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Episode 240 気付くとできるは違うのです。

パートナーと出会い、人それぞれに私とは違う感情があって、それぞれの人が相手を考えながら生きているということに気が付いたのはパートナーと結婚する前の話ですから、1994年から1995年ごろかと思います。

では、それに気が付きながらも対人関係のトラブルで何度も挫折したのか
その問いは、「相手の考え方を受け入れているのかどうか」という視点で上手く説明できると思います。

私は「ひと目惚れ」した時点で、相手の全てを受け入れる決心をするのです
残念ながら、コミュニケーションの過程で相手を知り、どこまで受け入れるのかを調整したわけではありません。
「恋の化学変化」という言葉で表現した相手との関係性の変化は、時と場合では「いいひとなんだけど友達どまり」とか、「仕事のパートナーとしては最高なんだけど、恋人向きじゃない」とか、必ずしも彼氏彼女の関係に発展するわけではないのです。
それは、読み込んだ膨大な物語で幾つも見てきました。

でも、私はこの関係性の変化を経験したことがありません。
パートナー以前におつき合いした女性と関係性が作れていなかっただけではなく、パートナーともこの関係を構築できていないのです。

受け入れると決めたパートナーとの関係は、「好きだという事実」をヤジロベーの支点にすることで、パートナーと私で時間を共有することが出来るようになった…でも、好きに至るまでに乗せるヤジロベーの支点が見つからない。
本来なら、その支点をお互いのコミュニケーションで育てていくのでしょうが…。

この関係性の構築というバランス感覚が、私の知識と経験から抜け落ちていて機能していない。
それは恋愛に限らず、仕事上の同僚や上司部下の関係でもある話だと思います。

私はパートナーと出会って「相手を思いやる」ということを知ったのだと思います。
でも、その関係の作り方は受け入れると宣言した上にパートナーが乗ってくれたからできたものであって、お互いにゼロから作り上げた関係性ではないのだと思います。

私は人として生きていく中で人を思いやることが重要だという事を、パートナーとの関係で理解しました。
でも、その関係性の構築方法を理解しているのかと聞かれれば、首をかしげてしまいます。

上手くいかない時は、必ず相手が私の視界から消え去り、独りごちているのです。
わかっているのです。
わかっていて、気付いてはいるのですが、なかなか…。

旧ブログ アーカイブ 2019/5/12

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