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Episode 228 夢か現かわかりません。

コミュニケーションが苦手なASDの私は、成長とともに自動的に広がってしまう社会から離れて独りでいることが多かったと思います。
もちろん、機械的に会話することは可能で、それ故に学校などでの事務的な受け答えにトンチンカンな部分があったとは思えません。
ただ、雑談が出来ない。
物静かな優等生が意見を求められれば、今まで黙っていたのが嘘みたいに喋り倒す…。
それが雑談の範囲を超えると周囲が興味を失って引いてしまうのです。

そうですね、メールのやり取りとLINEのやり取りの差…とでも言いましょうか。
LINEのグループトークの中に長文のメール文を放り込むみたいな感じ。
あの吹き出しひとつが画面をスクロールしないと読めないほどの長文だったら…と考えれば、どれくらい周囲が「うわ…」って思っていたのか想像できるような気がします。

普通、友人やクラスメイトとかとの他愛もない雑談で得るような社会性を含んだコミュニケーションスキルは、私の中高生時代を考えた時、相当難易度が高いことだったと思います。
会話の「間」や、話すタイミング聞くタイミングの押し引きなど、幼いころからそういったコミュニケーションのトライ&エラーをしてこなかったことが、さらに上のレベルの「空気を読む」を難しくしていったのだろうと思うのです。

ただ、コミュニケーションは苦手でも人が嫌いなわけではなく、美の対象として女性には興味があって、カワイイ子を見ては勝手にひと目惚れしたりするのです。
何と言っても「メンクイ」ですからね。

さて、どうやってあの子に話しかけようか?
はい、もう…この局面の難易度の高さはご想像通りですよ。

男性目線の視覚的な異性への興味が「メンクイ」へと走らせ、その一方で感情的な部分は他の男の子とのコミュニケーション不足から、男子の共通認識を欠く少女マンガ的な知識で埋められていた…と考えれば、女の子側からも私の行動の不自然さは見て取れたのだろうと思います。
見た目は男性で、興味の対象は女性、でも、男性が女性を見る視点に一般的な感覚とは違う「不整合」があった。
コミュニケーションの部分が上手く機能していないが故に、周りの意見を聞いて自分の考えを調整することが難しかったのだろうと思うのです。

別に男性が少女マンガを読むことがダメだと言っているのではないのです。
読んで「良かった」と印象に残る部分と現実社会とのギャップを感じて「あれは物語の中のハナシ」ってキチンと落としどころを見つけられれば…。
それは少年マンガでも同じこと、血まみれの殴り合いを現実と思うワケないじゃないですか。

少女マンガは少年マンガと比べて現実社会に近い描写がされることが多いように思います。
少なくても私が姉の書棚から拝借した作品は、そういったものが多かったのです。

コミュニケーションが苦手な私は、物語の中の非現実と、目の前で起こっている現実の区別が難しかったのだと思います。
「再生」という技法を覚えたのは、この物語の記憶が影響しているのかと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/4/30

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