誰も興味ないだろうけど、自己紹介

ざっくりと(とは言えないほどの分量になってしまった)自分の経歴をあげるなど。

幼少期

それなりに楽しい生活を送っていたが、幼稚園生の頃にすでに虚無感のようなものを抱いていた。コミュニケーションが苦手で友達が少なく、一人遊びしているのを親に心配されていた模様。元漫画家志望の父の影響か、小さい頃から絵を描くのが好きな子だった。この頃の記憶はあまりないので省略。

波乱の小学生時代

小学1年生の頃だったか、母がとある病気を発症。小2の終わり、子育てができないからと父方の祖父母に半ば強引に引き取られる。母との別居生活を余儀なくされる。祖母に毎日スパルタ教育と体罰を受け精神を病む。自由時間など存在しなかった。学校でもいじめに遭い、母とも滅多に会わせてもらえず、誰も相談する人がいなくて居場所がなかった。人生で初めて自殺願望を抱く。

いじめと体罰(もとい虐待)のせいでPTSDを発症。いじめのことを知った祖母が激怒、小5の2学期に転校させられる。しかし転校先でうまくなじめず転校翌日に欠席するという問題行動を起こす。完全に人間不信に陥っており学校に行けない日が多かった。

徐々に祖母に対し反抗的になり、祖母もお手上げ状態となる。母が住んでいる母方の実家に一時的に引き取られる。父方とは180°違い過保護な母方の家が実に快適で元の家に戻りたくなくなる。しかし父方の祖母宅に無理やり呼び出された際に定期や金を奪い取られ、監禁・誘拐のようなことをされる。再び地獄のような日々が始まる。

忘れもしない小5の12月、ノイローゼになった祖母に病院に連れていかれる。自分のことを棚に上げて私を悪者にしようとする態度に堪忍袋の緒が切れ、「もう家を出ていく」と啖呵を切る。祖母も相当参っていたのか、あれだけ家から出してくれなかったのに願いを聞き入れてもらえた。無事母の実家で母方の祖父母、母と暮らせることに。それでもなお、父が定期的に家を訪れてきては私の生活態度、学習態度に口出ししてくるのにはうんざりしていた。

小学校は転校せずそのまま通い続けたが、どうしても行きたくないと毎日ごねていた。ほどなくして担任に「もう無理して通わなくてよい」と言われ不登校児デビューする。家では食っちゃ寝しては絵を描いたり漫画を読んだりと、それまで許されなかった自由を必死に取り返していた。しかし死にたいと思うこともしばしばあった。

「1学期ずっと行けたら欲しいものを買ってあげよう」と祖父に唆され、小6の1学期間は一回も無遅刻無欠席という驚きの変わりよう。ところが、2学期からはぱたりと学校に通わなくなり引きこもりと化す(とはいえたまにコンビニやスーパーに好きなお菓子を買いに行くなどはしていたが)。流石に将来が案じられるため、10月末からフリースクールに通うことに。

2か所のフリースクールをはしごしていた。どちらもそれなりに遠かったが(住民票を移していなかったからか)楽しかったので頑張って通っていた。友達は何人かできたが今では一人とも連絡を取っていない。

小学校の卒業式練習に無理やり出させられ、久々に会う同級生に囲まれパニックになり学校から脱走したこともあった(警察のお世話にはならなかった)。卒業式本番に出なかったためあとで一人卒業式をする。

楽しかった中学校生活

訳あって転校前の一貫校に戻れることに。小5以来、久々に友達と再会。最初は不安だったがだんだんと学校生活が楽しくなる。漫画部に入る。友達は数こそ少なかったものの、ずっと行動を共にするほどの仲の人が何人かできた。そこまでレベルの高い学校ではなかったので成績も割と上位の方だった。特に小さい頃からの教育のおかげで英語が得意だった。よく悪口の標的になっていたらしいがそれほど大きな悩みの種ではなかったと思う。中2の秋から幽霊部員になる。

中3の1学期は友人関係でいざこざがあったり、担任からの叱咤があったりで学校を休んでしまうこともしばしば。だが夏休みに留学し日本にいるときでは考えられないような解放感を味わう。海外への憧れを抱くようになる。帰国後2学期になってから留学の余韻で少し調子に乗りすぎて羽目を外してしまった。プチ黒歴史である。

中3の秋に子供の頃暮らしていた家で実に数年ぶりに父・母・兄との同居生活が再び始まる。とか書いているが、本来はこれがあるべき家族の姿だった。

しかし修学旅行で疎外感を覚え仲の良い友人からも突き放され、学校が嫌になり始める。3学期になって今更受験しなかったことを後悔する。学校を嫌ったまま高校に進学する。

地獄の高校生活の幕開け

中学3年間は同じ担任かつ仲の良いメンツと同じクラスだったが(学校側からの配慮のおかげ)、担任が変わり一番仲の良い友達Aともクラスが離れてしまう。Aとの仲が上手くいかなくて軽く絶縁状態になる。友人関係に亀裂が入り孤独になる。

