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芸術の書 断片  色彩・詩 感性から悟性

3、詩にも色彩がある


 詩の色彩という事で語ってみたいと思います。詩には悲劇、喜劇とありますがそれぞれ雰囲気は違ってくるでしょう。喜怒哀楽においても感情の感覚が違います。ゆえに詩において色彩とは、感情であると言えます。悲劇を悲劇にするためには。優秀な人物を登場させ、劇作家はこれらの登場人物たちに、あらゆる試練をあたえていく。喜劇は、あえて愚者を登場させ、笑いをもたらすように、劇作家はあらゆる試練をあたえる。詩は、感性で書きその状態は預言している状態になっています。いわゆる狂気の世界に身をおいている。そこで、詩の色ですが、その人の感じているものに色があることです。色彩は波長でもあります。生命に刺激する波があり、生命にエネルギーを反射させ、吸収させるのです。感情には色があるといえます。感情はエネルギーであり、抽象的な色彩であります。しかし、それがその人に顕在すれば表現になります。役者は常にそういうことを訓練して感情を使って役を演じていると言えます。悲劇と喜劇を話しましたが、悲劇の特質として、悲しみに見えるどん底の世界であっても、あらゆる登場人物たちが、憎みあったり、失恋したり、殺し合ったりする中で、悲しみを表します。それは、実は芸術にとって美しい場合が多いのです。なぜかといえば、その悲劇の中で人生を深く見つめる事になっているのです。悲劇は暗いかもしれませんが、悲劇の底を破ったときに光りが出てくるのです。登場人物たちは運命の車に翻弄され、動かされていくのです。喜劇もそういう感情の性質がありまして、喜劇を演じている登場人物の顔に涙も流れていくのです。ピエロの表情の様に、外形ではたのしくやってはいても、その実は、悲しみにあるのです。本当はこれが自分の姿ではないと、楽しさは一時期の祭り、祭りが終われば悲しみの生活であると、自分の本心を偽って生きる。詩人は、このように運命の糸を使って登場人物を操っていますが、原稿用紙の中で登場人物が勝手に動き、イメージの中で人が動くことと言えます。詩人は、感性から、イデア界の物語を思い浮かべ、啓示を受けているのであります。詩人は感情の色彩を使い詩に心を込めて光りの芸術を表現しているのです。




4、悟りが作品を作る


 悟りと色彩が作品に影響する事でありますが、どこの世界から作品を引いてくる場合、自分の心と共鳴するもの、感応してくるものが自分のイメージが出てくる。それが作品に出てくる。色彩という事ですが、まず初めに、イデア界から受けたインスピレーションを具体化していくために、そこに光りの柱が出来てくる。その光りの柱から光が色彩となって輝いている。それを表現し、具体的な作品として世に出てくるのが感動になり、演奏や執筆、絵画制作になって、芸術を表現していく事になっています。まず。悟りですが、自分が考えていること、思っていることが作品に出るのです。もう、そこに嘘はつけないのです。アート作品は自分の魂に嘘はつけないのです。色彩に関しては、自然とそのイデアマテリアル、アイデアに色がついているのです。それが感情となって表現されていき、絵画で言うと感情に正直な色が出るのです。芸術家の悟りが作品に出てしまうこと、そして嘘がつけない。なので、芸術家の精神修養は大事であること言うです。




5、音から感性へ


 音から感性へという事で書いてみようと思います。音には色彩がある事をいいました。音はやはり色と同じように音階があり、そこに音色がある。色の種別がある。深い音、軽い音、浅い音、重い音、さまざまハーモニーの可能性、そこに色があり、音色からなる世界がある。世界や物語を音によって表現する事ができる。それを耳から入り感性に流れてはいるのです。先ほど悟りの作品について言いましたが、音楽においても音楽家の思想や考えていることが出るのです。そして、それは音として出るのです。音色がながれ、感性でそれをキャッチして感じるのです。音にも色彩があり、その色彩によってイメージをもって物語やモチーフを表している。鑑賞者はそれを聴き、色を受けるのである。音の意味を知る事になる。抽象的な実体ではありますが、そこに、感動が、言い知れぬ陶酔感を覚えるのであります。それが、音から感性へ行く道のりであると言えます。音の中に色彩があり悟りにおける感動もあります。その人の考えていること、思っていること、自分の境涯が自らの存在のオーラとして音として誰もが放っているのです。音には雰囲気があります。そのハーモニーには存在の波動があります。感性でそれを感じ、波長を感じていくのです。存在の音を誰もが放っていて、感性で感じていくのです。

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