「わたし」から「あなた」へのメッセージ、「わたしたち」。
はじめに :由美さんとの出会いまで
本日二回目の投稿失礼します。
現在、noteで毎日ではなくとも 週/月に一度や二度は投稿したり、時間を見つけてタイムラインなどから
フォロワーさんの投稿を読むような 【アクティブユーザー】はどれくらいいるのか…
全く把握していませんが。
それでも、読みに来てくださる方々や、こちらが読みにいく、コメントをする方々の中には同じ年代で育ってきた方も多いように感じます。
私の場合、大学を出て就職後、比較的早くに結婚しました。
夫(当時は恋人)の海外転勤が決まったためです。
よくよく考えると「帰国まで何年かかるかわからなくとも結婚は後にして私は日本に残るべき」という見方もあるかもしれません。
なぜか、私には、迷いはありませんでした。
そして、そのことを告げた私の家族も。
父、母、妹なんて、これから私がどこへ行くのかわかっているのかいないのか?
そのくらい違和感なく彼との結婚を喜んでくれました。
出発の日まではまだあと何ヵ月かある
と思っていても、気づけば前日。
ちょうど用事で銀座へ母と来ていて
ある映画を観ようということになりました。
私は映画を見つつも涙が止まらない。
母はというと
「泣くんじゃないのよ。」
静かに言いながら目に涙が沢山たまっていました。
私が旅立つ前に母の涙を見たのはこの時だけ。
あとは持たせてくれた手紙でも、着いてからの無事を伝える国際電話でも
明るい母のままでした。
「ずっとね、元気に見せていても ほしまるちゃんのことを心配していたよ」
両親と妹が亡くなった時に、
母の友人の方から沢山聞きました。
両親と妹が亡くなる数ヶ月前に
夫と私は結婚式もかねて一時帰国したのですが
その短い時間が 【家族】で過ごせる最後になってしまうなんて
思わなかったから。
私自身も 海外生活での辛さや孤独など
母にいちいち報告はしなかったし
母自身も、寂しさや 本当に些細なことでも
私に話せなくなったときっていつも我慢してたのかな。
そう思わせてくれる本に出会いました。
縁あって noteの街で知り合い、
そして私が結婚して日本を離れた時と
ほぼ同じ頃に 親元から 私と同じ南米大陸へ渡った女性。
翻訳をされている星野由美さんです。
これまでも由美さんのnoteのお話や、手掛けられた本は魅力あってどれから読もうか迷っていました。
ちょうど発売間も無かった 「わたしたち」。
…泣きました。
ある箇所で泣けて泣けて。
そんなこともあって、もう一度時間をおいて読んでからきちんと読書感想文を書こうと思っていたので、一足も二足も遅くなりました。由美さん、ごめんなさい。
わたしたちというタイトル
私が夫の仕事で暮らしていたのは南米のスペイン語圏のとある国です。
夫も私もスペイン語は初めて。
英語が全く使えない国なので
初めは本当に大変でしたが。
それでも少しずつ慣れてくると、生活している周りの人たちや
お世話になる人たちとの挨拶とも楽しくなっていきます。
いまだに私が好きなスペイン語の 表現、いくつかのうちのひとつがあります。
またね、とかまた会おうね、を表す
Nos vemos.
です。
「ノス ベモス」
ほとんど会話では 「ノベモス」って感じに言い合ってたかな。
そのくらい気軽に言える「またね」です。
同じような感覚ですが
もう少しかしこまった言い方だと
Hasta luego.
「アスタ ルエゴ」
でしたかね。
ただ、やはり、親しい人たちだと
「タルエゴー」って感じになってました。
さらに余談ですがよくありがちな
Hasta la próxima.
これは絶対、使いませんでした(笑)
一応教科書にも書いてあるし、必ず習うんですけどね。
余談が入りましたが。
Nos Vemos.
この表現、現地でお世話になった人がある時こんなことを話していたのを聞いてから
余計好きになりました。
「わたしたち 会いましょう、って意味でしょ。
だからあなたと、私、かならず会いましょうねって約束なのよ」
ああ、なるほどな、って思いました。
当たり前なんですけれど。
同じように使う
Hasta Luego より 相手との距離感?というか
そんな心地よい親しさを感じられるから
私は Nos Vemos がすきなんだ、って思った記憶があります。
あなたと私。
Nosotros
すなわち
わたしたち
このわたしたちは
帯に「いつかとびたっていくあなたへおくるメッセージ」とあり
おやこの繋がりを描く物語です。
わたしたち を読んで
※なるべくネタバレには注意して内容の詳細は触れません。あしからず
この絵本が、由美さん翻訳の絵本だからという贔屓目を抜きにして
数十年ぶりに自分のために買った絵本がこの
「わたしたち」でよかった。
そう心から思いました。
こんなにも温かい気持ちになれて
そして、どの絵もどのページにも思い入れがあります。
「もしもわたしが…なら」
「あなたは…」
小さな子どもに親が読み聞かせているような
始まりの絵本です。
やがて、
その子どもも成長していく。
言葉のない、絵だけのページがあります。
そのページを時間換算したら
一年なのかそれとも五年、十年なのかは
わかりません。
その時に更に涙がこぼれてしまいました。
それでも、この絵本 物語はとても温かいのは
親目線である「わたし」の愛情がとてもふかいからだと思いました。
「旅立った」私は、母(父と妹)の死に目にも会えませんでした。
立派になった姿も見せられなかった。
後悔や、懺悔のような思いというのは
おそらく一生背負っていくかもしれません。
親不孝してしまったなと思っているので。
それでも、もし、あの時 迷ったり躊躇って
南米大陸へわたらなければ。
出会えなかった人たちもいます。
そして、こんな風に未だに忘れないほど
一生懸命スペイン語も勉強しなかったし
きっと偶然でも 由美さんとここで出会えなかったと思っています。
由美さん、改めて素敵な本の翻訳を手掛けてくださりありがとうございました。
由美さん、これからも尊敬しつつ、応援していますね(*^^*)
絵本好きな皆さん。
お子さんをお持ちの皆さん。
お子さんとかかわるお仕事をされている皆さん。
そして、絵本なんてずいぶん読んでいないなという皆さん。
ぜひ手にとっていただきたい一冊です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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