辺境反縮逃中記 1日目(2020年2月23日)「余計なことまで思い出して」

(2020年03月07日の前のブログの投稿より転載)

 「愛する者よ、我なんぢが靈魂の榮ゆるごとく汝すべての事に榮え、かつ健かならんことを祈る」(『新約聖書』「ヨハネの第三の書」1:2)

 顔、佇まい、とかじゃなくて、後ろ姿のかっこいい人になりたいように
 旅も、何おいしいものを食べたか、なんの絶景をみたか、じゃなくて、旅で何を考え、何を好きになり、何をわかり、何をもってきたかを大事にするように
 元気か、というより、俺は、幸せか、最近悲しかったことは、とか、恋愛観とか、最近自分の人生を揺るがした事件、成長した部分、直したい部分、嫌いな人、好きな色、一日のスケジュール、ほしいプレゼント、恋人、悩み事、俺に想うこと、海が好きな理由、旅先で必ず買うもの、水族館に行った回数、行ったことのある島、知る限りもっともやさしい人、感動した瞬間、行きたい国、やってみたい楽器、興味関心、最近読んだ雑誌、明日着る服、誰かがやって欲しい料理、知らなくていいもの、知らない方が楽しめるもの、激しく走った経験、箸の使い方、自分しかしらない秘密、俺に教えたいこと、自慢したいこと、死ぬほど繰り返して聞いた曲、りんごのむき方、ちいさな癖、行儀悪いと怒られたこと、最近やらかしたポンコツなミス、最近困ったこと、最近もっとも神経を奪われたこと、最近苦しんだこと、誰かとした喧嘩、感動した飲み会、涙を流した一番くだらない理由、旅行で必ず買うもの、戦っていきたい対象、さびしくはないか、ご飯はしっかり食べているか、年に愛していると好きだよは何回いっているか、何かが恋しくなる夜はないか、あらがってもがいていること、折れず譲れず曲げずのこと、戻りたい場所、人やものや楽器や場所に恋して、病んでは熱を出してしまった経験、地図を見ていたら地名が気になって気になってしかたなくてもはや故郷のように感じた経験、一番最近つけた日記の日付、一番最近使ったノートにつけた名前……。
 久々に邂逅した人に、そういうことが聞きたい。
 俺とあっていないうちに、どういうことがあったのか、あなたはどういう成長をして、何を自慢できるような人になったか、あなたの話したくて仕 方がないイシューはなんなのか。
 それが、人の人生を語ってくれるという考え。
 元気だ、とか、ぼちぼち、とか、特別なことはあまりなかった、とか。そういう当たり前なことがききたくてじゃない。
 ありのままの、あなたが歩んできた道を、教えてほしい。
 ただの話のネタじゃないよ。
 小さいことでも、あなたを構成・形成した事件。日常の営み。そういう姿を話で聞いて想像した方が、あなたと仲良くなり、あなたの人生に踏み込める気がする。それは、俺の人生に密接している―というよりも、俺の人生そのものだと思う。俺の人生は、まわりの人の物語で再構成される。俺は人によっていかされる。俺の人生、俺の命に刻まれた使命。愛すること。恋すること。「たとひ我もろもろの國人の言および御使の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や響く鐃鈸の如し。假令われ預言する能力あり、又すべての奧義と凡ての知識とに達し、また山を移すほどの大なる信仰ありとも、愛なくば數ふるに足らず。たとひ我わが財産をことごとく施し、又わが體を燒かるる爲に付すとも、愛なくば我に益なし。愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、非禮を行はず、己の利を求めず、憤ほらず、人の惡を念はず、不義を喜ばずして、眞理の喜ぶところを喜び、凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。愛は長久までも絶ゆることなし。然れど預言は廢れ、異言は止み、知識もまた廢らん。それ我らの知るところ全からず、我らの預言も全からず。全き者の來らん時は全からぬもの廢らん」(『新約聖書』「コリント人への前の書」13:1~13:9)
 とても、あなたの人生に興味がある。それが、俺の人生にも影響するという意味もあるけれど、ずっと、長い間、あなたのことを、考えてきたからだよ。あっていないうち、少なくとも一晩ぐらいは、あなたを思い出した夜があったんだよ。それで、時には喜び、時には懐かしくなり、時には悲しくなった時間が、あるんだよ。
 それを俺は人間欲と呼ぶ。あなたのことがもっと知りたいと。もっと欲しいと。あなたも俺のこと知ってほしいと―だからこそ、わざとここに旅日記を連載し、リンクをばらまく理由がある。それがない人とは、あまり話しても面白くないし、友達になれない、外堀ばかり。そんなきがする。そんなつもりにつもってきた時間を考えずに、俺らは友達としていられるのかよと。同じ理由で、俺は「私/俺はちょっと予定空いてないからみんなで楽しんで」をいう人は嫌い。なんて寂しくてつまらない人生をしている人だ。「私/俺も絶対行きたい。仲間だから。私/俺も入れて~私/俺も空いてる日にしてよ~」がいい。予定をつくっといて、空いてる人来いよ、もしくは合わせろよ(比較的に日本人はこっちに近い気がするけど)は、腹が立ってならない。みんなの空いている日を聞いて、一人でも多く、できればみんなが来られる日にすべき。それを聞くほども人が好きじゃないのかよ。じゃ一生独りで暮らしていけばいいじゃん。しょせんその程度にしか人と接さないの?と、過激だけと思ってしまう。そして、そんな配慮ができる人は、素敵な人に違いないと思う。もちろん、そのせいで、俺は逆になかなか予定が作れず、気力を使ってしまい、あまりそういう席が作れない人間だけれど。ちなみに、俺が嫌いな人間のタイプ残り三つは、「俺のいなかった飲み会の話を俺の前でするやつ」「飲み会で俺の隣はさけようとするやつ」「一次会終わって、二次会いこうやーといっても、なかなか乗らず、一次会場の前でプチ二次会だけいっぱい楽しんでそのまま二次会参加せず帰るやつ」だよ。人が好きだから。あなたのことが知りたいんだから。ゆっくり飲んで、ゆっくり話して、すこしは崩れたあなたの姿も、ぜひみてみたいもんだから。そんなものもせずに、人とつながれるだろうか。俺は違うと思う。相手を理解しようとする(それが究極的には不可能ではあるが)努力すらないやつと、どうして友達になれるの。俺は、そしてあなたは、話で構成されてる生き物。ならば、あなたと友達になりたい、ということは、あなたがどのような人かわかること。あなたがどのような人かわかることは、あなたの話を積極的に浴びること。それに耽ること。断じて、そのような欲望がない人間は、人でなし。人間関係は、そのような形で存在し持続するものだと、信じてやまない。ちなみに、そのような欲望はあっても、表現できない人はまだましだけれど、結局一緒だと思うのだ。俺もどちらかといえばそちらかもしれないが。だって、こころはまるで湯舟であって、水がたまると必ずいずれか溢れ出るものだ。溢れ出るほども、感情が満ちていないのかよ。ああ、こころは言葉にしないと存在すらしないよ。湯舟の外しか見えないよ。10000の気持ちをもっていて1しかいわない人よりは、100の気持ちをもって、100全部をいう人の方が、素敵との考え。その人間欲と人間欲が符合して、中島みゆき式でいえば、縦の糸と横の糸がやっと出会って、関係というのが成り立つのだろう。まるで受容と供給のように。それが、いずれは、あるいはいつもすれちがうとしても、またそれをつなぎ合わせられる唯一な手段は、それを軌道に乗せる努力、運命の自分自身の手で開拓しようとする、人間の力。その力は、こころから湧き出るもの。
 ―どうでもいい話だけれど、本当に恋もそうだ。堂々と自信げにいう告白も、それはそれなり魅力的だけれど、苦しんで苦しんで絞り出してやっという告白も素敵だ。自分のなかの湯舟に、水があふれすぎて、それに戸惑いながら、それでも仕方がなくて、操りようがなくて、結局、いってしまう、ではなく、出てしまう、そのような切ない告白。好きだな。その魅力を知る人、いませんか。あたりさわりのない無難な声はもう飽きたよ。ねばねばをくれ。ねばねばして、俺をとどめてくれ。関係とは、そのようにとどめて、とどまっていくものだからね。「とどまる」もそうだし、新海誠『言の葉の庭』で言及される万葉集の短歌「なるかみの すこしとよみて さしくもり あめもふらぬか きみをとどめむ」も、そんなことをうたっているものだと。
 ―ネバネバしていないと、誰もくっつかない。
 俺はネバネバ人間である。身にネバネバしているジェリーかプリンのような、緑の半液体の物質を纏っていると想像なされ。ジェリーやプリンより接着力のあるものを纏いたい。ネバネバしている人は、その粘性ゆえ、すれちがうだけでくっついてしまう。そのような人の背中には磁場があって、ひかれてしまう。背中は、ネバネバを語る。ぞっこん、といってもよい。人がすぐ好きになったり、すぐよそよそしい、みずくさい、と思ってしまったりすることも、ネバネバの魔法だよ。そうやって、豐に生きないか。俺と一緒に。ネバネバする人と衝突すると、個体人間とは違って、衝突していたいのではなくて、衝撃を吸収する。そして、向こうの色もすこし、こっちにうつる、にじむ、そまる。こっちの色も向こうに、またしかり。個体人間と衝突したら、痛い。はずむ。しかし、ネバネバ人間とは、衝突しても、俺を側においてくれそう。衝突すればするほど、くっついてしまうのよね。
 映画の関ケ原から。
 (前田利家)「好きとなるとぞっこん打ち込むのがお主だ。あそこに欠点もある」
 (石田三成)「ぞっこん打ち込むのは悪いことですか?」
 (前田利家)「自分はこれほど好きだ、だから相手もその分好いてくれて当たり前だと思うのだ。将のうえの将になるには、純粋すぎるやもしれん」
 俺は女々しい、子供っぽい純粋なところがたくさんある(いい意味でも、悪い意味でも)。ある意味欲張りで、ある意味天真無垢で、世間知らず。でも、子供っぽくてもいいじゃないか。俺はネバネバ人間で、ここは札幌だから。

