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「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その2)〜「正義」から「責任」へ(その11)

前回、考えやすく単純化したパワーハラスメントの例をあげて、どんな対処が問題の解決をむずかしくするのかを書きました。ではどうすれば問題が解決に向かうのか。また、そうする上で出てくる問題点と困難点について考えてみたいと思います。

人権トラブル解決の「目的地」

どうすれば人権トラブルが解決に向かうのかについて考えるためには、まず、どういう状態になれば問題の解決と呼べるのか、つまり「目指す目的地」をはっきりさせておかなければなりません。もちろん、わたしがここで考える解決は以前も書いたように、社会的な解決(法律や制度や社会の意識等の改善)ではなく、加害者と被害者の間での個別的、具体的な解決です。(社会的な解決と、個別的、具体的な解決の違いについては、「個人の『正しさ』と社会の『正しさ』」などをご覧ください。)

本当に必要なのは、「自分をゆるせる」こと

人権トラブルの個別的、具体的な解決については、これまでも、「なんらかの形での加害者と被害者の納得や合意」というような言い方で説明してきました。説明としては、一応これでいいと思うのですが、実際に双方が納得や合意をするためには、それぞれが「自分と相手の両方をゆるせる」ことが必要になります。トラブルの解決のためには、とかく「相手をゆるすこと」がまず重視されます。そこから出てくるのが「もっとお互いに寛容になりましょう」というような呼びかけです。しかし、そもそも相手に寛容になれるくらいなら、最初から人権トラブルは起きません。むしろトラブルの解決に本当に必要なのは、「自分をゆるす」ことの方です。「自分をゆるす」ことができた人だけが、「相手をゆるす」ことができるからです。

人権トラブルは双方に「原因」がある

人権トラブルを含めたさまざまな人間関係のトラブル(もめごと)について、たぶん例外なく言えることがふたつあると思います。ひとつは、双方に必ず「原因」があるということです。一方だけの「原因」ではトラブルは起きません。必ず、一方の「原因」に呼応する別の「原因」がもう一方の側にもあります。(念のために申し添えますが、この場合の「原因(がある)」ということには、批判や非難の意味は一切含まれていません。ですから「原因」と呼ぶよりも「要因」と呼んだ方がよいかもしれません。)

人間関係のトラブルは「自己愛」の傷つけ合い

もうひとつ、あらゆる人間関係のトラブルでは、必ず互いに相手の「自己愛(自分に満足したい欲求)」を傷つけています。片方が相手の言動によって自分の「自己愛」を傷つけられると、傷ついた方は自分の「自己愛」を守るために相手を攻撃(「わるいのはあなたの方だ」)します。当然、そうやって攻撃された方の「自己愛」も傷つき、反撃することになります。こうして人間関係のトラブルが始まるのです。つまり、人間関係のトラブルとは、「自己愛」の傷つけ合いにほかなりません

「今の現実の自分」を自分として受け入れること

くり返しになりますが、人権トラブルで加害者と被害者の双方が納得や合意に達するためには、それぞれがまず「自分をゆるす」ことが必要です。「自分をゆるす」ことができた人だけが、「相手をゆるす」ことができるからです。「自分をゆるす」とは、「今の現実の自分」を自分として受け入れること、つまり「今のわたしはこれでいいんだ」と思えることです

「自己愛」が傷つくということ

人権トラブルは、「自己愛」が傷つくことから始まります。「自己愛」が傷つくということは、「今のなさけない現実の自分」を、「これが本当のあなただ」と目の前に突きつけられたということなのです。その際の、こんなダメでみじめな自分は到底受け入れることができない(「こんなのわたしじゃない」)」という思いが、「自己愛が傷ついた」ということです。この「受け入れられない」という思い(みじめさや屈辱感)がその人の中で、一瞬で「怒り」に変わって、激しい相手への攻撃に切り替わるのです。

「自分をゆるす(ゆるせる)」ことが納得や合意を生む

人権トラブルの個別的、具体的な解決が、当事者双方の納得や合意であり、そのためには、それぞれがまず「自分をゆるす」ことが必要だとすれば、人権トラブルの個別的、具体的な解決は、当事者それぞれが「自分をゆるす(ゆるせる)」ことを目指すことになります。このことを念頭において、前回のパワーハラスメントの例について考えてみましょう。

パワーハラスメントを起こさないために

パワーハラスメントの一番よい解決法は、パワーハラスメントを起こさないことです。もしくは、前回の例のように起きかかった時に、すみやかに解消することです。そのための方法は、以前も述べたように、「強い立場」の人に「本来の責任」を自覚させることです。「本来の責任」を相手に自覚させる方法は、「弱い立場」の人が「強い立場」の相手に、自分が困っていることを率直に(一切、相手を非難することなく)伝えることです。

「すみません、助けてください」

前回のパワーハラスメントの例で言えば、Aさんから口頭で仕事の説明を受けた時、Bさんには腑(ふ)に落ちないところが、いくつかあったはずです。そんな時は、「すいません。それはこういうことですか」と聞き返したり、「メモを取るので、もう一度ゆっくりお願いします」とか、場合によっては、「わたしには、紙かボードに書いて説明していただけませんか」と頼んだりした方がよいのです。「どうして?」と聞かれたら、自分にはASDの傾向があることを説明し、「(すみません、そういうわけなので)助けてください」と率直に頼めばよいのです。

