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古今東西、逆・順、脱臼(近藤康太郎『三行で撃つ〜〈善く、生きる〉ための文章塾〜』を読んで)
クックパッドのレシピ通りに進めれば、だいたいの味の料理が出来上がる。
しかし、それはあくまで「だいたい」であり、プロの料理人になることはできない。そもそもプロの料理人になろうと食事をつくっているわけではないのだが、「昨年よりも今年の方が、料理が上手くなっているよね」という実感に至らないのは何故だろう。もう天井を打っているのか。これ以上、上達に転じることはできないのか──。
同じことを、書くときにも感じる。どうやらクライアントは納得してくれている。再度発注してもらっているから、期待には応えているのだろう。
でも、本人(僕)は納得しているだろうか。毎日書いているnoteもそうだ。どこか予定調和で、それっぽい感じに仕上げているだけではないだろうか。そもそもお前はライターなのか。小説執筆の熱意はどこへ消えたのか。書きたいことを書けているのか。届けたい人に届けられているのか──。
*
たぶん、僕はモヤモヤを抱えていた。
そのモヤモヤに気付かないほど、日々の仕事に追われていた。あるいは意識的に目を背けていた。「おれはもっとやれる、まだ本気出していないだけだ」と思い込んで、クライアントにOKをもらえるレベルの文章を「納品」し続けていたように思う。基準が低い、それで良いのか。良いわけないだろう。
そのことを思い知ったのは、近藤康太郎さんの『三行で撃つ〜〈善く、生きる〉ための文章塾〜』を読んだからだ。「はじめに」から「おわりに」まで、ほとんど近藤さんは手厳しい。
読者は、あなたに興味がない。
読者にとって、あなたの書こうとするテーマは、どうでもいい。
知ってた。薄々感じていたよ。
でも僕は、それを世間のせいにしていた。だから「読みたいと思う人にさえ届けば良い」と思っていた。そうじゃない。僕は「読みたい」と思わせる努力を怠っていただけなのだ。
たとえば先ほど書いたように、秋の晴天を、「抜けるような青空」と書いたとします。最初にこの表現を使った人は、ずいぶん苦労したのでしょうね。どこにも雲一つない、突き抜けていそうな、まるで天蓋の底が抜けたような空。それを「抜けるような青空」と書くとは、なかなかな文章術だと思います。
しかしいったん書かれてしまうと、そしてその表現が“流行”していろんな人が書くようになると、もういけません。「抜けるように青い空」と書いた時点で、その人は、空を観察しなくなる。空なんか見ちゃいないんです。他人の目で空を見て、「こういうのを抜けるような青空と表現するんだろうな」と他人の頭で感じているだけなんです。
観察が苦手だ。
『ファスト&スロー』でいう、「システム1」で物事を処理しようとしている。脳に余計な負荷をかけたくない。寄り道したくない。だから、僕の有しているエピソードはいつも貧弱なのである。
*
そんな課題を炙り出す、近藤康太郎さんの言葉。
起承転結の「転」さえ書ければ、ライターは生き残れると断言します。
転とは、文字どおり、転がすことです。起で書き起こし、承でおおかたを説明した事象、この事象を、自分はどう見ているのかを書く。そのことで、読者を転がす。読者の常識を、覆す。読者が考えてもいなかった方向に、話をもっていく。拉致する。
あるいは、自分が転がることです。飛び抜けた語彙、破綻した文章、なんでもいいから、なにか芸を見せてくれ。転がってくれ。
文章でもいい。ものの見方でもいい。どちらかで、意表を突く。できればバック転が望ましいのですが、毎回そんなことはできないでしょう。であれば、でんぐり返しでもいい。文章か、ものの見方か、なにか見せてくれ。文章をそこまで読んでくれたお客さんに向けての、サービス精神です。
読者を転がすための「転」のパターンを、近藤さんは5種類紹介する。
古今に深める──AIには思いつけない領域
東西に広げる──全集を道具にする
逆張り──世論と逆というだけでは浅い
順張り──世論と同じは難しい
脱臼──ユーモアで背中を押す
でも、パターンはあくまでパターンだ。アウトプットの前にインプットがあり、インプットの前にはスタンスがある。
そのことを近藤さんは、1冊の書籍を通じて語りかけてくる。
その語りかけ、あるいはまじない(mojo)に、心を打ち抜かれてしまった。まいった。精進しなければ。焦ってもいけない、というか、焦るよりも前に、ただやるべきことを粛々とやり続ける必要があるのだ。
続けること。
続けることなら、僕はまあまあ得意じゃないか!(という希望がみえて、本書を読み終えた)
──
僕はこれまで、2022年に刊行された古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』が、文章術の“教科書”として唯一無二だと思っていました。
(そもそも同じジャンルの書籍を引き合いに出すのは野暮ですが)、本書もまた、作家やライターをプロフェッショナルに導くための書であることは間違いありません。『取材・執筆・推敲』で実践を進めている方にこそ、本書を手に取ってほしいと思います。
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