 今回の旅が、3週間ほど。沖縄まで。長くなると計画し、スケッチブックを買おうと思った(この話はまたのちほど)。叶わなかったけど。
なぜかというと、俺のこころには、ページの終わらないスケッチブックがある。
 そのスケッチブックの一枚一枚には、友達の名前が書いてある。両面じゃない。裏面は、空いている。いつも、気にかかる人々。いつも思い出して、心配して、何かを祈る人のリストが、こころのなかにある。こころが折れたとき、そのページを一枚ずつめくりながら、俺の人生はまだ大丈夫とつぶやく。いいものをみれば、その人たちを思い浮かべる。逆に、誰かに思い浮かべられたい夜もあるんだから、懇切に誰かのスケッチブックに書かれたい、共思う。なにより俺を悦ばせるのは、この人のスケッチブックに、俺が入っているかも。そういった確信が得られたとき。それほど俺を、いかす瞬間はない。
 もちろん、そのリストから消される人もいるけれど、追加される人だっている。旅とは、そのページを改めてめくってみる行為かもしれない。この旅で、やっと俺のこころのなかのスケッチブックの存在に気がついた。これに気が付けたから、また旅行にあらず、旅と呼ばざるを得なくもある。
 嗚呼、旅が恋と密接につながっているのは、一番最初のページには、必ず好きな人の名前が、書かれているからである。
 ブラックリストじゃないよ。
 紙は、北海道の雪のように、真っ白なんだよ。
 寿命の短い冬の末。薄っぺらい恋をもって、俺はこういった気持ちを抱いて、旅立ったのである。

 俺の十代はなぜそこまで不安だっただろうか。
 俺の十代の恋はなぜそこまで情けなくて、洪水みたいだっただろうか。
 この文を書くにあたって、十代に書いた詩を読み返してみた。痛々しくて、とても読めない。「君を愛することはどういうことだったろうか―水たまりに足首まで入ったことみたい」「冬が来たら夏は忘れられるものよね」「愛しすぎて君の首に俺の首を吊って死んだ」「好きは羞恥で、会いたいは軽蔑で、愛してるは侮辱」「なんでも、それが悲しみだろうがなんだろうが、忘れるのは嫌すぎる。吐き出さねばならないじゃんその質量を。もう掌にある何かをぎゅっと握って手放さない、それが君の手だろうが魔王の陰茎なろうが、他のものを握ろうとしてもっていたものも失い忘れることは懲り懲りだよ、くそみたいな愛、悲しみもへったくれも所詮はすべて滅びちまうものだと思う、ならば楽勝、俺はそれを溺愛と呼ぶ」「涙なしではまだしも空笑いなしでは生きづらい世の中で、ちゃんと笑いつつ生きていく方法を教えてくれたし、今更白状するけれど俺の愛も豪雨のようにきては豪雨のように去るもの、君は永遠にわからないだろうけど、豪雨が降るたびに独りでじっと考えるので、理解しておくれ、敬語のように大切にするよ」「全てをささげようと思っては泣いてしまった日々/覚えるべきかなしき日々ばかり増えていって/到底読み解けないのはあなたとあなたの燦爛/健気で見てほしかった私と私の悲しみ/一時期はあかちゃんだった私が少女だったあなたに/たった数日でも誓いながら、誓いながら/はじめて目を閉じてまたあけても消えなかったお人/さらば、私のことありがたく見つめていたお人/肩は崩れそうだけど/王冠でも被らせてあげた我が主君(中略)私を恐れなさい、あなた/一つも役に立たないものだから/最愛の証として/私の追憶を開放しましたが/ごめんなさい、黒色すぎましたね?(中略)なかにある臓器が正常ではありえず/すべてさらけ出してなかをからっぽにすること/口から肛門まで風を通させること/必要ならもっていきなさい、去り際に(中略)さらば、私の鳥籠のなかの面目なきお人/私は私の読み方を信じません/憎しみは案外ほど近きこと」
 などなど…こういう言葉を、今の俺がみれば印象的。幽霊のような文。

 ある女の子を愛したことがある。溺愛というべきほどに。17歳の11月前後だった気がする。一緒に博物館に行ってきては、なぜか一方的に連絡を絶たれた。その何日か前に、予知夢のような夢をみた(ちなみに俺はすごく印象深い夢の話がたくさんある)。
 夢にあの子と河川敷を歩いていた。私、オニユリが嫌いなんだよね。といった気がする(すくなくとも夢の設定ではあった。実際は知らないけど)。両側には草がたくさん。突然、あの子が振り向いてこちらをみて、にこっと笑った。じゃ、またね。うん、またね。帰宅する時間だった。日が、暮れようとしていた。ああ、その微笑みがとてもいとおしかった。
 もっとも、あの子を送っていたので、夢のなかで俺の家は反対側。俺も帰ろうとして、挨拶をしたあと、後ろに。そこで。
 さきほどまで草だった河敷の道の両側。そこの草がすべてオニユリを咲かせていた。よりによってあの子が嫌いという花が。それで夢のなかで俺はわかった。俺はもう直にこの子にふられるだろうなと。涙ながら、目が覚めた。
 文学賞をもらったという阿修羅云々も、その恋頃に書いたものだ(った気がする)。
 11月中旬にふられ、一年くらい病んでいた。ピークの時にちょうど雪がたくさん降った。
 
「霰が溶けて黒い水に化し、感情をぼくが好きなあなたの黒髪のように染めること」

 雪が一つもモチーフの詩であった。
 ふられて、彼女の家の近くを迷ったことがある。
 河の近くで、雪が積もっていた。その雪が、ところどころ光っていて、砂糖のようだった。この砂糖で、パンでも作って、ケーキでも作って、あの子に食わせたかった。雪のうえに俺が残した足跡が、まるで君が噛んだチーズに残った、歯の跡みたいだった。あるいは、あたかも化粧した君の白い顔に、俺が足跡でアイラインを引いているみたいだった。
 または。「雪は私が人に刺々しかった時間のうえに降るのかもしれない」(イ・ビョンリュル「なにものでも、なにものでも」中)という詩もある。

