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【創価学会】オンラインでしか会合に出ません!!

リアルのコミュニケーションは疲れる。こうした人は一定数いるのではないか。実を言うと私はそういう人間だ。だからコロナ禍において、テレワークやオンライン会合がスタンダードになったことがとてもありがたかった。

学会活動においても、オンライン部活やオンライン座談会、オンラインでの対話が基本となり、対面のみだったときより健康で生き生きと活動できるようになった。

また、移動時間が無くなったことも大きい。会合に間に合わなくても、ミュートカメラオフで会合を見ることだってできる。それに、対面だと1時間の会合のところ平気でオーバーしてしまうのが普通だったが、会合自体が30分できっちり終わるようになり、短時間で濃密な時間を過ごせるようになった。本幹もスケジュール調整必要なく、好きな時にリンクから見れるようになった。

以上のように、コロナ禍において学会活動に取られる時間が非常に少なくなった。また、体力も温存することができるようになったため、私のように疲れやすいタイプの人間が活躍することができた。

以前は、それこそ会合出るのが精一杯で、帰ったらバタンキュー。その繰り返しだった。それが、必要最低限の時間の会合に参加し生命力を漲らせ、仕事や友人との対話、勤行唱題に打ち込めるようになったのだ。私にとってコロナ禍で対面での会合がなくなったことはいいことづくめだった。


もちろん、対面での会合のメリットも大いにある。対面だからこそ、誠実さや熱意、気持ちが伝わる。それによって奮起する人もいる。集まること自体が好き、会合が終わった後のインフォーマルな場でのだらだらとした時間で友好を深めることができるという人もいる。私はそうした面は否定しないし、学術的にも検証がなされている。

松原ほか(2003)では、組織において自然発生的にできた”溜まり場”でどのようなインフォーマルコミュニケーションが行われているか経過観察を行った。その結果、溜まり場は居心地をよくすることが推定され、インフォーマルコミュニケーションの触発に有効だと結論されている。(注1)

実際に対面の部活だとお菓子などが出され、リラックスした雰囲気で信仰される中で、それらの空間を媒介に、部員がコミュニティに溶け込んでいく光景がよく見られる。その場の居心地の良さを信仰心に繋げていくノウハウが創価学会には蓄積されている。


そうしたものがコロナ禍で失われ、思い通りにいかないと嘆く男子部員もたくさんいたと聞く。実際コロナ禍になってそれ以前と変わらずに学会活動に励めていた人は大きく減ったと地元幹部からは聞いた(コロナ禍での収入源により、より働かねばならなくなった人や対応を迫られた結果、学会活動に励めなくなった人もいると思うが、単純にモチベーションや目標を見失った地元幹部もそれなりにいた)。

一方で、幹部の中でも無計画な打ち出しや無駄な打ち合わせ、会合を跨ぐことでの時間喪失がなくなったことで、いやいややっていた学会活動が楽しくなったという総区幹部もいた。恐らく、打ち合わせが激減したことで楽になった幹部はたくさんいるだろう。

例えば地区協議会を見ても、ほとんどが婦人部の活動報告的なおしゃべりで時間が過ぎていく。本当に時間の無駄だと思いながら愛想笑いをしていた。決めることは10分で決まるのに1時間30分も毎回時間をとられていた。それがなくなるのだ。これほど画期的な会合革命はない。
常々池田名誉会長は「会合と個人指導の割合は2:8」と言っていたが、コロナ禍に直面し、オンラインに移行せざるを得なくなったが故に、ようやくその言葉を実現できたのだ。


その流れが、感染者数の減少に伴い変化している。

対面オンリーでの会合が増え始めたのだ。
座談会や男子部の総区幹部会などは会館で行われるようになった。以前はハイブリット式の会合もあったのだが、今は対面オンリーだ(部活などの小単位の会合や区単位の人間革命研鑽会はオンラインでやれている)。

対面の会合じゃないと行く気が出ない人もいると思う。でも、オンラインでの会合じゃないと出れない人もいる。ならハイブリットの形式をとればいいじゃないかと思うのだが、なぜかそうならない。

オンライン会合のメリットに、ノイズキャンセリングや字幕・音声文字変換アプリの活用などがある。ZOOMはデフォルトでノイズキャンセリングをしてくれるし、UDトークなどのアプリをスピーカーにあてれば、文字起こしをしてくれるので、耳から情報を得ることが疲れる人でも楽に参加できる。
また外出困難な人や家事育児で忙しい人も参加しやすいというメリットがある。
それらのメリットを切り捨てて、対面オンリーに移行するのは解せない。


そんな中でも朗報は、新年勤業会が今年も行われないことだろう。新年勤行会があると、着任のための人員確保が必要だし、準備打ち合わせにてんてこ舞いになってしまう(私は着任したことがないので無関係だが)。去年に引き続き今年も各家庭で勤行会を、とのことだが、もうこれでいいのではないか。

創価学会の活動が多様化しているように、学会員一人一人の生活やライフスタイルも多様化している。その中で創価学会だけが変わらずにいることは時代遅れの烙印を押されても文句は言えない。元々着任については一部の会員に負担がかかっており、特に地方だとそもそも人がいないこともあり限界が見えいていた。
着任や会合の在り方の見直しは必須ではなかろうか。


そんなこんなで私はオンラインの会合と対話しかしていない。
その中でも勤行唱題は欠かさず続けていて、友人との対話も継続的に行っている。聖教新聞も目を通し、余力があれば大白蓮華などの機関紙を読んだり教学研鑽に励んでいる。
そういう活動の仕方があってもいいのではないか。なにか学会員としての生き方のステレオタイプが存在し、それに近づけないことで苦しんでいる人が多くいるのではないか

私は過去に精神疾患を患い今も服薬が欠かせず、生活に制限がかかっている。そんな中でも、目立ちはしないが地道に自分らしく活動を続け、目の前の一歩一歩を進んでいく。そんなあり方が評価される時代を作っていく。
それが私の人生だ。その実践に人生を賭けている。

オンラインの会合にしか出ない。
その言葉だけ見ると「甘えてる」とか言われそうだが、会合の形式一つとっても大きな問題をはらんでいることをご承知いただきたい。


(注1)松原孝志、臼杵正郎、杉山公造、西本一志:言い訳オブジェクトとサイバー囲炉裏:共有インフォーマル空間におけるコミュニケーションを触発するメディアの提案