パワーハラスメントの背景にある労働環境の破壊

こういうことを書くと、「現実はそんな甘いものじゃない。うちの上司ならそんなこと言ったら、逆にこちらをバカにしたり、どなりつけてたりしてくる。」と思われる方も多いかもしれません。たしかに2000年くらいから日本では雇用の非正規化や成果第一主義が急速に進められ、そこからくる低賃金、過重労働は日本の労働環境を徹底的に破壊しました。現在の労働力不足の一番の原因はそこにあるわけです。しかし、政府も大企業もその不都合な現実には目をふさいで、やれイノベーションだ、やれこれからはDX(デジタル・トランスフォーメーション)だとばかり宣伝しています。しかし、イノベーションやDXを推進することは、雇用をさらに悪化させます。(イノベーションやDXが新たな雇用を生み出すなどというのは、詭弁です。それによって失われる雇用の方が圧倒的に多いのです。)結果としてそれは、現在の日本の労働環境をさらに悪化させることにしかなりません。

このように徹底的に破壊されていく日本の労働環境が、あちこちでパワーハラスメントを引き起こしていることは、間違いないことです。ただ、今回はそのような社会的問題点を考え出すとさらに問題を複雑にしてしまうので、そのようなことにはふれません。あくまで単純化した前回のケースの中で、具体的、個別的な解決を考えてみます。「現実はそんな甘いものじゃない」と思われる方には、ここでは人の世界は「責任」の世界だということだけ申し上げておきたいと思います。(この点について、くわしくは、「信じるということは危険な「賭け」なのか?」 などをご覧ください。)

「強い立場」の人は、本来、人を助けたいと思う

「強い立場」の人は、目の前の困っている人に(非難などは一切なしに)心から「助けて」と言われれば、本来、助けたいと思うものなのです。前回の単純化したケースの中で考えるならば、Aさんから注意を受けた段階で「弱い立場」のBさんが今、本当に困っているということを率直に(相手への非難は一切なしに)伝え、「助けてください」と言ったなら、助けることのできる立場にいるAさんは、たぶん相当の確率で「助けてやろうか」と思うのです。人の世界は「責任」の世界だからです。

「弱い立場」の人だけが持っている「力」

こういうことを書くと、「おまえは結局『強い立場』の人に味方しているんじゃないか。なんで被害を受けている方が頭を下げなければならないんだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それはたぶん誤解です。わたしが言いたいのは、「弱い立場」の人だけが相手を動かす「ある種の力」を持っているということだからです。「弱い立場」の人は、「すみません、助けてください」と言うことで、相手(「強い立場」の人)を、いわば自分の味方にすることができる「力」を持っているのです。それに対して、「強い立場」の人はいくら自分の力を振り回しても、「弱い立場」の人を動かすことはできません。力では人を動かすことはできないからです。「弱い立場」の人が持つ相手を動かす「力」とは、「強い立場」の人が持っている(通常の意味の)力とはまったく別物の、相手に「責任」を自覚させる「力」です

「配慮をしないではいられない」と思わせるには

前回、イソップの「北風と太陽」の話を引いて、「旅人に外套を脱がせるためには、旅人に『そうしたい(外套を脱ごう)』と思わせるしかない」と書きました。Aさんに必要な配慮をさせるには、Aさんにいくら「合理的配慮」の義務を話してもムダです。Bさんから人権尊重を主張され、配慮の義務を指摘されることは、Aさんにとっては自分への非難としか聞こえず、非難はAさんの「自己愛」をもろに傷つけるからです。逆にAさんに必要な配慮をさせるには、Aさんに「そうしたい、そうしなきゃ(配慮をしないではいられない)」と思わせるしかありません。そう思わせるのが、「すみません、助けてください」というBさんの率直な言葉なのです。

「強い立場」から下りるふりができない人がパワハラをする

「すみません、助けてください」という率直な言葉が相手を動かすことに気づけば、実は「強い立場」の人も「弱い立場」の人を動かすことができます前回あげたパワーハラスメントの例で言えば、係長のAさんは期日までに計画書ができそうもなくて困っているわけですから、Bさんに率直に「ちょっと困っているんだが、助けてもらえないか?」と相談してみればいいのです。Bさんが、「どうしたんですか?」と聞いてきたら、「今、頼んでいる書類が、期日に間に合わないと本当に困るんだ。課長さんたちに見てもらうには、とりあえず計画の部分だけでいいんだが、なんとか締め切りに間に合わせてもらえないかな。」というような形でBさんに投げ掛けてみればいいのです。

仕事ができず、こちらに迷惑をかけているBさんに、こちらから頭を下げるような馬鹿なことができるかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、実は優秀な上司は勘所でこの手をうまく使って、自分の望む方向に部下を動かしています。逆に言うと、このままでは大変なことになるという勘所でも絶対に自分の「強い立場」から下りるふりができない人が、相手を思いどおりに動かすことができず、パワーハラスメントをしてしまうのです。大切なのは、相手に「寛容になること」ではなく、「強い立場=力」では相手を動かせない自分を認め、そんな自分を「ゆるす(今のわたしはこれでいいんだ)」ことです

パワーハラスメントが進んでしまった場合は

パワーハラスメントは以上述べたように、起こりかけたところで防ぐ(または、解消する)ことが、一番効果的です。しかし、実際にまわりの人たちがパワーハラスメントに気づくのは、パワーハラスメントが相当進んでからです。その場合、すでに加害者も被害者も相手に対して、「あの人がおかしい、あの人のせいでわたしはこんなに迷惑している。ゆるせない」と思っています。つまり、双方が自分のことを、相手から迷惑をこうむっている「被害者」だと思っているのです。こうなると、加害者と被害者が自分たちの間で今まで述べたような形で解決することは不可能になるので、第三者が関わっていくしかなくなります

では、第三者はパワーハラスメントにどのように関わっていくのがよいのでしょうか。次回は、そのことと、その過程で出てくる問題点、困難点について考えていきたいと思います。

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