 雪は、人のことに直結している。体の外にある、涙を司る機関。
 朝起きて、早速身支度をして、ご飯を食べて、ゲートまで。コロナのせいか、人は相当すくない。荷物検査や入管もすぐ。飛行機にのった。大したことは覚えていないけれど、大したことなかったということかな。
 新千歳空港に降りた。インフォメーションで札幌市内までの乗物を訪ねた。バスがあるという。13時半の約束で、今11時半頃だ。ほぼちょうどでいけるという。1階まで下りたら11時38分。42分のバスがあるという。バスに乗って、すぐ出発。空港をくぐりぬけたら

 雪国だった。
 
 「秋を越せたから元気に生きられるはず/秋は死にたくなる/落ち葉を踏むだけで死にえるという季節/屍ばかりつもる季節/ぼくの心臓に愛たちの腐っていく匂いでいっぱいでも/また一年は耐えていくよ/毎回趣味で別離ばかりしていた季節(中略)世界の半分は痛い言葉/人が好きになるたびに/心は錆びまくる/ガタガタするこころ(中略)秋を越せたから冬がくるよ/冬は強靭になる/ぼくの一生、常に吹雪ガンガン吹きまくる日々で/雪と風が好きだよ//このツンドラのどこかに/凍死したあなたの屍があるかな/皇帝の墓は探さない方がいいよ/ぼくはあとちょっとは生きたい//雪に耐えたから風になるよ/雪が塩のようにつもった地方にいけば/なんともしない人か/なんでもない人になれるよ/水葬された屍は浮かび直らない//春に地球自転軸当たりを吹いていけば/ぼくはたまに鳥の羣をみるよ/鋭すぎるくちばしのせいで/たまにはおなかが痛いときがある//おなかが痛いときにはぼくはたまに地べたに寝そべるよ/仰向きで寝そべって地球で最後に愛した/恐れ多くもあなたに関して考えたりするのよ/春がきたのよ」

 旅で、新しく好きなものがわかったら、それほどいい旅はないと思うんだ。
 俺も、札幌にくる前まで自分がこれほど雪が好きなのか知らなかった(これは札幌駅について、夕方に気づいたことだけど)。
 北海道は寒い、雪がたくさん降る。もちろんそれくらいの情報は知っていた。でも、これほどかはわからなかった。人の身長くらいの雪が、ところどころにつもっている。あとで聞いたら、その日がはとくに雪が降る日でもあって、また今年は札幌に普段より雪が多くなかったと。これで?
 真っ白が、スケッチブックみたいで、人に刺々しかったけど、また誰かに恋をした歳月のようで、ああ、とてもよかった。この話は、またのちほど。

 北海道は寒かろうと思い、新しく買ったフリースのうえに、さらに今年買った会心のコート。でも、そこまで寒くはない。しかもコートが邪魔だ。コートを脱いだまま、バスの隣の席に、荷物と一緒においた。これがのちほど命どりになる。そして、バスでぐっすりと眠った。前日あまり睡眠時間が短かったせいで。
 起きてグーグルマップをみたら、既に札幌市に入っていた。
 ここでまた真っ白がたまらなく大好きになった。北海道の大地に、いい気運があるのかなと思った。
 寝ているうちに、ラインが来ていた。
 周りに何人かいる(しかも今から札幌でご飯を食べる友人と同じ名前)名前の人から。
 え、どっちだ、と思い連絡を確認した。
 なんと、4年前にすこし関わりのあった友達だった。自分のこと、覚えているかと。大学院にいくんだって。
 あ、久しぶりにくる連絡は、いつでも気持ちよい。いきなりいろんな記憶が目の前に滑り込んできた。
 雪が降っているのに、バスはとてもポカポカしてきた。
 たくさん雪にふられたその日は、悪くなかった。
 ダサい俺は、よりたくさんの人を抱きしめられなくて、いつも人生を存している俺は、感情の色が薄っぺらくて、はっきり良い、とはいえず、悪くない、としかいえないし、それが美しく感じてしまう肌の人間であるけれど
 悪くなかったので、不図四年前のことを思い出す。寒いはずの北海道は、それだけでも随分とポカポカしてきた。人間のことなら。
 たぶん彼女(仮にAさんとする)もこの文をみるかもしれないから、ここにその話を全部書いてしまうと、ダサいし、なんだかうしろめたい、こそばゆいところもあるけれど、この文には真実だけを書くことにしているので。

 人にこころを深くいためられて、傷つきすぎて、呆れていた季節がある。
 その季節、俺は数百回目の自殺を考え、遺書を書いたりもした。
 人間のことなら、もう二度と近づけそうにない、ひどい梅雨の季節であった。
 人間のことが、とても信じられなかった―この「信じられない」は、信用できないという意味はもちろん、「そんなはずがない」や「インクレディブル」などいろんな用例を含めるものだが―。
 もう何も起こらず、何事にも怒るべきことしかなさそうな、広い海を、一人で漂流しているような。いつ鮫が襲ってくるかもしれない。いつ台風に飲まれるかもしれない。波に流されてしまっても、おかしくない。そのような不安を抱えていた。薬も飲んだ。好きだった人を含め、余裕で20人は超える人数と一緒に行ったカラオケで、俺は不安すぎて、その人の前で副作用としてだるさを伴う薬を飲みまくっていた。翌日の夕方までだるくて仕方がなかった。誰にも、気づかれない人生を送っていた。カウンセリングで実際言った言葉だが、世界はまるで閉ざされた大きい扉であって、俺には開いてくれない。みんな扉の向こうにいるというのに、その隙間から覗くことすら許されず、入り込むことができなかった。それは、デカい鉄の扉だった。その時の俺は、敵に追われてやっと城に逃げ込んだ途端、城門を閉じてしまい、入りきれなかった、切り捨てられた小数点であった。両開きの扉。その扉の右側は好きな人の背中で、左側は嫌いな人の背中だった(この話について、詳しくはここでは述べない)。終わったと思った。
 やせ我慢じゃなければ生きられない、狂おしい季節があった。お前らに負けた顔だけはしたくない。そんな一念で必死に平気な顔をしていて苦しんだ季節だった。これじゃ相手に迷惑でしかないと思って、好きな人に気持ちも伝えられなかった季節。今は、お前らみろや、俺は生きている、結局俺の勝ちやと声上げて叫びたい、実際そうなったし、そう豪語できる日を待ちに待った季節。その季節の名前を、俺は交換留学生時代の後半期とよんだり、2016年の前半期とよんだりする。誰かに顧みてほしかった、しかしそのようなことはない。ある意味、真っ白な季節(ちなみに、その遺書は帰国する直前に際燃やした)。その泥沼から脱出しようとすれば、さらにいろんな人から―全然知らない人からも―嫌われるばかりであった。ハマった。もう終わりだ。自暴自棄。
 その季節の最中。
 あまり人と仲良くなる気がなかったし、なれる気がしなかった季節。人に刺々しくて雪でも降りそうな季節。いろんな人と出会い、またすれ違っていった季節。
 絶望すぎて授業も出られないし、そもそもベッドから起き上がることができない。そのなかでも、このままじゃ本当に死にそうで、週一回にある留学生交流会みたいなものには、頑張って頑張って出ることにしていた。ちょうどその後、その建物でカウンセリングもあったのだ。
 人がたくさんいるところは不安だけれど、俺とギクシャクする人もたくさんいるけれど、それでも。それでも。
 何回か会えて、しゃべることのある人だったり、ほぼ毎回出て顔を合わせる人だったり、いろんな人がいるわけである。
 Aさんも、もう一人の友達と一緒にほとんど毎回来て顔見知りになった仲であった。

