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Episode 324 古い話に注意です。

よくパートナーに「あなたはイメージで話をするよね」と言われます。
実際には経験したことがないことや、数回程度の経験で良く知らないこと、はるか昔に経験した古い記憶を、自分が経験豊富でよく知っている感じに話をすることがあるというのです。

「あなたの記憶は当てにならない」とパートナーがいうのは、本当に経験していることかどうか分からない疑似体験の記憶が会話に混ざってくるからなのだと思います。
その疑似体験とは、以前お話ししたロードマップで景色が合成される話とか、時刻表で空想上の旅行が可能とか…そんな話です。
これは視覚からのマクロ展望を正確に分析して設計施工できることで可能になった「ギフテッド(2E)」系の「技術」だと私は思っています。

私にとってこの「技術」は私の生活に溶け込んでいて、何の不思議のない自分自身の一部なのですが、これが「具体的な地理地形などの姿かたちのある物理的な範囲」を超えてしまった時に、どうやら「おかしなこと」が起こるようです。

つまりですね、あなたの気持ちだったり私の気持ちだったり…という形のない心情的なものについても記憶の合成が行われているということです。
この件は、すでにこのブログで何度となく登場している「再生」の話です。
映画や小説で得た知識を、自分の不足する経験を補うために記憶に混ぜ合わせて保管するのです。
それは経験という水が不足する金魚鉢に、水に代わるものを注ぐという喩えでお話ししたことです。

私にとって、記憶の合成とは日常生活をおくるために行われるスタンダードな行動で、そこには物理的であるとか心情的であるとかいう区別が…多分、存在しません。
合成された記憶は「YouTube」のように映像作品として整理保管され、キーワード検索でヒットして脳内にロードされるのです。

例えば…YouTubeで「東京タワー」とキーワードを打ち込めば、東京タワーを美しい建築物として紹介する動画や、歴史的な価値を扱うものや、または歌の歌詞に登場するもの、ミュージックPVの中に登場するもの…と言うように、東京タワーというキーワードでヒットする話は多岐にわたり、そこには物理的・心情的なあらゆる角度の東京タワーが並列で登場するでしょう。

私の記憶には「物理的」「心情的」という記憶の種類を示すタグがない…だから何の躊躇もなく私自身の記憶に物語の出来事を組み入れられるのかもしれません。
パートナーの言う「私の記憶は当てにならない」…とは、私の話す過去の経験の中には、心情的な実記憶に仮想現実が混ざった合成記憶が存在するのではないか…と、パートナーが気付いたからなのでしょう。
今となってはどこまでが実記憶で、どこまでか合成なのかが私自身で分からなくなるほどに「外部知識の組み込み」が行われているという自覚があります。

古い記憶をたどる時は…組み替えられたかも知れない記憶に要注意なのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/8/4

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