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人生で一番おいしかったもの。それは「ひとつまみの塩」

あなたは、「これまでの人生で一番おいしかったもの」について尋ねられたら、なんと答えますか?

ミシュランで星を獲得したレストランの料理かもしれないし、恋人と一番最初に食べたディナーかもしれないし、母親の手料理かもしれない。

もしかすると、あまりピンとこない人もいるかもしれません。そんな人は、きっとこれから経験するでしょうから、ちょっぴり羨ましくもあります。

さて、私にとっての「人生で一番おいしかったもの」。

それは”ひとつまみの塩”です。

なんだか料理を極めた鉄人が言いそうなセリフですが、あいにく私は料理上手というにはほど遠く、むしろ不器用な人間です。

味覚のほうもそこまで優れていませんから、高級な柔らかいお肉よりもスーパーのかたいお肉のほうが好きだったりします。

そんな私ですが、一応いろいろなものを食べてきたつもりではあります。

星つきの高級フランス料理や10貫で8000円するお寿司やらを背伸びして食べたことがありますが、残念ながら”人生で一番の味”にはなりませんでした。

私にとっての至上の味は”ひとつまみの塩”。

それは、人生の尊い教訓とともに鮮明に私の脳裏に焼き付いています。

きっかけは、自転車で島を一周しようとしたこと

高校2年生の夏。私は学校にうまくなじめず、また将来についての展望もまったくなく、鬱屈とした日々を送っていました。

とくにやりたいこともない。そう思いながらも、親や教師から「とりあえず大学に入りなさい」「今頑張らないと安定した人生は送れない」と急き立てられ、ひとまず学校近くの塾に通っていました。

自分の意志とは関係なく進んでいく人生。まるで誰かが運転している車の後部座席に座って、過ぎゆく風景をぼんやりと眺めているようでした。

そんなある日、同じ塾に通う友人と「どこかへ行きたいね」という話をしました。とくに深い理由はなく、なんとなくその場のノリで思いついたのだと思います。

いま考えれば、他人事のように送っている日々の中で、なにか自分から行動を起こして日常を変えたいという気持ちが少しあったのかもしれません。

私は唐突に「あさって、この島を自転車で一周しよう」と友人に言いました。友人は少し驚いていましたが、すくに「いいよ」と二つ返事で答えてくれました。

その友人は殻に閉じこもったヤドカリのように出不精な私とは正反対に、とにかくアクティブで何事においてもフットワークが軽い性格でした。

そしてその2日後、二人は本当に自転車で島を一周する旅に出たのでした。

旅の始まり。そして私の病気発動。

世間知らずな私たちは、自分たちが住んでいる島の大きさを正確に把握することもせず、「本気を出せば2日くらいで周れるだろう」と楽観的に考えていました。

そのため、寝袋などのアウトドア用具はもちろんのこと、あろうことか食料品さえまともに用意せずに出発したのです。

必要になればその辺のコンビニやホームセンターで買えるだろう。そう思っていました。

出発の日、空には小さな雲がまばらに散っているだけで、雨の気配は全くなく最高の天気でした。

友人と昼頃に私の家の前で合流し、それから島を北上する形で旅はスタートしました。

30分ほど自転車で走っていると、想像以上に日差しが強いため汗がとめどなく噴き出してくることに気づきました。

ふと頭の中を「本当にこんな真夏に島を一周なんでできるのか?」と冷静な考えが横切りました。そして「こんなことをして意味があるのだろうか」とみるみるやる気がなくなりました。

そして、ついに私の”引きこもり病”が発動しました。

本当なら今頃冷房のきいた家の中でのんびりゲームをしているはずだった。それなのに、なんでこんなことをしているんだ。ふつふつと謎の怒りが湧いて出てきて、私はついに友人に言いました。