 偏見は、必ずしも内国人が外国人にのみ抱くものではない。その逆もありえる。特に日本人に対しての、留学生のそれが半端ない(事実も多い)。
 それも含め、俺はどうしても、人とのつながりというものが、途の中で最も俺と遠い言葉かと思っていた。どうせ留学生交流会なんかにくる日本人も、ほとんどが欧米圏の人との交流が狙いだろ、と思っていた(というか今も思っている)。だから別に優しくしなくてもいいか、無駄に優しくして、深くかかわってしまったら、傷つくのは俺だけだな。もういい。やけっぱちだ。もう会えば話すだけ、それ以上、深入りはせぬ。人間無理。

 雪は私が人に刺々しかった時間のうえに降るのだった。

 それで、しばらく人生を費やしていた気がする。
 吹雪の檻に閉ざされて、姿をくらましていた。
 降る積もる札幌の雪をみて、そう思った。
 だから、これからは、いっぱい人を抱きしめながら生きていこうと、改めて。
 その俺のこころを照らすかのようにラインの沙汰が届いたのであった。
 後悔に意味はないけれど、その時期の彼女に出会えるなら、ごめん一言ぐらいはいいたいものを。
 4年前の時間は、もう雪に隔てられたしまった。それでも、
 ああ、この大雪のなかで、4年をめぐりにめぐってきた思いがやっと届いた。北海道の大地。
 「とにかくそういった理由で
 次の世紀ではこの世界を訪れてきたすべての人間たちを
 あたためてあげようと、ぼくは思った。
 寒かっただろうから。
 とてもさむかっただろうから」(パク・ミンギュ「カステラ」)

 長い長い言い訳。
 人のことが何も信じられなくて、もともとそうであって、人の顔が信じられなくて
 今でもそうなんだけど、
 なんでもないことで、人の顔色をしょっちゅううかがう。
 本人はなにも考えていない(はずな)のに、雰囲気に敏感すぎて、すぐ。あ、タテマエだとか。心中ちがうこと考えているだろうとか。俺がそうなので、また、適当にやっているだろうとか。ああ、大好きな人が、仲良くなりたい人が信じられないとは、その心が読めないとは、なんてつらいことか。そこでずっと証拠をほしがるのは、どれだけ情けなくてみっともないことか。
 愚かものゆえ、確固たる証拠がなければ、俺は愛が信じられない。
 『風光る』で主人公の沖田総司は、神谷清三郎(富永セイ)に怒鳴る。
 愛に形なんかなければ、それが嘘になるのか。そんなこころ知らんわ。知りたくもない。
 でも俺はやはり、形のない不確かなものは相変わらず信じられない。不思議で、驚異で、疑わしくて。
 それで、たくさんの人を逃してしまった。狭い人間なのだ。ダサい男なのだ。これだけで
どれだけ仲良くなりえたはずの縁を、可能性を無駄にしただろうかを考えると、目まいがするほどだよ。もういい加減やめたいけれど。
 だからこそ、いつも俺の告白は、痛々しい形になってしまう。切実すぎて。俺と仲良くなろう!と、元気よくクレシェンド!じゃなくて、よければ、座布団一枚でも、という卑屈な、猫背になってしまう。ギリギリの臨界で、好きだ、一緒にいようというのがやっと。それはそれでいいところもあるかもしれないけれど。それが世間で理解されるのは、期待しない方がいい。そんなことわかってる。もういい歳しているんだから。月も錯乱も、言葉も国も全部捨ててたった旅。雪をみてそういうことを俺は考えていた。それでもすこしは、ラインのおかげでポカポカしてきた。雪が蒸気のように見えてくる、季節だった。でもよく考えれば、昔は、俺は人と仲良くできたし、連絡も普通にできたし(これもいまだあまりできていない)わりと軽快な人間だった。その軽快さが、俺の臓器のどこかにまだ残っているはずだった。それを押し殺すことはもったいないと思った。言葉を捨てる、何もかも捨てる、とは、そういう意味もあった。それで、あのラインが来た。もうちょっと、大雪のなかで迷うか。それこそ、俺がこの地に来た理由な気がした。ある旅は、出先でその理由に気づく場合もあるんだな、とはじめて新しく知った。ああ、この旅は、予感がいい。俺も軽快になれる。今まで歩んできた道が、もちろん歩きやすくはなかったけれど、その道の状況もわかっているんだけど、それでも、それでも、どれほどちっぽけだったのか。呑み込んでしまった言葉たちが、今更俺の心臓をさしてくる。断じて、文のうまい人よりは、弁のうまい人になりたい。言えずに呑み込んでしまった言葉が多すぎて、こころに言葉と魑魅魍魎の声があふれすぎて、仕方がなく
 相変わらず、俺をいかし、俺に息を吹き込むのは、それでも、それでも、人間のこととの考え。

 なんだか、いつの間にか俺と彼女ら(その友達もうひとり)の間に立つ友人がいた。ブラジル人の友だちあった。いつも俺のことを「悲しい韓国人」とよんでいた、無理な頼みも普通に受け入れてくれた(ちょっと前に、俺しかしらない刺々しいことをしてしまったのだが)軽快な人だった。クレシェンドの塊。
 彼も例の交流会によく顔を出していた。その彼も、Aさんとその友達と仲良くしていた。なぜか彼が、俺んちでみんなでご飯つくって食べようという方向に話を持ち込んだ。え?お前お米以外はアレルギーで大体食べられないじゃん。もちろん、俺もまんざらでもないけど。でも、なんだかまた自信がなかった。あの人たちのこころが知らなかった。俺ってそんなに優しくしてあげているわけでもないし、何一つもわからん。お前とは仲いいかもしれないけど、俺をそう思ってくれているわけないし、実際そうじゃない気がする…と。
 実際、ご飯を食べたその日が、案外楽しかった。実は、仲いいと思いたいし思ってもらいたいし仲良くなりたいと思った。それでも、その保証をもつことはできなかったし、いかにも無駄なことのように感じられた。ああ、五月(4~5月だった気がする)の空は高くて青かった。
 
「誤って凍って憎く溶けるのがこころであるか」(イ・ビョンリュル「絶縁」)

 俺が人に刺々しかった時間に降る雪は、まるで誤解のように。
 誤解がつもりにつもって、見知れなくなるのだ。
 その誤解の雪は、実は俺の時間にしか降らなかった。
 それを教えてくれたのが、Aさんのラインであった。
 もしかしたら、誤解の雪の降っていない、Aさんの時間は、また別の風景をしているのかもしれない。Aさんは、その時間を違う形で記憶しているかもしれない。今これを書きながら、そう思った。
 でもその誤解がなければ、この連絡がここまで嬉しくなかったかもしれないとも思う。

 Aさん、読んでいるよね。もしこれを読んだら、ぜひあの時期のちっぽけな俺をお許しくだされ。

 ああ、大事な事実もう一つ。ちなみに、それではじまったラインは未だ(たった今この部分を書いている3月5日から6日に変わる、夜中午前2:21)続いている。
 恥ずかしい。俺はなぜあんなにバカバカしかっただろうか。
 4年たっても思い出して連絡してくれるほどの人を、見極めることがなぜできなかったのか。
 その偏屈さゆえ。こんな感じですれ違った縁はどれほど多かっただろうか。
 たかが、愛に形がなければ信じられない、というちっぽけな、くだらない理屈で。その理屈を捨てに、俺はこの大地にきた。好きな人に対する恋も、人を恋しがる、本来の恋一般(人なつかしさ)も。それを拾いに、俺はきたよ。ああ、恋に色があれば、白色だろうな。
 俺なら4年も連絡していない人に、絶対そんなことできない。ああ、尊敬する。
 うしろすがたのかっこいい人を、いっぱい俺の人にしたいと思う。
 その光をすこしても分けてもらって、俺のこころも、すこしは癒えてマシになればいいかと。
 のちほどの話で、また言及すると思うけれど、そんな人に、「恋多き人」といわれた俺のこころは、またどれほど熱くなっただろうか。
 あなたがたならきっと想像できると思う。
 ああ、恥ずかしい。もう恥ずかしいつまらぬ生き方は、二度とせんわ。
 それでも多分俺は恥ずかしい生き方を繰り返すだろうとわかっていながら。
 そう思った。これも全部、

