見出し画像

タミオさんが本当の姿で居られる空間、存在。

私の父方の叔父にタミオさん (仮名)という人がいる。

色々あって、もう長いこと会っていない。

しかし、ネットで調べると、まだ元気に店を切り盛りしているようだ。

タミオさんのお店に来店した人が口コミを書いていた。

お客様との写真に写ったタミオさん。

70代らしい老け方をしながらも、
頭にバンダナをまいた姿の 洒落て粋な 生粋の江戸っ子のまんまで、
そして私の亡き父にそっくりな顔をしていた。

傍らには、タミオさんにとって「大切な相方」さんも一緒に。

画像1

1:「タミオさん」と私

タミオさん、と書いたのはわけがある。

生まれてから物心つくまで、
私は叔父さん、ではなく、タミオさん、と冗談を交えてなのか、呼ばされていた。

幼稚園の頃だったか、小学生になってからだったか、私からタミオさんに聞いたことがある。

「ねぇ、ほしまるだけ、なんでおじさんって呼んじゃいけないの?」

タミオさんの作戦もここで失敗、だったのだろう。

答える代わりに、タミオさんは

「ほしまる、今まで、無理やり呼ばせてごめんな」

と私の頭を撫でた。

今なら、私はタミオさんの気持ちが少しわかる。

なぜなら「叔父さん」なんて、
姪の私に呼ばれるほど、
俺はそんなまともに生きてないよ、って
タミオさん自身が思っていたかもしれないからだ。

私が中学くらいまでのタミオさんは、
確かに当時は「まとも」ではなかった。

大学の文学部を中退したタミオさんは、
仲間と組んでアマチュアバンド活動しながら、バイトを探す。
しかしバンドも、職でも挫折。

そんなタミオさんは間も無く、
両親(私の祖父母)に懇願されて
一度はふつうに就職するも、一年も経たずに退職。

その後は、バイトを転々としながら
お金が貯まるとふらっと海外へ行く。

忘れた頃に帰ってきてはまたバイト。
その繰り返しだった。

その当時の大半の働く世代、サラリーマンが
「24時間働けますか」という 栄養ドリンクのCMのごとく、馬車馬のように働いて
バブルの最中で、おもいっきり飲んだり遊んだりしていた時代だ。

定職にもつかず、日本と海外をふらふらしているタミオさんを
親戚中、いつもバカにしていた。

それは無理もなかった。

なぜなら父の一族は、
私の亡き父も含めて皆、理科系の大学卒で、祖父の代が築いた同族企業に勤めていたからだ。

もともと文学部に進み、親戚一族の歩むレールから外れた叔父は、親戚からすれば、さぞ滑稽だったことだろう。

けれど、私は、なぜか小さい頃からタミオさん、つまり叔父が大好きだだった。

叔父は沢山のことを教えてくれた。

「ほしまる。日本文学だけじゃなくて外国の文学ももっと読め。
視野や世界が広がるぞ」

思えば、小学生の頃から叔父のお下がりの本も沢山もらっていたからこそ
私は海外文学にのめり込んでいったのかもしれない。
だから、私は大学の英語学科に進んで文学に勤しんだのだろう。

そして、夫の転勤で暮らした南米でも
なかなか出会えない沢山の南米文学に触れようと思えたのかもしれない。

また、叔父は海外から帰る度に
どんなに小さなものでも必ずお土産をくれた。

そのお土産を渡しながら、
叔父が地図や地球儀でその国のことを話してくれるのが私は何より好きだった。

画像2

2:タミオさんの夢

私が高校に入ってからのことである。

叔父は、居酒屋を持ちたいと親族に話した。

当然、皆 猛反対だ。

当時は祖父(つまり私の父や叔父の父)が亡くなってまだ三年ほどしか経っていない頃で。

特に伯父伯母夫妻からしてみたら
「きょうだいで所有している祖父の財産を使わせるわけにいかない!」

という主張が強かった。

そのため、居酒屋なんてうまく行くわけなんてない、とか、
もっと地に足を着けた生活をしろ、
そして、いい年なんだから結婚しろ、と親戚揃って反対していた。

祖母や伯母伯父夫妻との話し合いから帰宅すると、
妹が寝たのを見計らって、母が泣きながら私に言った。

絞り出すような声で、母は反対する理由を告げた。

「タミオくんはね、恋人と二人で店を開きたいのよ」

最初、私はその何が悪いのかわからなかった。

数秒後、父と母は続けてこう話す。

「タミオは男性の恋人がいるんだよ」
「そう、だからタミオくんは結婚なんてできないの」

父の落ち込みようと、母の動揺を見て、
ぼんやりと、これまでなんとなく気付き始めていた点が線になっていった。

もしかしたら、ずうっと前から、叔父は男性が恋愛対象で。

大学を中退して、フリーターになったのも、もしかしたら、タミオさんにしかわからない思いがあって。

だとしたら、ずっとずっと苦しかったんじゃないか?