徐々に受験のことも視野に入れなければならなくなり、同校の人がいかなそうなところに行きたかった&なるべく偏差値の高い大学に行きたいということで、某T大文系を志し勉学に励む。友情がうまくいかないのを勉強で現実逃避しようとしていたのもあった。

10月頭に母が持病を再発し、入院。家でも学校でもよりどころがなくなり精神状態が悪化する。勉強への熱もなくなっていく。何を血迷ったのか高2の文理選択で理系コースを選んでしまう。これが致命的な失敗だった。

年末に母が戻ってくる。しかし高1の冬にとうとうここまで来てしまったのかというような精神的異変を感じた。『車輪の下』を読んで衝撃を受ける。自分と主人公を重ね合わせては落ちこぼれるのではないかと不安で不安でたまらなかった。高1の終わり頃からカウンセリングに通い出す。

精神状態が芳しくないまま高2へ進学。小学生からの親友Bが退学してしまい、置いてけぼりにされた気になりますます精神を病む。理系の授業が難しくてついていけない。それまでそれなりに優秀な方だったがゆえにプライドをへし折られる。

Aとクラスが再び同じになったこともあり、徐々に関係を修復。しかし精神状態は回復するどころか悪化。一方読書の楽しさを知り、『罪と罰』を読んで感銘を受けドストエフスキーに興味を持つ。他にもいろいろな本を読んでいた。月1回、カウンセリングで過去の話や文学の話をする。文学部に行きたい欲が高まる。

勉強する気が起こらないどころか何もする気が起こらなくなり、夏休みはずっと寝てばかりいた。寝ても寝ても眠い日々が続き勉強は捗らず。自暴自棄になり自殺願望も芽生える。「学校辞めたい」が口癖に。親から口酸っぱく勉強しろと言われるもなかなか勉強できず。過食気味になる。

夏休みが明けてからたびたび欠席するようになる。理系科目はテストで赤点さえとらなければいいやと投げやりに。数学が伸び悩んでいたが塾の選抜クラスの試験に通り、T大に一歩近づけたと喜ぶ。

年が明け3学期、いよいよおかしくなる。毎週月曜は科目的にサボろうとしていたのがだんだん本当に通えなくなってしまい、ほかの曜日も遅刻したり欠席したりするように。自分の実力でT大に受かるのかと不安になるも、なんだかんだT大以外には行きたくないという結論に至る。

遅刻しすぎ&休みすぎでかなり危なかったが、コロナが流行り出したおかげで何とか出席要件は満たせた。完全に捨てようとしていた期末試験もなくなり命拾い。休校になったのと久々にBと再会できたおかげで精神状態が多少回復し、再びちゃんと勉強と向き合うように。特に数学を頑張ったおかげで塾の定期テストで初めて平均点を超え感激。このままいけばT大現役合格も夢じゃない?! と心を躍らせる。

ほとんど勉強をしなかった(できなかった)受験生時代

しかし4月になりオンライン授業という形には変わったものの、学校が再開したことにより精神状態が悪化。勉強しなくなり、頭がうまく働かなくなる。文字を追っても理解できない状態になり、大好きだった本も読めなくなる。高2終わり頃からの投げやりな態度が尾を引き提出遅れ・未提出は当たり前。先生からも家族からも心配される。

塾の勉強ばかりして学校の勉強はほぼしておらず、塾の勉強もあまり捗らなかった。模試の結果からT大にとても受かりそうにないと現実を突きつけられ、しかしやはりT大以外には行きたくないと板挟み状態に。自暴自棄になりますます勉強しなくなる。高2の夏休みのように寝てばかりいた。

6月に対面授業が再開するが、初日から休む。朝起きられず遅刻欠席してばかり。もう高校を辞めて大検を受けようかと言っていたが、親に鼻で笑われ拒否される。

「夏を制する者は受験を制す」という格言とは真逆に、夏休みは寝てばかりいた。塾だけはちゃんと通っていたがまったく勉強しない日もあったし、1日10時間くらい寝ていたと思う。受験を諦めて就職でもするべきなのかと本気で迷う。精神科に通うも特に回復の兆しは見られず。

2学期に入ってもまったく勉強する気が起こらず、高校でも相変わらず遅刻欠席を繰り返していた。楽しかったことも楽しくなくなり、毎日死にたい死にたいばかり言っていた。自傷はする勇気がなかったのでしていなかった。やはりひたすら寝ていた。

いよいよ卒業が危ぶまれる段階になってしまい、辛さを感じながらもなんとか高校に通い出す。11月は1日だけ遅刻してしまったがあとは全部無遅刻無欠席という快挙を成し遂げる。そのまま2学期末まで皆勤賞。放課後や週末に塾の自習室で勉強する回数も増える。しかしこれでもほかの受験生とは比べ物にならないほど勉強していなかった。

模試の結果は相変わらずよろしくなく、11月のOPの結果を見て悔やみながらもT大受験を諦める。そもそもT大志望とほざいていたくせに地理対策を始めたのが高3の夏という……。国立志望だけは譲れなかったため、代わりに某国立大学を志望校に変更。実は夏の時点で既に数学の教師にはその大学を受けると言っていたのは内緒。