 Aさんは、そのこころがあたたかくて。
 愛情と言えばものたりず、友情と言えば恐れ多いけれど
 ただ俺の足場の雪だけはすべて溶かしそうな猛烈な勢いで、雪のなかの俺を襲ってきた。
 激烈によかった。
 この都市では、いい予感ばかりする。
 俺もしばらくはあたたまって、誰かをあたためてあげられる気がした。
 知っているか。ぬくもりも伝染病だ。何よりもゆっくり、しかし何よりも確実にうつっていく、伝染率致死率100%の。
 札幌にいきましょう。できれば私と。できればスキナヒトと。できれば恋人と。札幌の雪を悉く溶かしにですよ。降る雪は構わないと叫ぶかのように。刺々しかった時間を償いきってやると主張するかのように。

 雪のお仕事。雪の作乱(いたずら)。
 迷っては旅、迷ったら旅、迷って旅だ。俺は、迷いに迷ったあげく、正しい迷い方を学ぼうと、この大地に来た。間違いない。いろんな恋に落ちて北海道に来たので、北海道を恋の大地と呼べない理由もない。
 そういえば、何日か前で、ほとんど連絡がなくて、ブロックが非表示にしたライン友達の目録を確認した。この人なぜ非表示にしたんやろ。いかすべし。と思って20人ほど復活させた。その一人にAさんもいた。人間のつながりとは、本当にわからないものだ。よりたくさんの人を、抱きしめていきたい。そう思った。

 札幌駅前に降りたら、雪が相当だ。俺の人生よりひどい雪のところにきて、すこし慰められる、という気持ちを感じる間もなく、とにかく駅に向かった。髪の毛がびしょびしょだ。とりあえずコインロッカーを見つけて、スーツケースとコートを入れたら、もう13時20分近く。
 札幌の地下道を知らなかった。普段のように、最寄駅に降りて、地上に出て、歩いて約束の店まで行った。もうすでに約束時間は過ぎてる。あんな冬のなか。しかも考えのつかなかった靴も問題だ。スニーカー。下手したらすべる、ぬれる。とりあえず前進はするけど、メガネも外出たらレンズが黒くなるやつで、雪までついてきて、前もよく見えぬ。ああ、俺は今好きな人のこころのなかも、こう迷っているだろうか。雪に足がはまる。
 突然、いやなことを思い出したよ。雪ってのは余計なことまで思い出させるのかな、と思った。元カノと大きな喧嘩みたいなものはなかったかな、と漠然と思っていた。ところで急に、長く忘れていた記憶。あ、そういえば怒られたことあると。なぜかその時直接じゃなくて、それぞれ帰宅してからラインで。まあいうことは正しかったので、すぐ謝った。そしたらすぐ許してくれた。
 どこか、俺は許されない人間だとか、そういう完璧主義が強いのである。この文を書きながら、よくそう感じたのに謝ったらすぐ許してくれるものだな、と思った。俺があまり人を許せない(ここ何年かでだいぶ許せるようになった。ちなみにそのコツとしては、この場合おやじならすごく怒って醜態さらしただろうな、と、師匠なら何一つも怒らず素敵な余裕を見せただろうなを想像しつつ、俺はどっちになりたいか、と思う。そしたら怒りはすぐとける)器のちいさい、こころの狭い人間だからかもしれない。でも人は案外そうでもないんだ。不思議だけれど、それに助かったことも、生きているうちに多かった。だから、悪くなかった。ある意味悪い記憶だけど、たった今また振り返ってみれば、ちょうどそのときの俺に必要な思い出だったのかもしれない。だから、何一つ脈絡もなかったのに、急に思いついちゃったと当時は思ったけれど、忘れてはいけないことだった。そのときに思い出すべきこと。その適時。
 忘れてはいけないことを思い出させ、俺をただしてくれる。覚えておきなさいと。
 雪のお仕事。雪の力。
 札幌に行って、俺がどういう人間かわかった。俺は、雪が好きな人間だと。そして、札幌には住みたくないと思った。雪がめんどくさくなって、楽しめなくなる。雪をみても雪の力を忘れてしまう人間になるだろうと。厄介者のくせに、雪が厄介だと思うだろう。俺の札幌。ああ、もしかしたら旅に出て、俺がもってきたものは、俺が好きになったのは、俺がわかったのは、俺自信かもしれない。
 自分探しの旅なんて嫌いなんですけれども。

 13時50分、ああ、何も変わらない友人とやっと出会えた。最初地下から出る前に、グーグルマップを確認して、途中から右折することだけおぼえておいた。うろ覚えだった。右折すればすぐかなと思って、なんとか大雪のなかで右折したところでもうすぐつくとラインを送ったが、実はそこからが今までよりちょっと遠かった。しかも最後のとこで道を違う方向に渡ってしまった、みたいな話をしつつ。大体7時まで、俺の話ばかりだったが、悪くない雪の時間をすごした。

 19時頃になって、帰ろうとして一緒に札幌駅に向かった。ああ、こういう地下道があるんだ(具体的な構造とか、道とかはあとで自分で何回か歩いて正確に把握できたが)は知った。旅に実際行かなくちゃわからない性格のもの。途中で友人の職場の人ともすれ違った(あとで知ったが後日その一人を含めた人と飲みがあったらしい。この話はまた)。

 札幌駅は、道が難しい。また道表示も当てにならない。とりあえず宿に向かうには、ちょっともったいない時間。さきほどの会話のなかで本屋の話もあったので、探そうかと。


 昔、こういう旅ができたらどうかと思ったことがある。
 100冊の詩集を持って旅にたつ。そして、一日に一冊、自分が読んで、ハガキの代わりに裏表紙にコメントを書いて、誰かに送る。その100冊の詩集がすべてなくなったとき、帰ってくる旅を。
 友人にお土産をもらった。返礼も返礼、そもそも俺も久々だし彼女の誕生日がもうすぐだから、プレゼントを用意しようと思った。『愛してるなんていうわけないだろ』か、最近漢詩にはまりはじめたので、漢詩の本か。おや、なんならそれと一緒にハガキも何枚か買っちゃおうか。
 札幌駅の大丸から道を渡れば、紀伊国屋書店がある。
 そう聞いたから大丸を出た。
 小さい交差点で、飲みを終えた社会人が多い。そこで、一人の女性の方が、タクシーに乗ろうとしながら、仲間たちに大声でいった。
 「みなさん、ありがとうございましたあああああ。ぜひお元気で」
 この言葉がこれほどうつくしいながら、道を渡って、紀伊国屋書店に入った。
 入口に花屋さんが。なんて素敵な本屋さんだ。去年から、誰かにあげることがあろうから(もしくはモテるだろうから)お花の知識を拾得しようと思ったところだ。
 日本の本ばかり読むから、韓国の本屋はあまりどきどきしなくなった。なので、久々の日本の本屋は、とてもよかった。
 実は旅立つ前に、この旅で歴史の本は絶対買わないことにした。なんの本も持っていかない。言葉を捨てる旅ゆえ。文学の本は許す。旅先で、古今和歌集を買おうと思った。小学館のハードカーバはもっているが、普段本のいたみを極度に嫌う俺がボロボロになってもいいから、もちあるける文庫版がほしいと思い、ちくま学芸文庫の古今和歌集を手にもった。プレゼントする本、まずは角田光代のエッセイにしようと思いきや、『愛してるなんていうわけないだろ』は本の状態がさほどよくない(しかも後日、売れたかなくなっていた)。じゃ仕方なく漢詩の本。岩波文庫のコーナに行く。李白、杜甫、陶淵明、蘇東坡、王維、李賀、いろいろあった。李賀をあげたいが、これは俺がほしい。中国名詩選をあげたいが三巻もある。李賀は俺が買って、杜甫をあげよう。

