)

はじめに

さまざまな人権問題があることをこれまで見てきました。もちろん、今まで取り上げてきた人権問題以外にも、たくさんの人権問題が今の日本にはあります。(それらについては、別の機会でふれることができたらと思います。)今回から3回ほどにわたって、どうしたら今まで取り上げたような人権問題が、少しでも解決に向かうことができるのかを考えてみたいと思います。

何が起きているのか、なぜ起きているのか

差別や人権侵害の解決を考える時、本当にその通りでありながら、今の日本において、あまり効果がないように思えるのは、「こんな間違ったことが、なぜまだ行われているのか。」という「怒りや正義感」からものごとを判断してしまうことだと感じています。なぜなら、このような怒りや正義感から考えられる解決法は、「差別や人権侵害をしている人間に、それがいかに間違ったことかわからせせて、反省させればいい」ということになるからです。もちろん、このような考え方やそれに基づく運動が、これまで差別や人権侵害を減らしてきたのは、歴史的な事実です。「同和問題(部落差別)」や「女性の人権問題」について考えただけでも、そのことはよくわかります。しかし、今の日本においては、そのような怒りや正義感からくる活動は、差別や人権侵害の解決にあまりつながらなくなってしまっているようにわたしは感じています。一番、わかりやすい例が今まで何度も取り上げているパワーハラスメントです。

パワハラでは、二つの「正しさ」がぶつかり合っている

パワーハラスメントの被害者は、「なぜこんな人権侵害が、この集団(職場やママ友会等)では、まだ行われているんだ。おかしいじゃないか」と感じます。「絶対許されないことが、ここでは平然と行われている。こんなことがあっていいのか」と感じます。わたしもその気持ちはよくわかります。しかし、被害者が感じる、そのような人権尊重の「正しさ」から生まれる怒りやつらさは、加害者にはまったく理解されません。ふつう加害者は、自分が属する集団(職場やママ友会等)の「正しさ」に基づいて、被害者の「間違い」を「正そう」として(つまりは、自分は「正しい」と思い込んで)攻撃や非難をしているからです。(くわしくは、第3回の「パワーハラスメント」をご覧ください。)結局、ここでは、被害者と加害者の二つの「正しさ」がぶつかり合っているのです。ただ良く考えてみると、この二つの「正しさ」は本来、次元が違うというか、「正しさ」の基準軸がまったく別物なので、実際には、互いに交わることがありません。もともとが、どちらが正しいか、比較のしようのないものなのです。結局、加害者と被害者はお互いの「正しさ」をぶつけ合っているつもりで、実際にぶつかり合っているのは理屈ではなく、互いの感情なのです

われわれは、真理はひとつであり、正しさはひとつだと思っていますが、実際には、人の数だけ「正しさ」があると言った方が現実に近いかもしれません。そこまで極端な言い方をしなくても、「ひとりひとりの人権が尊重されなかければならない」という理屈(正しさ)と、たとえば「会社の発展のために全員が貢献するべきだ」というような理屈(正しさ)は、冷静に考えてみれば、交わる部分はほとんどないのです。このような場合に、どっちが正しいかとか、どっちの目指すもの(価値)が自分たちにとって重要かなどは、そもそも議論のしようのないことです。しかし、パワーハラスメントを解決しなければならなくなった人がぶちあたる困難さとは、まさにこの不可能さなのです。

パワーハラスメントを解決することのむずかしさ

パワーハラスメントを解決することのむずかしさ、そのほとんど不可能と呼べそうなむずかしさは、その立場になった人であれば誰でも味わうことです。では、どうしたら良いのでしょうか。第3回の「パワーハラスメント」でもお話したように、「嫌がらせのための嫌がらせ」にまでなってしまった状態のパワーハラスメントを解決することは、ほぼ不可能です。ですから、大事なことはそこに至るまでの段階で、双方の「気持ちや思いのズレや断絶」に気づき、早めに双方の間の溝を埋める努力をまわりがすることです

具体的には、双方の対立する「正しさ」の主張(「どちらの言い分が正しいか」等)に労力を使い果たすのではなく、「今、何が問題になっているのか、なぜこのような問題が起きているのか」をあきらかにすることですパワーハラスメントが起きてくる最初の段階では、必ず具体的な細かい「きっかけ」があります。わざと単純化した例を挙げてみます。たとえば、ある社員が伝票の書き方、出し方などを間違ってしまい、先輩がそれを注意したのに、数日後にまた同じ間違いをしたような場合です。「これ、先日注意したよね。」と言った時、相手が言い訳など(「これは、先日のものとは違っていて…」)を始めたことが、パワーハラスメントが起きる「きっかけ」になります。相手のその言い訳に先輩がカチンときた瞬間が、パワーハラスメントのスイッチが入る瞬間です。

しかし、この時点で必要なことは、良く考えてみれば、「あなた、何言ってんの」と相手を怒鳴りつけることではなく、本当は、なぜその人が同じ間違いをくり返したかをよく把握して、間違いのくり返しを防ぐことです。たとえば、その人が、口頭で注意しただけでは理解、納得ができないような人であれば、目で見ていつでも確認できるように、紙に手順と注意点を書いて渡すとかの工夫が必要なのです。ところが、多くの場合は、同じ間違いがくり返されると、先輩はその人にやる気がないからこういうことが起きるのだと考えてしまいます。さらに、「あの人はそう言えば伝票だけではない、他の書類でも間違いが多い」というようなことが頭に浮かび、結局、「あの人はやる気のない、いいかげんな人だから間違いをくり返すのだ。なのに平気な顔をして言い訳をして、まるで注意したこちらが間違っているようなことを言い出す。なんて人だろう」と思うようになります。そうなってくると、こんなやる気のない人には、相当きつく言ってやらなきゃダメだということになり、どんどん非難、攻撃がエスカレートしていき、パワーハラスメントの泥沼に入り込んでいきます。そもそもの問題は、伝票や書類の間違いを防ぐことであったのが、いつの間にかその人の人間性や人格の問題になり、その人の生き方を根本から変えなければならないということになってしまうのです

相手の生き方を変えるということは、頭で考えるのは簡単ですが、現実にはまず不可能です。不可能なことをしようとすれば、人は暴力的(理不尽)なことをせざるを得ません。しかし、暴力を使っても不可能なことは不可能なのです。その結果、パワーハラスメントはどんどんひどいもの(「嫌がらせのための嫌がらせ」、「相手の苦しみのを見て喜ぶ」等)になっていきます。そして、パワーハラスメントが見つかって問題になるのは、だいたいこのような泥沼状態になってからなのです。

次回「『正しさ』のぶつかり合いから抜け出すこと(その2)」に続きます。

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