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雑文徒然198

雑文徒然198

今日もこうして始まった。何をしたのでもなく、ただコーヒーを飲みパンを食べる。

最近、何かしたか?仕事は毎日しているが、それはもう習慣だから何てこともない。私は、何かアートの関係で生産的なことを成したが重要だ。

昨晩というか夜中に起床した。午前5時30分に目覚めた。また寝ようと努力したが、目が冴えてしまう。

とりあえず、画室に入り制作した。絵を一枚仕上げた。

F60号の紙にサクラクレパスで仕上げた。少女の図を描いたのだった。その後、寝室にもどり眠れた。

起きたのが午前8時30分
洗濯して朝食もした。

9時30分に家を出て喫茶店でコピーを書いていた。商業コピーはなかなか難しいものでありますが、実際、効果はやってみないとわからないし、リリースしないとわからないものだ。

作業をし原稿の整理して、ひと段落して、この雑文を書いています。振り返ってみるとなかなか仕事をしているのだ。少し満悦と言えます。

私は、時に彼女がいるわけでないし、妻子があるわけでない。自由に過ごしている。

まあ、実際、異性にモテないだけでありますが、それで結構、時間に自由がある感じです。

モテないのは多分、もう、中年だからだと思うし、若い頃はそれなりに女性関係もあったが何らかの事で別れたり、フラれたりしていた。

若い頃、私は仕事をしていなくてお金も無かった。いわゆるニートというか、浪人というか、まともに稼いでいなかったのが女子が離れていく原因だったと今、思うのであります。

女を喜ばす能力が無かったし自立をしていない感じだったのだ。今でも成熟しているとは言えない。41歳であっても小学生のようなメンタルなのでいわゆるガキであるのだ。

そんなでもこれまでやってきたのだ。ニートをしていたが絵を描いていた。アートは博打であり賭け事であるのは言えることである。人生は私にとってギャンブルであるのだ。

今は、9年前から介護職の職を得てパートで働いている。今でも続いて働いている。それで資金も入り美術活動に投機してチャンスをつかみチャレンジしているのだ。家庭を持つとか考えていない。アートに、芸術に、絵画にのめり込んでいると言えます。

いつでもギャンブラーであるのが現状です。

男はいつでもギャンブラーなのではないか?

リスクをおかしてでも自分の夢に突進していくものだ。それが行動力の原点であり可能性なのだろう。

最近でも女史に告白したり付き合ったりしていたのですが、フラれたり別れたりした。まあ、いろいろチャレンジもするもので、素振りをたくさんしているのです。友達になることもあるし、それ以上の関係になることもあるし、フラれていく。それは私自身に問題があることもあるし、お金が無いから、稼ぎが足りないと言うこともあろう。

生活力も無いということもありましょう。

「金の切れ目が縁の切れ目」という名言がありますが、それはそうだと思う。男にお金が無いと自信が無くなり女から離れていくし、女もそれを感じて去っていく。

つまり、恋愛においても資本主義のルールがあるのだ。

お金以外の、資本以外の価値があっても、資本の力の前には無力なのだ。

恋愛もお金次第である。

そういうと夢が無いと言われるかもしれないが、私の場合はそうであったと言うことであります。

若い人は可能性そのものだから、お金がなくても将来性と言う株で何とか女子と付き合えるだろう。若いっていいものでありますよ。

そんなその日暮らしの私ではありますが、何とかやっていますので大丈夫ですよ。今でも制作を続けられているし、運もいい。

私は基本、運で生きてきたし、運によって成果も結果も出してきた。そういう恵まれた人生であると言えます。

あと、仕事も健康であれば続けられるし、定年も無いので、健康さえしっかりして良く眠り、精神を落ち着けて安定させておけば長生きして芸術制作も可能だろう。一生、生活には困らないこともあると思う。

健康でさえあれば。

しかし、その日暮らしではありますが、

そんな、徒然で雑文、

能天気で、

暗愚な私であります。

制作を続けるのにもやはり健康と良き眠りにあると思います。

ここまで読んでくださり感謝します。
ありがとうございます。

令和5年11月25日 本多裕樹しるす


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