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君には不幸が足りない

ギラギラと、街の光が眩しい。
夜空にチラチラ煌めく星なんか関係ないように、ネオンの光を飛ばす東京・新宿の片隅。時刻はすでに深夜2時を超えていた。

終電を流した難民たちの何割かは、今夜もファミレスへ流れ着く。様々な人がまばらに、それぞれに時間を潰す。
昼間のスタバでMacBookを叩いてそうなオシャレ青年、友人たちと何かを真剣語り合っている青春真っ只中の若者グループ、表面が冷めてカピカピになった食べ掛けのドリアを横に置いたまま突っ伏し眠る御婦人……

そして数時間前に付き合うことに至った2人。今現在は別れるまで進展していた。
そのうちの1人、なんだか振られた形になっている側。私。31歳。卯年。
彼。36歳。なに年かはそう言えばまだ聞いていない。

ことの始まりは2ヶ月前。私は1人の男性と出逢い、デートを重ねていた。なんだかんだで3回目のデートで彼はこんなことを私に言った。


「この男どういうつもりなんだと思われるから言っておくけど、付き合ってもこのままでもどっちでもいい。自分は好きになるのに時間がかかるから」


恋人になるか友人になるかの分岐点で、決定権は私に託された。
正直、私も惚れやすいタイプではない。後々からやっと気付くことが多い。
すぐに返答ができないために保留扱いとなったこの案件、本日4回目のデート私は返答をした。3週間ぐるぐる考え続けた解だ。

「お付き合いしてみましょうか」

ダメだったらダメでそれでいいと思っていた。
まさか数時間後にダメになるのは予想外であった。

「君には不幸が足りない」

頭の情報処理速度がいつにも増して遅い。
彼の言葉の意図を読み取ろうとするも、遠くでめんどくさそうに接客する男性店員のメガネが曲がっていることが気になる。なんで曲がったんだ。さっき注文取りに来た時は曲がってなかったろう、バックヤードで殴られたのか。そんなこと気にしている場合ではないのはわかっている。

彼の言った言葉の9割は、ほぼニュアンスでしか記憶していない。
ただ言いたいことは、処理落ちした脳でもなんとなく理解していた。
彼に映る私は、幼く、浅く、狭い部分で大した苦労や経験もなく、舗装されたアスファルトを目立った傷もなく難なく歩いて生きてきたように感じたのであろう。

「幸せなんだよ」

「合わないよ」

「俺じゃないよ」

「もっといい人いるよ」

「良ければ相談のってやるよ」

「明るくいこうよ!」

ムカつく。
非常にムカつく。
「締まっていこうよ!」みたいな野球部員の言い方がものすごくムカつく。

それはそれとして、体良く断られているのだ。
爪楊枝でチクチク心臓を刺されているみたいで、いっその事ナイフでズドンと、一発で殺してくれたら良いのにと思う。

不幸の容量でお断りされるなんて思いもしなかった。
まあ問題はそこから生まれ持つ価値観の違い、と言うことなのだろう。

足りない不幸とはなんだろうか。
各々が経験してきた不幸に、質の上下なんてあるのだろうか。
不幸な環境下でそれを不幸とも自覚せず生きてきた人間は、自覚がないため同じように不幸が足りないと言うことになるのだろうか。
アイツはメガネが曲がっていることに対して、なにかしらの不幸を感じているのだろうか。

彼が具体的な説明を始める。
要は心がぶっ壊れている人、ものすごい不幸を笑って話せる人のような。
自分と同じ価値観・深み・色・グラデーションを持ちあわせ、共感できる人がお好みなようである。そんなの私だってそうだ。

そうかそうか。
色鉛筆でいうと、彼は500色。フェリシモ。
私は12色。無印良品。
そら物足りないわな。色に深みが足りないわな。
私が彼に対し今まで表現してきたことは、ひどく幼稚で軽薄でつまらないものに見えたのだろうな。

今現在の彼には、私の手のひらには12色しか握っていないように見えるのだろう。
人は言ったことより言わなかったことの方が大半だ。
私のカバンの中、スカートの両ポケットの中、ジャケットの襟の裏、黒柳徹子の髪の中、隠し持つ場所なんて体中たくさんある。
「あかいろ」が実は「傷心のティラミス」かもしれない。

確実に12色以上は持っているが、今更どう他の色鉛筆を自然に見せられるかはわからない。「見てコレ!!すごいでしょ!!」と主張して歩くタイプではない。

時刻はもうすぐ5時。そろそろ始発電車がやってくる。
閉店時間が迫り、曲がりメガネに入店を断られている外国人観光客。
ちなみにここのファミレスは5時に閉店し、開店は5時45分らしい。
23時間15分営業。ほぼ24時間営業と言える中、頑なに守るその45分の内情を知りたい。

外に出ると空は既に明るくなっていた。
ギラギラした街灯も消え、まるでギャルメイクを落としたすっぴん可愛い女子みたいな、そんな空気が街に流れていた。
本当にそろそろ寝た方がいい。浮かんでくる例えの精度がどんどん下がっていく。

そもそも彼の言う不幸とはどう言う種類のものか。定義はなにか。
環境的なものか、災い落ちたものか、自ら呼び込んだものか。
彼自身は、どう不幸が足りているのだろうか。
彼が一体何色の色鉛筆を持ち合わせているかは、今の私には全然測れない。
500色も持っているようには感じられないが、彼だって同じだ。
言ったことより言わなかったことの方が大半なのだ。

わからない。
そう、わからないのだお互い。相手のことを深く知らない。
31年と36年生きてきたうちの、たった4日にも満たない時間。
早計、ただそれだけなのだろう。

そうかそうか。

青白く澄み渡る空を、縦に遮るビル群の灰色。
どこかで鳴いている鳥の声。
足元に転がるポイ捨てされたストローの赤。
今日も世界は美しい。

処理落ちし固まったままの脳は、泥のような睡眠を経て再起動をした。
手荒い終了作業をしたせいで、データの一部が消えたようだ。
でもそのおかげで、とてもスッキリした目覚めを迎えた。

全ての執着がドラゴンボールのように四方八方へ飛び散り、なんだかどうでもよくなった。再度集める旅など出たくもない。
シェンロンなんかどうでもいい。

「君には不幸が足りない」
足りなく見えるのならそれでいい。
価値観が違うのならそれでいい。

彼が下す評価に、私が争う必要はない。
カバンの中、スカートの両ポケットの中、ジャケットの襟の裏、黒柳徹子の髪の中、心の奥底。

自分だけがわかっていれば、もうそれで良いのではないか。
認めてもらえなくとも。

少し開けた窓からはミンミンゼミの声が聞こえる。
彼らは今日も懸命に、一つの目的の為ただ命を削っている。私とミンミンゼミの価値観は到底違うが、私はミンミンゼミのことが好きである。

そんな感じで良いんじゃないか。

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