アンコール・ワットという憧憬(映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」を観て)

現在公開中の映画「島守の塔」を監督した五十嵐匠さんの代表作のひとつ。奥山和由さんが松竹を退社してから手掛けた1作目、20代半ばの浅野忠信さんが主演している。(若い!)

浅野さんが演じるのは、カンボジア内戦を取材していた写真家・一ノ瀬泰造だ。「安全へのダイブ」という写真でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞するが、取材先のカンボジアで「処刑」されたといわれている。当時カンボジアで強い勢力を有していたクメール・ルージュが支配していたアンコール・ワット。そこでの写真を撮影したいと強く願っていたが、結果的に叶わなかったのだ。

やはり(というべきだろう)、多くの人にとって「戦場カメラマン」という職業はなかなか理解できないものだ。命の危険と隣り合わせであり、スクープを撮れれば名声を得られるが、その代償は計り知れない。

とりわけ「地雷を踏んだらサヨウナラ」で描かれているのは、フリーランスのカメラマンが報道機関に「搾取」されている様子だった。命懸けで撮影した写真が10〜30ドルの価格でしか売れない。1970年代の10〜30ドルというのがどれくらいの価値なのかは分からないが、いつ鉄砲玉が直撃するか分からない状態で、カメラを戦地に向けることなど信じ難い話だ。

もちろん多少の誇張はあるだろう、だがカンボジアで多数のカメラマンが亡くなったのは事実なわけで。

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映画では、一ノ瀬が何のために写真を撮ろうとしているのかイマイチ釈然としなかった。お金のためか、名声のためか、それとも内戦のことを伝えたいというジャーナリズムのためか。

フリーランスという、安定しない立場だったからこその「不安」もあっただろうが、映画で描かれる一ノ瀬は常に明るいし、前向きだし、周囲をあたたかく激励する立場にある。

そんな彼が目指すアンコール・ワットは、最初は「お金」のために行こうという意思があったように思う。それがだんだんと変わっていき、カフカ『城』のような感じで、何かに取り憑かれるようにアンコール・ワットを目指すようになっていったように思う。釈然としないと前述したが、その釈然としない感覚を正直に描いたのが「地雷を踏んだらサヨウナラ」なのだと僕は解釈するに至った。

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2022年現在、素晴らしい映画作品がたくさんあるが、常に意味を描こうと一生懸命であるように思う。文脈を丁寧に作り込み、最終的に「こういう感じです」と観る者に提示する。

その粒度は映画監督次第であり、誤読というか、解釈をひとつに定めないようにするやり方もある。が、何かしらの解釈ができるような形で提示しているのは間違いないように思うのだ。

「地雷を踏んだらサヨウナラ」においては、おそらくスタッフが一ノ瀬の真相を「分からない」と決定づけたフシがある。「分からない」ものをそれっぽく「分かる」ようにトランスフォームするのでなく、「分からない」ままにしておく。

それを潔いと捉えるのか、作り手の怠慢と捉えるのか。

僕は前者だと感じたので、浅野忠信が自転車で駆けるエンドロールに希望のようなものを見出すことができた。

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一部日本での撮影もありますが、ほぼ海外ロケです。

考えてみればカンボジア内戦から20年ちょっと経ったタイミングの撮影なわけで。「内戦」の記憶が残る現地での撮影、そういった意味で「生々しい」演出のように感じました。

(Amazon Prime Videoレンタルで観ました)

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