私はそんなことを考えていた。

ただ、正直なところ、
私がそんな伯父を100%受け入れて、応援できるか?というと、そうではなかった。

少なくとも高校生なりに混乱したし、ショックだったのは否めない。

時代のせいにはしたくないが、
まだそうしたマイノリティの人たちが、虐げられて、現代以上に生きづらい時代だったからだ。

画像3

3:念願かなって、オープン

色々揉めつつも、気づけば叔父の店はめでたくオープンした。

オープンした後、お祝いやら、祖母の誕生日やら、で私も家族と訪れて何度か利用した。

「あなたが、ほしまるちゃんね。
はじめまして。カクタです」

厨房には、叔父とカクタさんがいた。

カクタさん。
叔父の長年の恋人だと聞いていた人だ。

叔父とは阿吽の呼吸、というか
長年連れ添った相手同士らしい空気を感じる。

何事も知らないふりで、その場に慣れるのが精一杯だった。

なぜなら、カクタさんが叔父の恋人とうことは、
いとこの中では私しか知らない事実だったから。

画像4

4:お客として、タミオさんの店へ

大学卒業後、就職すると、父からよく言われていた。

「どうせ仕事の後、飲みに行くなら
たまには、タミオの店、行ってやれよ。」

私も仲間をいつか叔父の店に連れていこうと思っていた。

実際、新卒で勤めた会社にいるときも
何度か叔父の店を訪ねた。

「いいお店だよね」
「大将ってほしまるの叔父さんなんでしょ?カッコいいよね」

部内の同期会で使ったときも、
社内の親しい同期たちを呼んだ時も
みんなくつろいで飲み食いしていた。

そんなある日のことだった。

いつものように、叔父の店で飲んだ皆を駅やタクシー乗り場に送って、
お店に戻って片付けを手伝っていると、カクタさんが私にこう訊ねた。

「ねぇ、ほしまる。カラオケ行かない?」

「え!行きたい!歌いたい!」

「おいおい、ボックスじゃなくて、バーだからな!」

「それ片付けたら行くよー」

ふと見ると叔父は少しバツ悪そうな顔をしている。

「ほしまる、本当に行くのか...?」

「え、ダメ?」

「ダメじゃねぇけど。
このことは兄貴(私の父)には内緒だぞ?」

ん?父に内緒って...?
その意味はわからなかった。

画像5

5:姪には見せたくなかったであろう、タミオさんの世界

「いやーん、いらっしゃい!おつー!」

「タミーもカッキーも会いたかったー!」

バーのドアを開けるや否や、飛び出してきたのは、女装をした方々だった。

「なに!この子若くて可愛い!」

「おい、こいつは俺の姪だから!」

「いやーん、姪っ子なのね!ほしまる、よろしくー!」

私も皆さんに、よろしくー!と挨拶する。

女性ものの服に身を包み、
化粧を施したママさんや店員さんたちとはすぐに打ち解けた。

乾杯して少し談笑したあと、
私はカラオケを歌うことになった。

ママたちにリクエストされた若い世代の曲を数曲歌うとその度に気持ちがスッキリする。

いわゆる女装する方々とか、いろんな嗜好の方々がお客様として来訪しているのはわかったが、

ノンケの私にも変わらず可愛がってくれた。

一方、叔父は当初は、やけくそだったと思う。

何しろ本当の タミオさんの 世界を 姪の私に見られてしまったのだから、

けれど、私はむしろ 本当の 叔父、タミオさんの姿を見られて嬉しかった。

初めて、心から嬉しそうに笑っている姿を見たからだ。

見たことないくらいはっちゃけている叔父も、カクタさんもとても可愛かった。

画像6

6:父と母から怒られて、わかった

その夜のことだ。

ちょうど私が家につく前に、
申し訳ないと、父と母に叔父が謝りの電話を入れたらしい。

帰るや否や、父から頬を叩かれた。

「なんであいつらと一緒にいった?
なんでそんな店に行った?」

何故、私は怒られるんだろう?

そんな店...
叔父とカクタさんのような人たちや、
叔父たちの贔屓の店のママさんや店員さん、お客さんたちのように女装した人たちや
同性が恋愛対象の人たち...

そんな、なんて言ってほしくないな。

私は自然とぐっと拳を握って、父に淡々と告げた。

「お父さん、それって差別っていうんじゃないかな。」

父はぐっと言葉を飲み込んだ。

「私は皆さんと楽しく歌って飲んだだけ。
お父さんもお母さんも偏見で見てるよ。」

別に、叔父だから 庇ったんじゃない。

あまりにも楽しい空間を作ってくれた人たちを
「そんな店」なんて言ってほしくなかったんだ。

父も母も、そのことについては、それ以上触れなかった。

その店にはその後も何度か行った。

もちろん叔父とカクタさんのお店にも。

ママさんには、なんでも悩みを話せたり。

私にとっても、不思議な癒しの場だった。

画像7

7:その後、私は

その後、これまでの人生で、
様々なセクシャルマイノリティの人々の苦しみや思いを聞いたり、
読んだりした。

また、友人からある日突然、自身が同性愛者であることをカミングアウトされたことは、これまで何度もある。

そして、単に同性の友人だと思っていた人から、
カミングアウトだけでなく、好きだと告白されたことも二回あった。

「気持ちに添えなくてごめんね。
でも、こんな私のことを好きになってくれてありがとう」

この言葉が、彼女たちにとって、正しかったかどうかわからない。

そのためにも、これからも私は理解を深めないといけないな、とも思っている。

画像8

8:多様性という言葉

「多様性を大切にしましょう」

今の世の中、よく言われている。

多様性がなぜ重要なのか、ということを知るのはとても大切だ。

そして、その上で、理解ということがまず何より大事だと思う。

また、自分と違う人たちのことをよく知らないのに思い込みで、賛否を決めないこと。

そうしたことがまず大事なんじゃないかなと思う。

そうした思い込みが、マイノリティの方々への偏見や差別に更に繋がらないようにするためにも。

画像9


この記事を気に入っていただけたら、サポートしていただけると、とても嬉しく思います。 サポートしていただいたお金は、書くことへの勉強や、書籍代金に充てたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。