「なぁ、やっぱり帰ろうよ」

それを聞いた友人は困ったように笑い、「まだ始まったばかりだよ」と言いました。

私は「始まったばかりだからまだ引き返せる。やっぱり無謀だよ」と食い下がりました。

しかし、友人も一度決めたことに対しては頑固な性格で、「一周するって言ったんだから。とにかくもう少しだけ行こう」と引きませんでした。

私は自分が言い出しっぺなこともあり、観念してもう少しだけ旅を続けることにしました。

今思い返せば、ここで友人が引き留めてくれて本当に良かったと思います。そこから続く旅路は、おそらく一生記憶に残るであろう素晴らしい体験だったのです。

圧倒的な準備不足。想像以上に過酷な旅

ひとまず、そこから一時間ほどいったところにある岬に向かうことにしました。

道はほとんど平坦で、四方をさとうきび畑が囲むまっすぐな通りを進みました。畑の向こうには青い海が見えます。

太陽がじりじりと体を焼き付ける中、海の方からさわやかな風が吹いてきました。それは信じられないほどに私の心を清々しいものにしました。

ああ、やっぱり引き返さなくてよかった。と私は思いました。

友人に「気持ちいいね」というと、彼は笑顔でそれに答えました。

岬につくと、そこには広大な海が広がっていました。それまでに何度も訪れたことのある場所でしたが、見るたびに景色が違うように感じられました。

しばらくその風景に見入っていましたが、私たちは日が落ちる前にたどり着かなければならない場所がありました。

初日の夜は、私の親戚の家に泊めてもらうことになっていたのです。

再び自転車をこぎ始め、それから3時間ほど海沿いを走り続けました。その時点でおそらく4~5本くらいの500mlペットボトルを消費していました。

汗がだらだらと流れ続け、一度たりとも汗が止まることはありませんでした。

あたりが暗くなってきたころ、ようやく待ち合わせの場所に到着しました。親戚のおじさんは30分以上も待ってくれていました。

その日の夕食は豪華でした。おじさんが自転車で走ってきたからお腹がすいただろう、といってから揚げが大量に入った弁当を注文してくれていました。

私と友人は無我夢中で食事にむさぼりつきました。そして、お風呂を貸してもらい、泥のように眠りにつきました。

翌日は朝8時ごろに出発しました。ひとまず島の最北端にある岬へ行くことにしました。

無知な私たちは、2時間くらいでつくだろうと高をくくっていました。

しかし、そこからは山道がほとんどで上り坂と下り坂がひたすらに繰り返される地獄のような道のりでした。

もともとは運動が苦手な私は、すぐにバテてしまいみるみる自転車をこぐスピードが落ちていきました。

友人は運動神経が良いこともあり、坂道でも自転車から降りずにスイスイと登っていきました。

その日も真夏の炎天下で、じりじりと私たちの体力を削っていきました。

少しずつ歩幅が合わなくなってきた二人は、次第に距離が遠くなっていき友人の姿が見えなくなりました。

私は「少しぐらい待ってくれてもいいのに」と憤りました。逆に友人は「だらだら進まないでくれよ」とイライラしていました。

食料も持たず、空腹で汗だくな二人は、お互いを思いやる余裕がなくなっていき、いつしかほとんど口も利かないようになりました。

気づけば命綱である水も底をつき、周囲にはコンビニどころか自動販売機すらありませんでした。

もしかしたら熱中症になって倒れるかもしれない。

そう思った私は少し進む速度を上げましたが、先を行く友人にはなかなか追いつけませんでした。

必死の思いで岬につくと、美しい光景が広がっていました。先に到着していた友人の隣に立って、一緒にそれを眺めました。

二人とも、はじめはぎこちない感じで会話をしていましたが、次第に心がほぐれていき、またいつも通りの関係に戻ることができました。

その岬には売店があったため、そこで食事をとりました。

休憩もつかの間、私たちはすぐに岬を出発しました。その日は泊まるあてもなく、野宿をする予定でした。とはいえ、明かりのない山道で野宿をするのは怖いので、どこか人が住んでいる村の近くにしようということになっていました。

その岬から次の村までは、かなりの距離がありました。これまで以上に道の起伏が激しく、急がなければ夜になるまでに到着できない可能性がありました。

体力を少し回復した私たちはスピードを上げて道を進みました。私はやはり上り坂では自転車を降りて進んでいましたが、今度は友人は待ってくれました

二人で励ましあって3時間ほど進んでいましたが、一向に村にたどりつく気配はありません。

うだるような暑さで汗が全身にまとわりついてきます。最初のうちは流れてくる汗がしょっぱかったのですが、次第に何の味もしなくなりました。

私は「汗をかきすぎるとただの水になるんだ」とぼんやり考えていました。

それからさらに1時間ぐらい時間が経ったころ、二人の疲労はピークに達しました。

山の向こうからはギラギラと光る海が見え隠れし、アスファルトからは蜃気楼が立ち上っていました。

友人が取り出した塩に救われる

友人が、唐突に「そういえば母親からもらったんだった」と言い、リュックの中を探り始めました。

私は何か食料かな?と期待したのですが、出てきたのはただの塩でした。

ガッカリして「なんで塩?」と聞くと、友人は「熱中症予防にともたされた」と答えました。

塩ならいらないや、と私は思いましたが、汗が何の味もしなくなっていたことが気になっていたため、ひとつまみもらうことにしました。

その塩を口にいれた瞬間、全身に電気が走るような衝撃を受けました。それはこれまで人生で経験したことのない味でした。

思わず感動で泣き出しそうでした。気づけば「うまい!」と私は大声を出していました。友人も塩をひとつまみ食べると、やはり「うまい!」と言いました。

おそらく塩分不足からくる本能的な欲求もあったと思いますが、それだけではなく、これまでの苦労がすべて報われたかのような快感があったのを覚えています。

おそらくただの塩分不足だけでは、あそこまでおいしいとは感じなかったでしょう。

何度も何度も帰ろうと思いながら、無理やり自分を励まして進み続け、限界に達していたからこそ、あの感動があったのだと思います。

あの塩の味は一生忘れることはありません。そして、そのとき私は「本当に尊いものは、苦労の先に手に入る」という教訓を得ました。

実際、その後の人生において本当の意味で感動したり喜んだりする瞬間というのは、苦労や努力の末に掴んだ成果を抱きしめている時でした。

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あなたは、「これまでの人生で一番おいしかったもの」について尋ねられたら、なんと答えますか?

私は「ひとつまみの塩」だと即答します。

へんちくりんな答えですが、それが真実なのだから仕方ありません。

私はその味を通して、人生の教訓すら思い知ることができたのです。

ちなみに、そのあとの旅路でもいろんな出来事が起こるのですが、それはまた今度の機会にお話ししたいと思います。

長々と読んでいただき、ありがとうございました。

大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。