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殿方の介護からガチ介護まで。裸で向き合う仕事で15年のリアル。

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最近の記事

骨折、引っ越し、全介助

子供の不登校で悩んでいたら、アパートの大家が変わった。 と同時に退去とのこと。家賃よりも駅から近いことやすぐに手続きが終わるのを優先した。子供のプレイセラピーは続いていたし、母親が引越し!引越し!と大騒ぎするのをどうにかしたかった。 物件はすぐに決まって、鍵を貰ったので母親を連れて行ったら転んで骨折した。 騒ぐことなく救急車を呼んで診察。忙しいから最短で手術、可能な限り長期での入院をお願いした。 毎日かかってくるくだらない電話。飲み物買ってきて、も他人に言えない母親。

    • 理由のない、しね

      子供が不登校になったきっかけは、同級生からの理由のない発言。 毎日、通りすがりに 死ね 馬鹿 うざい と言い続けられ、一年生の秋に我慢の限界が来たようだった。 学校も自治体も何もしてくれなかった。 それどころか、子供が不安定なのは家の中の問題、と教育相談室の診断書に書かれた。 暴言は暴力ではなく 殺意を込めた発言は恫喝でもなく 過剰に反応したあんたの子供がおかしいんじゃないの? が、当時の学校と自治体の結論だった。 納得がいかない。何がおかしいのか、小児心療内科で

      • 介護という仕事

        離婚してすぐ初任者研修を取ることにした。履歴書の空白が多過ぎる不安と、学歴がなくても何とかなる、とハローワークで勧められたから。 最初の施設ですぐに利用者からセクハラされた。施設長に話しても無駄だった。 なので痛客対策モードで対応すると優しくないだの、声掛けが厳しいだのと喧しい。 ただ外国人ヘルパーが多く日本人というだけで優遇されていたので、嫌な利用者のところには行かないというズルをしまくった。 その後、訪問介護の時給の高さに釣られて鞍替えしたものの、正社員になってす

        • はりぼてのしあわせ

          子供の父親とは初対面から合うところが多かった。何回かデートをして、お互いの親にも会って、私は専業主婦という属性になった。 母親も付録でついてきて、近場でパート先を見つけて働きに出たり、最初は良かった。 お互いの親の過干渉が原因で、私の中の沈めておいたものが出てきてしまった。 子供には絶対同じ思いをさせたくないのに、過干渉親に育てられたからなのか、今日は寒いから、暑いから、と夫に言われ家に閉じ込められる感覚。 謎の家族イベントが多く、隅から隅まで覗かれてるような気持ちに

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          束の間

          世の中がひっくり返るような事があって、私は母と同居する事を強いられた。 それまで私には金の無心しかしてこなかった母親が、甲斐甲斐しく家事をして、私の世話を焼いている。 気味が悪い。5000円だけ置いて三日くらい家を空けると、知らない土地での不安からなのか涙目で文句を言う母親を見ていた。 馬鹿な人。親の言う通りにしか生きられず、そこから抜け出したくて父親に縋って、その父親に子が犯されてるのも知らず働き続けて、その子供がどうやって稼いでるかも知っているのに金の無心を続けて、

          束の間

          PTSD

          心的外傷後ストレス障害 何の話?と思った。 先生に紹介された場所は精神科で、お絵描きをさせられたり、生い立ちやら何やら色々聞かれた。 で、今日からこのお薬を飲んでね、が6種類あった。 どれも効いている感じはなかったけれど、ホストクラブに行くのは自然にやめられた。 ダイエットもしたし、化粧も楽しくなってきた。そんな時に風俗で仲良くしていた子が辞めてしまって、私はその子の紹介で吉原に行くことになる。 相変わらず薬は効かない。先生からは風俗をやめましょうと言われているの

          精神が崩れる

          キャバクラに飽きた頃、女の子に誘われてホストクラブに行った。 つまらないから行かない、と断ったのにしつこくて、ついて行った先にその人がいた。 キャバクラの給料だけでは会いに行けない。すぐに他の女の子に風俗を紹介して貰った。 でも、毎日は来ちゃだめ。と言われる。その代わりに、毎日会いに来てくれていた。 一度だけ映画を観に行った。隣で寝ていたくせに、最後良かったでしょ?と惚けていた。 煙草はやめなさいと言われても辞められなかった。 風俗と手持ちの人で休みなく働いて、1