 旅の楽しみ方について。
 旅に出たら、旅先で絶対決まって、些細なものを買って収集することが素敵だと思う。
 イ・ビョンリュルは、旅先でマーチを絶対買うという。ある韓国人の歌手は、お箸を。
 俺は何にしようかなとずっと思ってきた。候補はあったけど、決まっていなかった。こんなに急遽旅に出るとはわからず、決めていなかった。じゃその候補のなかで適当に有力なものを選ぼう、となった。
 便箋と布(風呂敷、手拭い、ハンカチなど)。
 何の意味を込めるか。
 便箋やハガキは、人のために買うものである。自分のために買ったけれど、その目的は人に捧げるもので、使ったらなくなるもの。しかも、そのまま使うのでもなく、何かを書いて、もともととは違う形にする、不思議なものだ。「私と往復書翰をはじめる人を探しています」にも述べたけれど、誰かの声が切実にききたくて、往復書翰をしたくなった頃だ。多分いないし、手紙自体を送る人がいないけれど。それでも。その可能性と性格だけ。逆に使わないものをわざとかう。いつかのために。その無意味の意味が、うつくしいかな。そういえば、12月、大阪に行ったときに、研究室宛てで年賀状とお土産を送った。「京都の飴に、西宮の紙」と書いた。
 布。そういえば、12月大坂行ったとき、石清水八幡宮で手拭いを買った。包装もあけていない。石清水八幡宮のグッズが可愛すぎた。そのなかでも、石清水八幡宮の象徴である鳩二羽で一組のツーマンセルの柄が入った手拭いは、かわいかった。二羽。鳩はハート。そういえば、明治9年の史料で、当時福井県では男が女に手拭いをプレゼントするのが、恋を告る行為であると書いてあった。いつか、誰かにあげたくて、買ったかもしれない。一人で涙を拭くのが大人というけれど、それでも、誰かの涙を拭いてあげることができるのなら、それはそれでいいじゃないかと。よりたくさんの人を抱きしめられていない俺は、布のように、誰かを包んであげたいと。庇ってあげたいと。縦の糸と横の糸があわさってなりたった布をもって。
 紀伊国屋書店には、布はあまりなかった。便箋もかわいいものはあったけれど(結局最終日に買った)、実際俺の目が向いたのは、ハガキだった。詩集100冊のくだりが無意識中に残っていたかもしれない。札幌にくる前からハガキを意識していないわけでもなかった。後輩の誰かに「長風破浪會有時、直掛雲帆濟滄海」(李白、「行路難」)、これから試練はあれども、元気出していきなさい、といいたかった。だから、どこかに浪の写真のハガキはないかと。どうやって遊び心を利かせるかまで考えていた(そのやり方はまた今度)。
 あった。うわ。北斎の例の絵。ちょうどじゃん。波と吹雪の大地にふさわしい。
 それを手にとったら、他のハガキも目にはいった。単なる北海道の景色ハガキじゃない。可愛すぎる北海道動物写真のハガキだった。買うしかないは、これは。冬の季節感のあるものを厳選したら、10枚ほどだった。ま、かったるか。正直誰かに送るとはこの時点で思っていなかった。何人かは思い浮かんでいたが、俺もほしいので、すべてを送ることはしないと。
 でも買ってからあとで考えると、どうせ何枚かは送るんだし。便箋を買おうとする理由を思い出せ。ああ、全部送ろ。というか、そもそもスケッチブックから買おうと思って入った本屋。いや、スケッチブックがない!まあいいや。初日だし、明日ほかのとこ回ってみよう。そうやって、買い物を無事終えた。腹がいっぱいだ。ちなみに、結局スケッチブックはめんどくさくて買わなかった。この日、筆ペンのカートリッジが前々からなくなっていたので、カートリッジを何本か買った。それですぐ書きたくなろうから、紙が要る。もっとも安いノートを買った。
 もう、最初日だし、今日はここらへんで帰ろうか。
 そのつもりが。
 札幌駅に戻ったら、ステラプレイスなるものを見つけてしまった。
 どうやら展望台があるらしい。28日はコンサート(演奏会)も。時間はたくさんあるから、まあ後日いくか。とその場を去ろうとしても、後ろ髪を引かれる気がする。見つけたのはすぐ実行しなければ。ああ、行こう。
 (この展望台の話は、写真と共に別の文として載せることとする。)

 札幌駅の外を見ながら思った。
 ああ、俺らも―その「俺ら」に俺以外誰がいるか、正直自分でもよくわからない不確かなものだが、確かなのは、後輩たちは必ず入っていること。日本の友達も―どこかに行っては、あのように、雪に隔てられては、迷ってしまい、帰ってこられなくなってしまい、離れ離れになってしまうだろうな。もう、それを覚悟しなければいけない歳なんだな。
 名字とか、国とか、性別とか、歳とか、不便で不便で仕方がない。厄介。うっとうしい。煩わしい。目障り耳障り。あたりさわりしかない、刺々しい俺は、ひたすら、その大雪が、俺の心の風景だろうと感じて、唖然しながら、札幌駅のど真ん中に立ちっぱなしで、それを眺めるしかなかった。展望台にあがっても、それしか考えなかった。それでも、この展望台には、恋人がいる。あなたたちだけは、俺の代わりに、離れ離れにならないでくだされ。この雪だらけの世界で、互いに一番で、たったの一人になってあげてくだされ。後ろ姿はかっこよくなるべきだろうが、見せたくないうしろすがたもあるものだ。代わりに私のうしろすがたをここにおいていくので、あなたたちだけは、一緒にいてあげてくだされ。ネバネバ人間は、降りまくる雪を空中で見ながら、そう願い祈り考えていた。そして、空中に見えるスキナヒトの顔をみて、ああ、もうすぐあの人の背中を見てしまうんだろうな。書くことすらつらくて、「見せたくないうしろすがた」としかさきほど書かなかったが、人が離れていくうしろすがた。その背中がとてもつらいもので―俺にも相手にも―つらいのだが、もうすぐスキナヒトの背中を見てしまうことがあるかもしれないと、俺はその瞬間直感した。

