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胸中唱題オンリーに切り替えて幸せになりました

2年前から私は胸中唱題オンリーにしています。
理由は、大学生の頃から御本尊の前に座るのが苦痛で仕方なかったからです。御本尊の前に行くまでも大変だし、座り続けるのも大変だし。
当時は、「これが魔だ!!」と考え体に鞭を打ちながら2時間3時間とあげていました。

しかし、体調を崩し布団から動けない日々が続くようになりました。そうなると布団の上で胸中唱題するしかなくなるんですよね。

指導では祈る姿勢とか言われておりますが、御書の中には勤行唱題をする際、姿勢などのやり方について「こうしなければならない」というものはありません

仮に御本尊の前に座ってても眠りながらするのと、布団の上で真剣に胸中唱題するのはどちらがいいのでしょうか。

社会人になってからも体調が良くなったり悪くなったりが続き、中々御本尊の前に座ることが難しい日々が続きました。

そもそも私は、少なくとも小学生の頃から心身の不調が当たり前のように続いていました。それが祈るきっかけにもなっていたのですが、自分にとって健康とは不調が当たり前のものでした。普通の体調が不調だったのです。

そんな状況が30年近く続いていた2年前、男子部大学校生が中心となって、方面男子部幹部会の合唱の練習をした際のことでした。
その日は練習と指導が合わせて行われました。その時来ていた方面大学校団長に「どうしても御本尊の前に座るのが苦痛なので、胸中唱題に専念していいか」と質問しました。

その方は、小学生の時から毎日朝晩の勤行唱題を欠かさない人だと紹介されていました。
様々やり取りしましたが、結果的にはお墨付きをもらいました。
ただ1つ「ながらではなくて、胸中唱題に専念すること」と指導いただきました。

まあ、わざわざ指導を仰ぐ必要は無かったのですが(御書に形式は関係ないと書いてあるし)何故聞いたか。

それは、自分と同じような人が沢山おり、その人たちのための道を切り開く使命が自分にはあると決めていたからです。
だから、独断専行ではなく、確認をとる必要があったのです。方面男子部幹部会に向けての戦いの中で、毎日の勤行唱題を小さい時から欠かさない人が来たこと自体、何かタイミングや縁を感じました。

それからというもの、朝晩の胸中での勤行唱題に専念するようになりました。
するとどうでしょう。
あれだけ苦痛だった勤行唱題が、全く苦痛なく清々しくあげられるようになったのです。
それだけではありません。
清々しい朝晩の胸中唱題を続けていくことで、30年近く悩まされた体調不良がいつの間にか消え、「特に不調のない普通の体調」という感覚を人生で初めて感じることができました

これはめちゃくちゃ嬉しかったです。一方で、「普通はこれが普通なんだから、努力とかそういうのもっと楽にできるんだなあ....…」と、複雑な気持ちになりました。

ともかく、「健康とはこういう感覚なんだ」という気持ちを味わえたのは私の悲願でした。
20代は「広宣流布のため自在に動ける体をください」と祈り続けた10年でした。
そしてそれを獲得できて過ごす毎日がどんなに喜びに満ち溢れていることか!

人は歳をとる事に時の流れが早く感じると言いますが、私は逆です。
日に日に一日一日が濃く長く充実してきています。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、昨日のことが1週間前のことのように感じられます。

さらにその後、転職に成功。また、大学時代にプロポーズした女性から「一緒に住みたい」と言われました。
まさに、自身の祈りが変わることで人生が変わることを感じています。


胸中唱題オンリーで生きる。
そう決めて祈って行動した結果、私の人生は大きく開かれました。
30代の目標は「人間らしく生きる」です。
これまでの30年は自分と戦い続けてきた30年でした。
これからの人生は、社会に打って出て勝負できる人に成長していきます。
そして、自分と似た境遇の1人でも多くの人に、希望を与えていけたらと思います。

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