共通テストを目前に控え、流石に勉強に本腰を入れるようになる(始めるのが遅すぎる)。それでも勉強量も勉強時間も圧倒的に少ない方だった。

1か月で終わらせる世界史の問題集を1週間で終わらせるという偉業を成し遂げたおかげか、本番では奇跡的に9割取れた(模試ではいつも8割くらいで伸び悩んでいた)。ほかの科目も一部を除いて模試と比べ大幅に得点に成功。ちなみにリーディングは模試でも取ったことがなかった満点だった、とイキっておく。

志望者としてはかなり点数は悪い方ではあったものの、大胆にも出願する。親からも塾のチューターさんからもさんざん学部を変えたらと助言を受けたが初志貫徹(志望校変えている時点でそうとは言えないか)、もともと志望していた学部のまま出願。しかし振り返ってみればこの選択で正しかった。ちなみに二外はロシア語。これも家族に猛反対されたが……。

私大を何か所か受け、滑り止めが受かったので晴れて大学生になれることは確定した。ちなみに私大対策はほとんどしていないという舐めプ。

2月25・26日にいよいよ本番を迎える。一日目に大コケし、配点的に学部変更していたら間違いなく落ちていたので命拾い。自分の直感を信じてよかったと心から安堵した。受かっているのは半々かなという感触で私の受験生活は一段落着く。

落ちていたら私大に通うつもりだったので後期は受けず、受験から解放された。といっても私はまったくといっていいほど(特に自宅では)勉強していなかったわけだが……。

合格発表の日、PCで自分の受験番号と合格者の番号一覧を見比べる。どうせないだろう、いやもしかしたら……と動悸を抑えながら夢中で見ていく。そして……

「あった!」

後で隣にいた父からは「発狂してた」と評されるほどの甲高い声で、私は嬉しい悲鳴を上げた。無事国立大に進学できる。嬉しいのと同時に、心の奥底で周りの同級生を見下していた性格の悪い私は心からホッとしていた。

ちなみに高校がどうしても嫌だったので卒業式練習は一回も出ず、卒業式本番も遅刻していくという社不っぷり。

晴れて一応志望校に通えることになったり、色々な人と遊びに行ったり懐かしい人と再会して多少は精神がよくなるかと思いきや、それほど良くはならず。むしろ「あともう1年頑張ってT大を受けようか……」とかなり本気で迷うこともあった。大学初日もこんな大学に通うかーと休んでしまった。とはいうもののもう受験はしたくなかったのと参考書を処分されてしまったので仮面浪人は叶わぬ夢となったのであった。

そして、今

某国立大学に通っているが、相変わらず精神状態はよろしくない。高校の頃はほとんどしていなかったのに首を絞めたりODをしたりしてしまった。毎日希死念慮に襲われて本当に死のうとするも、結局は踏みとどまってしまう。「死にたい」が口癖の割に自殺する勇気がない弱虫なのである。

一つ考えられる原因は、大学での勉強があまり楽しくないということだ。大学に対する期待が大きすぎたのと、やはり志望学部を変えてしまったためいまひとつ自分の興味と授業内容が噛み合わないのが辛い。だがロシア語が楽しいのでロシア語だけは頑張ろうと思う。

本当は死にたいわけではなく何かしら希望を抱いているのかもしれない。だが大学を無事卒業できるか不安なまま、サークルにも入らず残念な大学生をしている。明日もチー牛を食べに行く。でも友達ができて高校より圧倒的に自由度が高くなったのは救い。

こんなクッソ寒い自分語りを最後まで読んでくださった方が一人でもいらっしゃれば、感謝の意を抱くと同時に、稚拙な駄文を読み貴重な時間を奪うことになってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいである。

またこの文を読んで「全然勉強してないくせに受かりやがって」「落ちた人がかわいそう」と不快な気持ちにさせてしまったのであれば、心の底からお詫び申し上げる。こちらとしては今まで辛酸を舐め尽くし、ようやく報われたと思っているのである。

この文を書き直したり書き加えたり、ここでは語り切れなかったエピソードをまた痛い自分語りで曝け出すかもしれない。いいよ読んでやるよという、カスピ海よりも広い心を持ち、バイカル湖のように深みのある人生経験があり、モレーン湖のような美しい方がいれば感謝感激雨嵐である(なぜ湖に拘ったのかは自分でもわからない)。

それではまた。

追記 あ、自己紹介と書いておきながら趣味とか全く書いてない。まあ読んでいれば大体わかりますかね……? とりあえずお絵描き(今はあまり描けていない)と読書(今はあまり読めていない)と……あれ、今はできていないのに趣味名乗っていいのか。あと料理と音楽も好きなのと理系への憧れが捨てきれていないので博物館とか科学館に行くのも好き。また今度詳しく話すことにしよう。あと誤字脱字多いかと思われます。指摘していただけると助かります。すみません。

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