マガジンのカバー画像

備忘録:ボストン留学の思い出

46
アメリカのボストンにあるバークリー音楽大学に留学していた頃のエピソードを備忘録として書いていけたらと思います。
運営しているクリエイター

記事一覧

【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-8

【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-8

 ティムの部屋でMくんと一緒に聴いた音楽は当時の僕にとっては本当に新鮮な情報ばかりでした。

当時はまだ自分の中ではジャズを始めて2年目。
ドラムで言うとBuddy Rich, Max Roach, Philly Joe Jones辺りから聴いたり真似したりし出して、丁度この時期ハマっていたのが60年代のElvin Jones, Tony Williamsでした。

現在進行形で演奏活動しているジ

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-7

【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-7

 後日SさんとサンウクとMくんと一緒にセッションをしようということで集まることになりました。

校内では授業の終わった後の時間に空いている部屋を借りて自分たちでリハーサルに使ったりセッションに使ったりできるのでした。

4000人ほどいる生徒の中でたまたま出会ったみんなでしたがびっくりするほど上手くめちゃくちゃ刺激的でした。
その後もこの顔ぶれを中心に連日暇さえあればセッションばっかりしていました

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-6

【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-6

 各授業も始まり出した頃、1140(イレブンフォーティー)という校舎の1階中心にある謎の広い歓談スペースで名古屋の専門学校からの留学生仲間を含む日本人軍団が輪になって話しているところを見かけたので顔を出してみました。

この歓談スペースでは時々キャンプの時に使うようなウォーターサーバーで飲み物が置かれていたり、自由に取っていいドーナツやらパンやらがあったりしました。なぜあるかは謎。

日本人の輪の

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-5

【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-5

 新年度始めにあたる9月は新規の留学生も多数いるため、学内のあちこちでセミナーのようなものや交流会のようなものが行われていました。

その中の具体的にどういった集まりだったかは忘れてしまったのですが(笑)とあるセミナーに参加していると「それでは英語にはまだちょーっと不慣れな皆さん!隣の席のお友達とまずは挨拶と自己紹介をしてみましょう♪」という地獄のような時間が開催されました。

ただでさえ人見知り

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-4

【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-4

 英語の授業が驚愕の6credit必要なことを宣告された僕、そして渡米前名古屋編でも登場したSさん、あともう一人同じ専門学校から単位交換してきた同い年のベーシストAくん。

この3名が6/16も単位を使う超初心者英会話コースに打ち込まれたわけです。

 さてその英語のクラスはというと、アメリカのアニメ(カートゥーンベットワークとか)に出てきそうな細身で高身長、トサカのようなカットの金髪碧眼先生が超

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-3

【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-3

 入学の最初の週になると、授業の選択という戦いの期間が始まります。

なぜ戦いかというと、この大学ではその学期に受ける授業を自分で選びます。そしてどの授業にも定員があるからです。

degreeという一般教養のあるコース(大卒資格)は16credit
diplomaという一般教養のないコース(専門学校卒資格)は13credit

という1学期で受けれるトータルの単位数(=credit)が決まって

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-2

【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-2

 スタバで同級生と落ち合うと、僕らより数ヶ月先に留学しに来ている同級生に会おうと誘われました。

入試の時点で、演奏などの実力的には合格のレベルではあるけれど、英語ができないために授業を受けるのが難しいと判断された生徒は、
入学の数ヶ月前から大学付近の英会話の学校に通うよう指示されるという仕組みがありました。

その同級生の彼は、それで先にボストンに来ていたというわけです。

ますます、僕はなぜ一

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-1

【備忘録:留学の思い出】2010年1学期目編-1

 アメリカの学校は9月から新年度なので、8月の終わり頃にボストンに着くように渡米しました。

すでに一度2008年に短期留学でバークリーには来ているため、渡米自体の緊張は全くありませんでした。

学校の寮に住む手ももちろんあったのですが、学校外のアパートに自分で住む方が安く上がると聞いていたので日本人のボストンの住居情報の掲示板から住むところを見つけてありました。

ボストンの部屋は基本ルームシェ

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編6

【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編6

 こうして無事留学も決まり、学校も卒業をした僕は一度名古屋の家を引き払い浜松の実家に帰ることになります。

アメリカの学校は新年度が9月始まりなので、日本の3月卒業からだと半年近く時間が空くわけです。

 この半年間は浜松に住みながら名古屋にライブがある時に1時間半ほどかけて車で通うスタイルでした。

浜松では母方の実家が古い家で敷地が広く、離れが空き家状態なっていたのでそこにドラムセットを置かせ

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編5

【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編5

 2009年、高校生のときに一度落ちて以来2年ぶりとなる入試の結果は合格と奨学金2万ドルでした。

専門学校内では1万ドル取れれば上出来と言われていた中、しかも一度落ちている身で2万ドルというのは喜ぶべき好成績だったのですが

正直当時学校のドラム科の主任T先生と僕の間で目標にしていたのは全額奨学金でした。

そのT先生はとても厳しいことでちょっと有名な先生で僕にももちろん厳しい指導がたくさんあっ

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編4

【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編4

 さていよいよバークリー入試当日がやって来ました。

試験官は副校長と講師のギタリストの2名でした。

 「ではまず自由曲から」ということで、前述の「Face to Face」をします。

演奏が終わって試験官の二人はきょとんとしてました。

「このドラムパート、自分で作ったの?」

と聞かれて、「はい、即興の部分も多いですが」と答えると二人は顔を見合わせてオーマイガーみたいな顔をしてました。

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編3

【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編3

 バークリー音楽大学は入学試験の試験官チームでワールドツアーを組んで、世界中に試験を開きに行って回ります。

校内に入試に関する部署があって、そこに所属する人も元々実際に校内で楽器を教えていた先生が移動で入っていたりと基本的に楽器ができます。

その部署の先生方、副校長、あとその年によって選ばれるバークリーの講師陣数名がチームになって世界中の国に入学試験をしに行きます。
それと同時にワークショップ

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編2

【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編2

 2009年、専門学校の2年生になった僕は夏休みの時期にバークリー音楽大学の入試を受けます。

僕の通っていた学校はバークリーへの単位交換の制度を持っていました。
当時は国内に大学が1校、専門学校が2校、この制度を行っている学校がありました。

簡単に言うとバークリーの1、2年生の授業内容を日本の学校で受けれて3、4年生から編入できるという流れです。

ですが編入自体が保証されているわけではなく、

もっとみる
【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編1

【備忘録:留学の思い出】名古屋専門学校編1

 2008年、ちょうど夏休みの時期に名古屋に帰って来た僕はこの後、残り約1年半の専門学校生活を送ります。

この時期に前の投稿で書いた、M先生とJ先輩とのトリオだったり、「名古屋vs関西」だったりのライブが定期的に続き、
他にもお店のブッキングで、店のマスターが決めたミュージシャンの組み合わせで色々な人と演奏させてもらったりしました。

こういった初めましてのメンバーとのライブになるとだいたい譜面

もっとみる