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一部の赤ちゃんはテレパシーで会話できる

わたしの体験ですが、もしかしたら一部の人には「なんとなく分かる」と言ってもらえるかもしれません。よくわからない戯言と思ってくれてもいいです。

わたしは、まだ言葉をもっていない赤ちゃんの頃の記憶があります。
言葉は持っていなくても赤ちゃんは「想う」ことはしています。四六時中、母を想っています。

母を想って、悲しくなったりすると胸が辛くなって泣きます。言葉がないだけで、しっかり母を愛しています。
母が赤ちゃんを想う気持ちより、はるかに赤ちゃんの方が母を想っています。母のすべてを愛しています。

言葉は発しなくても、ちゃんと理解しています。わたしに笑顔で話しかける人に、笑おうと思わなくても、勝手に笑っちゃっいました。
泣くことも笑うことも、考えたりするよりももっと突発的に起こることで、ただの反応に近くて、その働きに体は忠実だった。

赤ちゃんのわたしは、テレパシーみたいなものが使えるというか、テレパシーしか使えない感覚がありました。
わたしは、他の赤ちゃんの隣に並べられたことがあります。
その赤ちゃんは、ただの赤ちゃんでテレパシーがぜんぜん通じませんでした。「なんだ、通じないや」と思いました。アホだなーって赤ちゃんなのにその赤ちゃんを観察していました。
そのお母さんもアホそうでした。

でも、たまにテレパシーで交信できる赤ちゃんがいました。わたしより高度なテレパシーを使えるので、赤ちゃんだったけどコイツすごいと感じました。

高度なテレパシーを使える赤ちゃんのマネをしたくなりました。その赤ちゃんのお母さんも素敵な人でした。

このテレパシーみたいな、なんか分からないけど言葉を越えた「何か」が通じる人と通じない人とは大人になってからもずっとあります。

その「何か」を持っている人とは出会えると、とても嬉しくなり、懐かしくなり、同類とも感じます。肉体は一緒にいなくても、遠い場所でも心の中で会話ができる存在になります。

想い合います。

あれだけ想っていた母のことは、ある時に繋がりを切る儀式があります。思春期から20代にかけて。何か分からないけど、これをする必要が女同士の親子は特にある。

肉体を守ってもらうために、母を想うようにそういう脳にインプットされたものであり、本当にテレパシーが通じる関係とは別物です。

それで、母と娘のテレパシーが通じる同士であれば、一度切ってからまた繋がると思います。

わたしは、母との関係を切るに切れなくてとても苦労しました。
母がわたしに侵食して、わたしのほとんどが母に所有権があったように思います。
死なない程度に、大量の出血や激痛が伴いますが娘は母から侵食された部分を何度も何度も見つけては削ぎ落とすことが必要になります。
そうしないと、娘は娘の形になれなくて、また自分が母になったときに同じことを繰り返してしまうからです。
それに、本当にテレパシーが通じる仲間との出会いを阻害します。
過干渉な母は娘を生き殺しをしている自覚を持って欲しい。
親は無償の愛を子どもに抱いてると勘違いしたらいけない、愛されているのは親の方だから。

わたしには18歳の娘がいます。娘に侵食しないようにしていますがとても難しい問題です。
娘は高校生の時から一人暮らしをしたいと言ったので、1人で生きさせました。
娘は貧困でかなり荒れていたようですが、手出しは娘から頼まれるまでしません。
それは、愛のない母のように言われますがわたしの愛は3つ。
①待つこと②干渉しないこと③大きく心配しないこと

遠くから、いつでも困った時は助けるよ!と手を広げているだけです。わたしが娘にできることは、人生に体当たりで「大失敗しても死なないぜ!」という姿を見せることです。

大失敗してホームレスみたいな生活になっている母を、娘は面白がっています。

娘は娘とテレパシーが通じる仲間と、楽しくわたしをネタにしていると思います。それでいいです。

今回は赤ちゃん同士からのテレパシーは、ずっと続いていることと
少し話が逸れたけど、母娘関係のこじれについて書きました。


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