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コミュニケーションを、諦めていないか。(映画「ケイコ 目を澄ませて」を観て)

生まれつき聴覚障害で両耳が聞こえない、プロボクサーとしてリングに立ち続ける女性・ケイコの物語。ひょんなことから「リングに立ち続けてる」意味を問われ、ひとしきり苦悩を抱える。そんなある日、所属しているジムの閉鎖が決まってしまう──。

そんなヒューマンドラマの映画であり、主人公・ケイコを岸井ゆきのさんが好演したことで話題を集めている。

映画テキストサイト「osanai」でも、里沙さんに感想をしたためてもらっている。まずはこの素晴らしいテキストを読んでもらいたいところだけど、とりあえずこのnoteでは僕の感じたことを記してみたい。

──

コミュニケーションの映画である

僕が一番感じたのは、本作は「コミュニケーション」をテーマにした映画ではないか?ということだ。ケイコはだんだんと他者に心を開いていくのだが、それは「他者とコミュニケーションをとる」ことを決めたことから進んでいったのではないだろうか。

夜、ボクシングの試合の後で、川のそばでケイコが佇んでいるシーンがある。警察官に「何をしているのか?」と職務質問されたケイコだが、耳の聞こえない相手が何を言っているのか分からない。(コロナ禍で、警察官もマスクをしている)

必死で伝えようとしていたが、警察官のひとりが「もういいや」と同僚を促して、その場を離れている。耳の聞こえる人間が、耳の聞こえない人間に対してコミュニケーションを諦めた瞬間だった。

なんでコミュニケーションするのか

それはズバリ、楽しいからだ。

心を閉ざしていたケイコも、他人との関わりの中で、少しずつ会話を楽しめるようになっていった。相手の拙い手話や、ちょっとした会話のズレに、自然とケイコに笑みがこぼれていく。

人はひとりでは生きられない。

誰もがそう知っているはずだけど、改めてこの映画では、コミュニケーションが大事であるということを伝えているのではないか。

心を開いたり、格好悪い行動が、笑顔につながる

三浦友和さん演じるジムの会長と、ケイコが鏡の前でシャドーボクシングする場面がある。

会長はそこそこ歳を重ね、普段は身体を動かさず、事務室でゆったりと腰を下ろしている。若いときに比べれば、全然動きにも張りがない。

そんな会長が、悩みを抱えるケイコの横に立ち、シャドーボクシングを一緒に始めた。ジャブやアッパー、ウィービングなどを行なっている中で、なんと会長のジャケットの脇が破れてしまったのだ。「ああ〜、また怒られちゃうよ」なんて情けない声を会長が漏らすと、ケイコも笑いを堪えている。

トレーニングの先輩が、ボクシングに対して熱量を失ったケイコに対して、大人気ない仕草をとったこともあった。もちろん信頼関係ができていた中だからだけど、そういった「素」の感情を示すことによって、「ああ、あいつ怒ってるんだな」と気付くことができる。(そうすれば当然、何かしらフォローしようという気分になる)

心を開くのは、そんなに簡単なことじゃない。
格好悪いよりも、できれば格好つけて生きていきたい。

だけど、やっぱり自然に笑顔がこぼれる瞬間というのは、なーんにも考えていないときで。

ボクシングをやっていると「無」になる瞬間があるというが、それこそ雑音まよいを排した状態で、相手と接するというのが、お互いにとって良い雰囲気を作れるということなのかもしれない。

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音楽がなく、淡々とクレジットと環境音が流れているだけのエンドロールにも唸ってしまった。非日常でなく、「日常を撮る」勇気。映画監督は誰しもこだわりを持っているものだが、本作の監督を務めた三宅唱さんのこだわりは相当のもの。それに加え「絶対に本作を良いものにするんだ」という覚悟も感じる作品でした。ぜひ、映画館でご覧ください。

(映画館で観ました)

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