 歳のことを最近思っている。旅中に想ったわけではないけれど。ちょっとマスター時代の思い出話にお付き合いいただきたい。
 自分の立ち位置を考えることは、とても大切なことだよ。それは、自分の意志とは関係ないのだから、なおさらだ。
 マスター時代はとても大切で楽しい時間だったけれど、淋しい時間でもあった。外国人として海外に暮らすことが、もちろんそうなんだろうが。
 飲み会で俺のとなりは避けようとするやつが嫌い、は半分冗談なんだが、10代後半からのジンクスがある。学科の研修旅行だのなんだの、グループでバスを乗るとき、俺のとなりに座ってくれる人がいないかもしれないという不安。自由時間にも、結局俺一人残されてしまいそうな不安。ある程度は現実でもあった。実際、M1の時の新歓の遠足がそうだった。
 外の人はほとんどが内部者ですでに知り合っている人たち。しかも、ほとんど専門別―大きくは古代・中世と近世・近代―に集まりがちだが、俺の属する近世・近代は人が少なく、昼頃に会った同期しかいない。しかも、専門とは別に、女子は女子どうしで集まりがち。中国人は中国人どうしで集まりがち。中世は自分らどうしで内輪のなかがいい。ああ、俺はここでも一人かな。その現象自体は、卒業するまでもある程度あった(それに耐えられるようになったのは、後輩たちとも仲良くなった、M2の末期な気がする)。しかも俺は強がって、そういうのを表に出さない外面がうまい。本当は気づいてほしいのに。そういうことを、ずっと岡の上の寺の階段に座って、考えていた。俺を知らない学部生たち(「とどまる」でも言及したけれど、そのなかには、今は知っている後輩もいただろうな。彼ら彼女らに聞いたら、その時、寺の階段に独りで座っていた変人を覚えているだろうか)、知りあったばかりの院生たち。そういう人が、俺の横を過ぎ去っていった。遠足の飲み会でも、なんだか寂しかった。人当たりよく、要領よく人と接する方法を俺は知らない(そういえばその翌年、飲み会の件で例の同期と若干ギクシャクした時期があったなぁ)。その経験に学んで、翌年の新歓遠足の飲み会では、そう鬱にはまらないように頑張ったが、手に負えない部分もあった。こういう部分が、本当に俺の子供っぽさなんだよな、と思いつつ。ああ、あの時は、淋しかった。誰にも言えずに。その夜は一人で家に帰っては、酷く痛かった。
 手に入らないものは、欲しくなる。俺が後輩たちと仲良くなりたいと切実に願うようになったのは、その瞬間かもしれない。しかもね、こんな歳して、こんな顔して以外なんだけれど、男前の人とか、体格の大きい人とか、印象強い人とか、歳関係なくまず余計にビビッて怖がってしまう癖もある。ああ、本当に情けない。マスター時代は、それを必死に出さないように頑張ってた気がする。
 頑張ったんだな、自分。今の俺が当時の俺に出会えるのなら、となりに座ってやりたい。手を引いてやりたい。無言で一緒にいて、待ってやりたい。大丈夫だよ、と肩を叩いては、淋しかったよね、頑張ったよ、と、ぎゅっと、長く永く抱きしめてあげたい。
 頑張ったよ。先輩たちと徐々に仲良くなれたよ。たまたま、彼女もできたよ。付き合っていない時、彼女と市内に二回目のデートに出ては研究室に戻ってきては、研究室にいた先輩たちが、どうなったかと、ここに座って白状しろと優しく、親身になって話を聞いてくださった。同期たちともまあ近くなった。学校ではいじめられて、高校は中退して、学部に入るまでは二年ほどどんな人間ともつながりがなくて一日三回口を開く日々の連続。学部に入ったら、交換留学行ったら、人間関係がまたうまくいかない。親や家族とはそもそもそんなに腹を割って話せていない。人間のぬくもりは、こんなことかと感じた。
 何よりも、師匠がおられた。「期待を寄せてくれた人に謝ることしかできな」い(沖ちづる「負けました」)状態でも、大人が俺の可能性を見出して、それを支持してくれる経験は人生ではじめてだった(ああ、この部分を書きながら、また泣いてしまった。情けない)。今までやせ我慢でしか生きてこなかったのに、そうしなくていいんだとお教えくださった。俺も人に信頼されうる人間だと分かってしまった。
 だから、昔の俺に対してだけじゃなくて、人に、できれば後輩に、優しくしてあげよう。二度と俺のような経験は誰もが味わわないように。できれば、すべての人間に。師匠に救われたから、俺を救った言葉で、また誰かを救っていかねばならない。そうしないと師匠を裏切ることでしかないと。それがいまいちできていなくて、毎日毎日嘆くばかりだが。「とにかくそういった理由で/次の世紀ではこの世界を訪れてきたすべての人間たちを/あたためてあげようと、ぼくは思った。/寒かっただろうから。/とてもさむかっただろうから」と。
 師匠がなんと学部のゼミのTAを任せてくださった。御意。彼らのレジュメの添削とかにかかわるので、それなりにつながりができた。頑張った。時には、想いがすれ違うこともあったけれど。俺は頑張ったと思う。俺のような人を出さない(結果出してしまったが)ことが、昔の俺を抱きしめてあげることかと強く信じて、師匠の恩を忘れぬことだと心に深く刻んで、一時もその誓いを忘れないように頑張った。
 俺のその努力が後輩にとっては負担になったかもしれない。俺の今までを美化する気はない。それでも少なくとも俺自身は、誰か他人のために、この辛さも乗り越えてみようと。ただの笑顔より輝く、すべてを乗り越えたものこそができる笑顔を見せようと思った。そして、それがうまくいって、後輩だろうが先輩だろうが、俺をあなたがたの側に、ただの友人としてそっとおいていただければ幸いだと。例のAさんのように、時間さえも勝つ縁を二人の距離に敷きたいと。
 ああ、歳とは本当にめんどくさいものだ。
 歳の差とか立場の差とかがなければ、ただただ友達として盃を交わせるものを。実際Aさんとは、友達枠となっているけれど、よく考えてみれば俺がTAを担当した2個下の後輩よりも一個下なのだ。例のブラジルの友達も多分30前後だけれど、友達としていられるのだ。何よりも、その差があるがゆえに、まず後輩から俺に近づいてくることは、とても難しいことだと充分わかっている。こちらからぐいぐい行き過ぎても、それも恐れ多く感じるだろう。それが、俺は本当に嫌だな、と。ただでさえ人に接近できずに、少しでも浮かれてしまったらすぐぐいぐい行ってしまう子供みたいな人間だから。もっと仲良くなりたい。もっと君のことが知りたい。そういうノスタルジア(「心に震えがくるような懐かしさ。宗教学者のミルチャ・エリアーデは、それを「ノスタルジア」と呼びます。そのような特別の存在に対してのみ、わたしたちは自分が体験してきた過去を、自分のすべてを曝け出してしまいたい気持に駆られるのです。自分を相手に理解してほしい。相手をくまなく理解したいという思いに満ち溢れるのです。現実の人間との関係においては、それはけっして叶わないものだと理屈ではわかっていても」。磯前順一「どこにもいないあなたへ」より)は隠して、適切な距離をまず保たねばならない。しかも一応指導する立場だから。ああ、歳とは本当にめんどくさいものだ。でも、それでも、それも、乗り越えたいという強い願望。
 幸いなことに、そんな俺のちっぽけさを見抜いたか、後輩たちは俺をかなり慕ってくれた(錯覚じゃなければ)。自分らの側においてくれた。彼らと相当な時間を積んできた。人のことが、信じられなくてたまらない俺でも、すぐ不安にならず、気持ちを確認することもなく、少なくとも俺からは(こんな限定をいちいちつけていることに俺の性格が垣間見える)友達と思うことができた。
 だから、今年の年賀状でも書いたけれど、それは、決して俺が恩を施したわけではなくて、むしろ俺が恩に着て、必死に恩返しをしようとしたものだと。先輩が後輩に恩返し、とは可笑しい表現かもしれないが、だからこそ歳とはめんどくさいものだ。詩経にこうある。我に投ずるに木李を以てす、之に報ゆるに瓊玖を以てす、報ゆるに匪らざるなり、永く以て好を為すなり。私にスモモを投げてくるので、珍しい玉で報いた、報いじゃない、ぜひとも長く仲良くしていただきたい。淋しい俺を、救ってくれた人々なんだから。
 三個下、の後輩たちとは実は卒業するまであまり交流がなかった。俺の横を何回か、すれ違っていったかもしれない、その人たち。ただでさえ、知らない人とは会話ができない女々しい俺。それでも、頑張ってみようと思った。二個下の子たちが、我が子共だったら、三個下の子たちは、なんだか孫みたいに思えてきた。根拠はない。まるで、狂信のような。それでも、人数が多すぎて、また時間が足りなかった。少しは話せたけれど、また俺は雪に吹かれ、海の向こうに来てしまった。それがとてもとても悲しくて、手紙も書いた。
 韓国に帰ってきて、何度も何度も広大の夢を見た。三個下の後輩の何人かはしょっちゅう夢に出てきた。二個下は同タイミングで卒業したから、納得したけれど、今すぐ広大にいけば、いつでもそこにいそうで。手も届きそうで。すぐ来ると思って去ったが、案外長くいけなかった。誰のラインも持っていないわけだ。余計に恋しくて、余計に会いたい。俺がまた広大にいけたのは、10月のことであった。そんなにぐいぐいいけない俺が、やっと勇気を絞り出して言った。

 君たち、もしかして今時間空いてる?俺がおごるから飯いこうぜ。

 なんてことだ。聞く子聞く子、みんなが予定空いてるというのだ。
 こんな幸せが許されていいだろうか。相変わらず人のことなら、どうでもないことでも感動されてしまう肌なんだな、俺って。と思いつつも。
 だから、本当にどこ行ったって、俺は君たちとゆっくり時間を過ごせるということが、あんなにもよかった。あんな嬉しいことも、他になかった。実際マスター時代に、研究室の誰かと一緒にご飯を食べたことが、ほとんどない。二個下や三個下とは違って、俺の代がそんなにつながりが強くなかったということもあるけれど。
 いや、てかなんで手紙みたいに「君」と二人称になってんだよ。
 総勢9人になった。俺はどこでもいい。照れ隠しというか、冗談めかして、俺めんどくさいからお金出される側が決めなさい。さすがに後輩たちも俺に気を遣って安いところを探していた。ああ、歳とはめんどくさいものだ。気を遣ってなくてもいいのに。それでも、それを乗り越えてみたいほどかわいらしい後輩たちだ。逆に気を遣われると、「そこがまたかわいいね」(volleyboys、「雨があがったら」)。
 イ・ビョンリュルのエッセイにこんなんがある。

