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Episode 336 常識で説明できません。

ASDを抱える人はセクシャル・マイノリティも抱えやすいのではないか…というモヤモヤした仮説を確信に変えたのは、やはりTwitterでのASD女性の窮屈さを感じたからだと思います。
そして、私に女性のASDが男性のそれと違うことも、共通の部分があることも教えてくれたように思います。

基本的にASDの思考は、周囲とのコミュニケーション不足から社会性の獲得に苦労し、それ故に感性の矛先が独自に進化している部分があるのだと私は考えています。
男性よりも共感性を求める傾向の強い女性社会は、男性ASDよりも「共感」という社会性を無理やりにでも獲得せざるを得ない環境に置かれることが多いのだろうと思います。
多くの女性ASDが抱える「共感という擬態」に疲れる現象は、どういう理由か分からないけれど相手に合わせて「分かるー!」って言うことを求められる「ブラックボックス」が多数存在することが原因のひとつなのだろうと私は思います。

その一方、男性は女性社会より独自性が容認されていて、同年代の女性から見れば「おバカ」で「子どもっぽい」部分が多く、それを「しょうがないなぁー」笑って受け流せる雰囲気があると感じます。
それは結果的にASDの感覚的な自由度を高める傾向に繋がるワケで、男性の方がASD傾向を表に出しても咎められにくいことに繋がっていくように私は思うのです。

私はTwitterでのツイートなどを見ていて、女性ASDは「共感」という擬態の中から「女性は男性を好きになるもの」という常識的な価値観を獲得するように感じます。
それは、昨日のブログでお話しした幼児の「結婚する!」のころから脈々と培われる、女の子として見られ、女の子として育てられ、女性社会に身を置かなければならない窮屈さを象徴するブラックボックスが存在しているからだと感じるのです。
理由は良く分からないけれど、男の子を好きになるのが社会的常識としての価値観だと態度を合せておくのが無難…。
それとは別に、自分自身が思う「美しい」は確実に存在していて、そこの独自性は男性ASDと同様にのびのびと進化する。

自分自身が美しいと思うものに興味があるのは当然ですよね。

私自身も、パートナーに対して「美しさ」を感じて好きになったという記憶があります。
私の場合、美しさやエロスの対象は女性だったわけで、でも女性が対象になったのは偶然の出来事で、さらには愛と性の気持ちの一致も難しかったとお話ししました。

女性ASDの場合は…きっと、社会的な「異性が恋愛対象」という常識をブラックボックスに押し込んでしまい易いのだと思います。
「分からないから答えを合わせておくだけ」のブラックボックスには、気持ちの入った中身などかないですから、ブラックボックスに押し込んでしまった「社会的に育って行くだろうも期待される男女の関係」についても入口に出口を合わせるだけで、形だけのものです。
その一方で、性別に関係なく美しさを求める気持ちが、社会性に邪魔されることなく進化を遂げて…。

これはあくまでも私の私見ですが、美しいものへの趣味/趣向に社会性が伴わないことは、社会的常識という枠組みを飛び越えた美意識に独自進化する可能性が高いと思うのです。

「男の子でしょ」とか「女の子でしょ」という性別での育て方の違いは確実に存在します。
そして、その社会性の獲得に弱いASDは、性別に関連する部分をブラックボックスに入れて帳尻をあわせ、思考を止めるのです。
良く分からないけど、男の子として、女の子として、こうしなければならないんだな…。

私にも女性的な思考が強い部分が存在していて、それはきっと…そんな「ブラックボックス的な思考停止部分とそれ故の独自性による」という成り立ちがあるのだと私は思っています。

異論は多々あるでしょう。
でも、ASDとしての自分自身の経験と、Twitterで見る女性ASDの女性社会への窮屈を訴える感覚から見て、ASD者は構造的な美意識の中では成立し得ない別回路が存在していて、美しいと感じるものが結果的に同性になるとかがあり得るのだと言うこと。
ASDの中性的な部分は、きっとこのようにして作り上げられていくのだろうと私は思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/8/16

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