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生ビールは忙しなく、瓶ビールは底が旨い

大学生の時、生ビールがあるのにも関わらず、瓶ビールがなぜ居酒屋に存在しているのか全く理解できなかった。

小さなグラスでちびちびと飲む。お酒にも人生にも勢いがあった頃、瓶ビールはその勢いの対極にいた。そのため当時の私には、瓶ビールがどこかやさぐれて見えていた。

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「僕は下戸だから、気にせずたくさん飲んでいいよ」

学生時代に食事に連れて行ってくれたサラリーマンは、茶色の瓶を傾けながら言った。手酌はあまりにもと申し出たが、自分で飲むペースを調整したいのだという。私はもちろんこのとき生ビールを頼んでいた。

ただ、こんな話はもうずいぶん前の話であって、私はもう来月には28歳になろうとしている。そのせいで、アラサーという言葉はこの一年で自分事として、どこかしっくり落ち着くようになってきた。

そして、かくいう私も最近瓶ビールを飲むようになった。生ビールはたしかに美味い。それでも時に瓶ビールを飲みたくなるのは、生ビールはどこか忙しない気がするからだ。

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飲み物は?と質問される。とりあえず瓶ビールで。カウンターの椅子を引きながら、そう答えた。

岡山県岡山市・成田屋

メニューの上段を読み終わろうかという頃、瓶ビールはすぐに運ばれてきた。もちろん小さなグラスも。そんな瓶ビールは、やはり開けたばかりだからなのか、注ぎ口から出る冷気がまだ白く見える。

ここですぐに口をつけるわけではない。なぜなら私はまだメニューとの対話を終えていないからだ。
生ビールだと泡が消えることに神経を注がねばならないが、その点、瓶ビールは都度泡を供給してくれる。こう思うとメニューを睨む目は微動だにしなかった。

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注文を終え、流れていたテレビ番組がCMに切り替わった頃、カウンターの奥からは頼んだ品が運ばれてきそうな気配がした。
とりあえず一口ビールを口に運ぶ。二口目は料理が届いた後にしよう。誰が言われるわけでもないのに、私はそう思った。

アテを口にしながら飲むビールはやはり美味い。瓶を手に取るペースも自然に上がってくるというものだ。

それでも瓶にはおよそ三分の一は残っている。えいままよと飲み干すのも悪くないが、せっかくならこいつを待ってもう一品頼むのも悪くない。ならここは耐え忍ぼうではなかろうか。

ただ耐え忍ぶとは言うものの、ここでの忍耐はもはや快楽に近い。最近、瓶ビールは底の方が旨く感じるのは気のせいだろうか。 

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少し気になる相手と飲みに行き、瓶ビールを頼むと、グラスは大抵2つ提供される。それはたとえ相手が焼酎を頼んでいようとも。

さもすれば、よければ一緒に一杯飲みますか?なんて、酌をすすめる。最近、そんな時間が楽しかったりもする。
それは同じ酒を飲むという嬉しさから来るものなのかもしれないし、また一方で、あのトクりとした音に緊張を掻き消してもらおうという自分の藻掻きのような気もしている。

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「お前、若いのに一人で瓶ビールなんか飲むんか」と、同じくカウンター席で右側2つ向こうに座る老年男性が声をかけてきた。

「最近、ちょっと始めまして」
「そりゃ、ええが、ええが」
「そう、ええがなんです」

使い慣れない方言も今日はどこか嬉しい。そう思っていると、彼は右手で小さなグラスを軽く持ち上げた。もちろん私の目の前にもにも同じグラスがある。

私も残っているビール全てをグラスに注ぎ、左手でそれを掲げると、小さなグラスで音鳴らさず乾杯するのも悪くないと教えてもらったような気分になった。

そして、瓶の底に残ったビールはやはり旨い。今日ばかりは疑問なくそう思えた。

(おわり)

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