 「ごめんなさい、ちょっと身支度してきたのでだいぶ遅れました」
 ぼくのために椅子を後ろに引いてくれながら彼女が言った。
 「お年寄りに会うんだから身支度なんてしなくていいじゃない」
 あ、そうだ。こんな方だったのだ。
 遅れたことよりも、ご自身のためのなにかしらの支度のせいで遅れたことが、気にかかる方。
 (中略)
 それだけでぼくのポンコツな部分が隠せたので、ぼくにとってはお祭りのような方。

 その瞬間、俺もこういう人間になりたかったのかもしれない。
 ああ、そういえば今日(3月7日)、マイケルジョーダンのコービーブライアント追悼演説の映像をみた。
 これがまた泣けるもので、ちょっと泣いたけれど
「We’ll always be here for you」
 我々は、いつもここにいます。あなた(がた)のために。
 この言葉が思い出せなくて、後輩たちに言えなかったのが、とても気にかかっている。

 とにかく、だから、そこをいうことも、仕方なく、先輩の仕事かと思った。

 もっと高いとこじゃなくていいの?

 それで、回転寿司屋に行った。
 また行った。

 俺は外国人であまり皿別の値段とかわからんから、思う存分食べて。

 テーブルが分かれて(なぜか男女に―そこもまた性別なんかめんどくさいものだなと思ったところだが)あまり話はできなかった。
 これだけ覚えている。
 「そういえば今回なんの用事でこられたんですか?」
 「学界の発表で」「ついでに、後輩たちの元気な顔を見ただけで、いいよね」
 思わないことは言わない。言ったことは守る。それが俺の鉄則。
 「かっこいいなー俺もいつか使おう」とかわいらしげにまたいう。
 いやでも本音なんだから!!は、さすがにダサくていわなかったけれど。
 帰るとき、皆を店の外に出させて、俺がお会計をした。その金額の数字も、とてもいとおしくて、その夜はいとおしい夜で、今でもその金額の数字は、俺のタブレットと携帯の暗証番号になっている。018612。18612円。
 あ、ちなみに前回述べた、後輩がとってくれた俺の写真云々は、この店での出来事であった。
 お金。その後もとんでもない額を後輩たちに飯を食わせるに使った気がする。そういえば、小学生の頃に、「俺おごるよ」と言ったら、あるやつが「お前はいつも友達をお金でかいまくるのか」と言ってきたことがある。それが今でも脳裏に残っていて、トラウマまでではないけれど、たまにひっかかることがある。
 でも、それにあらがうことにした。
 大好きな人のためには、お金なんざはしたがねで、大事にせんわ。そんなこともできないやつが人とつながれるかと。
 それほど大好きで、俺を救ってくれた後輩たちなんだからね。

 11月に広島行ったときに。後輩たちとたわいない話をしていたときに。
 「あまり人生がつまんない」
 「なんか期待値とか基準が高いんじゃないですか」
 「確かにそうかもしれない」
 「私、いつも幸せですよ、すぐ友達になれるし」
 ああ。これだ。そうならなければいけない。一つ学んだ。ちょっとショックだった。まだまだ学ぶべきことはたくさんある。でも、歳とか立場とかがある限り、この社会は目下から何かを学んだと純粋に認めにくい世間だよ。

 後輩愛ばなしはきりがないけれど、できればここで総集編やりたいけれど、また別の機会にしようか。
 とにかくね。歳はめんどくさいものだよ。学べるものも学べなくなるし。

 こういった大切な時間を、いっぱい積んできた。だから、兵役おえてまたドクターとして日本に帰ってくるときも、広島にくるべきだろうか。俺をいかしてくれたこの地から離れることはできまいと。
 でも、そう考えつつも。
 また帰ってきたときの俺を考える。
 その時はもうドクターだし。30近くなってるし。実際学年よりも、歳の方がはるかに離れている。二十歳になるかどうかの人と、アラサーあるいはほぼ三十路の人間は、相当差がある。ただでさえ、3個差だとかなり大学では大きい差。俺の意志で、縮められる距離ではない。ぜったい敬遠される。俺の意志とは違って、そうなってはどうしようもない。今のようにはならないかなと思った。ああ、歳とはめんどくさい。俺は構わなくても、俺だけの問題でおわらない。広島帰ったら歳を隠そうかな、とまで思った。そういえば、「ほうせんさんって何歳ですか?」と、例の写真をとってくれた子と、卒業直前に話したことがある。「24なんだけど」「あ、普通だった」。
 まったく、さきが見えない。
 こんな大切な人たちに出会えずにいる。もう彼らも卒業して離れ離れになるし、3個下の後輩だと半数は連絡先もっていない。もっていてもさほど連絡しない(できない)と思う。このまま流れていくんだろうな。俺らもいずれは大雪に隔てられて、互いの姿すら見られなくなるだろうな。
 幸せか、最近悲しかったことは、とか、恋愛観とか、最近自分の人生を揺るがした事件、成長した部分、直したい部分、嫌いな人、好きな色、一日のスケジュール、ほしいプレゼント、恋人、悩み事、俺に想うこと、海が好きな理由、旅先で必ず買うもの、水族館に行った回数、行ったことのある島、知る限りもっともやさしい人、感動した瞬間、行きたい国、やってみたい楽器、興味関心、最近読んだ雑誌、明日着る服、誰かがやって欲しい料理、知らなくていいもの、知らない方が楽しめるもの、激しく走った経験、箸の使い方、自分しかしらない秘密、俺に教えたいこと、自慢したいこと、死ぬほど繰り返して聞いた曲、りんごのむき方、ちいさな癖、行儀悪いと怒られたこと、ポンコツなミス……。こんなことも聞けずに、二度と会うことのできない仲になるだろうな。俺が彼らを思う度合いと、逆の度合いには、差があるものだろうなと。
 ああ、雪の時間だ。そう思った。大切な人のことがもっと知りえない今がつらい。玄界灘はたった数十キロの海に過ぎないけれど、俺はそれが怖い。

 Depressive realismという言葉があるらしい。
 鬱の現実主義、と直訳できるだろうか。
 実はうつの患者の方が、普通の人より冷静に現実を直視できていると。
 そんなもんかな。
 頭が良すぎると、鬱だったり、感受性が豊すぎると、そうなるのかな。
 現実を見てしまう。現実は、残酷なものだ。そう信じたくなくても、先読みをしてしまう。
 先読み上手は、囲碁だけでいいのに。

 前田利家(西岡徳馬)のいう通り。ぞっこんは短所もある。
 恋(広い意味でも)が、大切過ぎて、まるでガラスの玉のように。
 握りすぎてしまうと、割れてしまって、掌も傷つく。それでも、それが、いとおしすぎて、握ってしまう。どうしようもなくて。
 報いを欲しがってしまう。純粋にこちらがさきに好きになってしまっただけなのに。俺にも振り向いてほしくなる。
 俺が後輩たちのTAを務めたときのように、いつも自分のことなんか放棄できる準備が。相手本位、相手優先になってしまう準備が。
 損する性格だな、と思う。
 それでも、誰かに優しい人間になりたいとも。
 離れ離れさだめながら、またそうならざるをえなくて、そうなってしまうこと。
 自分が勝手に一人歩きして、不図空しくなることも辞さずに、自らの心のボロボロも顧みずに。

 今日の日記は、随分と長いね。
 これからの俺らも、長く長く。その願いをこめて。

 札幌駅のコインロッカーから荷物とコートを出して、airbnbで予約した宿へ向かった。
 雪がたくさん降る、札幌だった。
 寒くなくて、驚く。知らないことも多い、2月末の札幌だった。

 迷って北海道、降って札幌。

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