見出し画像

よみにくい文章との運命の出会い

たすけて! いま読んでいる本が読みにくい!

というわけで(?)今回は、このネガティブに過ごす時間を少しでも有効活用するため、また日々よき文章との出会いを求め彷徨うnote民のみなさまのためにも、読みにくい文章とはなにかを考えることで逆説的に読みやすい文章を書くコツを見つけていきたい。という記事です。

まちがいなく素敵な出会い

ぼくは、これまで数多くの本をなんとなく読みかけてはどっかやっちゃってきました。でもそういうのって「自分には合ってなかった」とか「求めていたのと違う」という結論に至りがちで、なかなか「この本は読みにくい」とは思わないものです。

なにせ、もともと「あったらいいな」と思っていたテーマの本に運よく出会えたのですから、間違いなく「自分に合っている」「求めていたもの」なのです。言い訳はできません。昔の偉い人も言っていました「言い訳は、いいわけ」と。

だが、出会ってしまったのです。

なお今回の記事では、本や著者を批判したいわけではありませんので誰が書いた何の本かは秘密です。内容的には日本のアニメについての本で、哲学だの科学だのといった難解であたりまえのものではありません。

ただ、輝かしい日本アニメの歴史をぼんやり振り返るような内容でもなく、ちょっとおかたい側面について分析しています。それはわかって、むしろそれを期待して手に取ったので、アニメの本といってもライトな文体を期待していたわけではありません。

違和感① ギャップ

最初に気付いた違和感は、内容と文体のギャップです。

アニメの本とはいえ"分析"をしているので「難しい本なんだろう」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。前提として何かの知識がいるわけでもなく、理解しがたい概念が出てくるわけでもなく。アニメの本であり、難しくもないのに、文章がかたいんです。

ただ、日本は作り手以外もアニメに対してすごく熱心な国で、アニメ評論はずいぶん深いらしいんですよね。ぼくはそういうのにまったく興味がないのでひとつも読んだことはないのですが、ひょっとするとアニメ評論の世界ではこのかたさが普通なのかもしれません。知らないけど、きっとそうです。論壇で牽制しあう以外で、誰が得するのかわかりませんが。

仕事でたまに大学教授が書いた社会問題に関する本や、官僚が書いた冗長な嘘を読み解く必要が出てくることがあるんですが、そういうのと同じかたさ。あるいは、それらの方が読みやすいかもしれません。ややこしい社会問題などについて、"一般人"をターゲットにして解らせたり騙したりすることが目的の本は、意外とやさしいですからね。

違和感② ターゲット

ターゲットの違いは重要です。ただ、ターゲットのズレについては「ズレてたこっちが悪い」としか言えないこともあります。新作プリキュアの内容についておじさんがケチをつけるようなことは決して許されませんからね。

そういえば先日、調べもののために図書館で同じテーマの本を2冊借りてきたんです。どちらも「高校生への主権者教育」を語る"おかたい本"ではあるのですが、1冊はスラスラと読み終わり、もう1冊は地獄の読みにくさでした。読みにくさの"よみ"って"黄泉"から来てるんですね~。ためになるなあ。(ウソです)

なお、スラスラ読めた前者は「高校生でも読めるように」と書かれたもので、地獄の後者はおそらく教員向けに書かれたものと思われます。

あ……と思って、アニメ本の巻末で著者プロフィールを確認したところ、著者はアニメ評論家で、先生もされている方でした。そうかー。

著者とターゲットの距離が近く、同質になると、先生同士や評論家同士の語り合いみたいになり、自然と文章におけるコミュニケーションが減っていきます。そして、それは文体に露骨に現れます。

違和感③ 無感情

評論というか論文というか研究報告みたいなものでは当たり前なのかもしれませんが、感情に欠けた文章は非常に読みにくくなります。アニメ本はそれです。

もちろん感情といっても「~とあってバカバカしい」とか「~は最高です。神です!」といった剥き出しの想いが必要なわけではありません。ここで言う感情とは、「ただ」「ところが」とか「しかも」あるいは「なお」、「もちろん」といった程度のことです。筆者の"感覚の現れ"とも言えます。

上記のような接続詞は、ちょっとしたアクセントにすぎません。でも、あるとないとでは大違いです。

本や文章を読む行為は、語り手と読み手のコミュニケーションとも言えます。著者は黙って聞いてくれている読者を想定して話を聞かせますが、そのとき読者の気持ちを動かすために、共感を呼んだり、予測させたりしなければ耳を貸してくれなくなります。

例えば……

「アメリカ人は海を渡った。イギリス人は山を登った」

という文章では、アメリカ人とイギリス人は別々の行動をしていますが、「別々の行動をした」という情報は書かれていません。データを羅列することで情報(意味)を浮き彫りにするタイプのわかりにくい文章です。しかも、最後まで全部読まないと内容が伝わりません。

これを、

「アメリカ人は海を渡った。ところがイギリス人は山を登った」

に変えると、「ところが~」の時点で読者は「なにをしたんだろう?」という疑問を持ち、続けて「~山を登った」と答えをもらえます。一方通行の文章でありながら、筆者と読者の間にはコミュニケーションが成立し双方向性が生まれています。

あるいは……

「アメリカ人とイギリス人は仲良しだ。アメリカ人は戦に備えた。イギリス人もあとに続いた」

という文章は、著者が一方的に3つの事実(仲良し+アメリカ人は戦+イギリス人も)を述べています。ただ、最初に「仲良しだ」と伝えているのだから、両者が同じ行動をとるとあらかじめ予測できます。今度は逆に、最後まで読む意味を感じられません。

これを、

「アメリカ人とイギリス人は仲良しだ。アメリカ人は戦に備えた。もちろんイギリス人もあとに続いた」

に変えると、読者の予測(イギリス人も戦に備える)を「正解です!」と肯定してあげることができます。そう、読者は読んでいてうれしくなるわけです。意識しないほど、ちょっとだけですけどね。でも、それが重要です。

こういう些細な気遣いが、このアニメ本には足りていません。本自体が、「一方的にしゃべり続ける上司」みたいになっているのです。

もちろんまじめに学問や研究に取り組む方々は、多くの事実をつかみ、それを根拠に過不足なく論説を伝えることを必要とされるのだと思います。そして事実を伝えるためには「自分を出すな」というのがセオリーなんでしょう。

でも……アニメの本だし、ねえ。

というわけで2ページ読むのもひと苦労で、まだ読み終えていないのですが、テーマ自体は関心があるので必ず最後まで読み通す覚悟です。

ただし! この本についてはブックレビューを書きません。似たような本をほかにも読むとは思えないので、レビューを書いたら「これのことか!」とわかってしまいます。

なお次回は、この地獄読書の合間に寝室で見つけた本との「よみやすい文章との奇跡の出会い」をおおくりする予定です。「寝室で見つけて、なにが奇跡じゃ」という気がしなくもありませんが、いいんです。読みやすい本の秘密を探ります。

(つづく)


この記事が参加している募集

読書感想文

noteの書き方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?