          精神が崩れる

          客の質

          90年代のキャバクラは客の種類も色々いて、私は店選びを間違えた。 というかキャバクラは本当に向いていなかった。まず、媚びを売れない。 腋臭ですか?みたいな店の服を借りて着たのは良かったけれど、周りの人達の男に酒をねだる、が当時は謎だった。 それでも習うより慣れろ、で客がつき始めた頃、同時進行で昼間やってた売春で太客と呼ばれるものができた。 夜の店にも来てくれるし、同伴も新着デーもドレスデーもその人が同伴で買ってくれたものを着る。 自然に客の質が上がった。ヘルプで着い

          客の質

          クズとの生活

          そんなこんなで身元引受人の家から出てしまったもうすぐ18歳の頃、彼氏ができた。 ホンモノのクズなので内容はフィクションだと思われがちだがノンフィクション。なんと、私の売春を管理しつつ、その売上で生活を成り立たせた上で、私には避妊せず中出しするというクズオブクズ。 で、まんまと妊娠した。これはまずい。いろんな意味でまずい。私の遺伝子なんて世の中に遺してはいけない。 渋谷の病院で堕胎しようと決めた数日後、ユニットバスの中でお腹が痛くなり、血の塊がたくさん出てきた。 痛いし

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          父性に触れる

          その日も何となく売春して、何となく遊ぼうと思っていた。 たまたま繋がったおじさん。自分の家でもいいかと聞いてきたので、ゴミ屋敷じゃなければいいよと答えた。 東京タワーのすぐそばのマンション。 おじさんは離婚したらしい。ベッドが2つある。 やることやったら泊まっていい?と聞いたら快諾してくれた。 その日は不思議なくらい眠れて、おじさんに起こされた。 おじさんは何やら真面目な顔で、このままじゃ良くない、身元引受人になるから実家に電話しなさいと提案してきた。 さっさと実

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          売れる軽さ

          私が始めて男と寝たのは14歳の時。10歳から父親が性的虐待を繰り返すので、そろそろ処女というやつをどこかに捨ててこようと思った。 やたらと処女に執着があった父親に対する、ささやかな反抗というやつだ。 手っ取り早く同級生でも良かったが、当時両想いだった男の子は部活と塾で忙しそうだったし、綺麗なものを汚してしまう気がしていやだった。 だからサクサクっとテレクラで探して、陰気だけど真面目そうな男にした。 連絡先教えて!というので幼馴染の家の番号を教えたら、すぐ電話したらしく

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          スペック

          今の子はスペックという言い方をする、所謂外見の良さ。 私は劣勢遺伝子だけを詰め込まれているので自己肯定感ゼロだった。 美しい姉とアイドルのような弟。 家族からも親戚からも、クラスメイトからもデブ、ブス、と呼ばれていた。 家出して暫く経った頃、下着を初めて専門店で買うことにした。 F65ですね〜 身長163センチ。Fカップ42キロの15歳。 売春して稼いだ金で、百貨店でメイクを習う。クラブで知り合った美容師にセックスと交換で髪を染めて綺麗にして貰う。 田舎から家

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          ミテコで売春

          今みたいにパパ活や立ちんぼするような時代じゃない90年代。 偽造テレホンカードを不法滞在の外国人から買い、フリーダイヤルに公衆電話からかける。 寒くても、暑くても、朝でも真夜中でも誰かに繋がる。最初は話して慰めてくれる人を探してた。 何度かやってるうちに、お金をくれた人がいた。 一回2万。安くも高くもない値段。 何時間も滞在する気がない男に宿泊でホテルを取らせて、私もう終電ないから泊まるね!と嘘をつく。 相手もわかっている。この子は18歳の女子大生なんかじゃないっ

          ミテコで売春

          底辺とは

          中卒 ミテコで売春 そのあと風俗 何とか辿り着いた介護というお仕事 怪我させられて退職 子供は不登校 そして毒親は認知症で年金がほとんどない 底辺とは私のことを言う

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