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映画「君たちはどう生きるか」、1回目の感想

エンドロールが終わって、劇場が明るくなる。

とあるキャストの名前を口にしていた方が、3組ほどいたけれど、結局のところ“そういう”作品だったのではないかと思う。

作品の良いところを挙げようとすれば、いくらでも挙げられる。ただ僕の脳裏に浮かんだのは「手放しで称賛できる」というものではなかった。モヤモヤを抱えた部分を中心に、1回目の感想を記すことにする。

「引き継ぐ」というテーマだけれど

よく言われているのは、宮﨑駿が「映画」を次世代のクリエイターに引き渡すための作品だったということ。スピルバーグ「フェイブルマンズ」、村上春樹『街とその不確かな壁』にも、若い世代に向けてバトンを渡そうとするような場面が出てきた。82歳の宮﨑駿、76歳のスピルバーグ、74歳の村上春樹。それぞれが「晩年」の作品というわけではないが、人生の終盤(に差し掛かっている)というタイミングで、他の作品とは異なる道標を作ろうという意図は少なからずあったのではないだろうか

ただ、宮﨑に関しては、新海誠作品と通ずるような「疑問」を僕は感じてしまう。それは「若者に重荷を背負わそうとするな」ということである。これは宮﨑自身も自覚的だが、彼が作り続けた「秩序」はプラスの側面ばかりではない。良い作品を生み出そうとし過ぎて、ペリカン的なるものも生み出してしまった。ペリカンは今のところ宮﨑に絶対服従のつもりだが、宮﨑亡き後は分からない。だから宮﨑は、眞人が「大叔父の跡を継がない」という選択をさせたのだと思う。しかしそれは同時に、「君たちはどう生きるか」という更に重い問いを突きつけることでもあった。

・宮﨑の跡を引き継ぐか
・宮﨑の跡を引き継がず、秩序のない荒野を歩ませるか

という二択は、なかなかタフな選択肢ではないだろうか。

戦後78年が経とうとする2023年において、世の中は信じられないぐらい「秩序のない荒野」に成り下がっている(あえて「成り下がる」という言葉を使った)。その責任の有無を、宮﨑自身はどこまで感じているのだろうかと首を傾げざるを得なかった。(決して僕は、宮﨑だけに責任を背負わせたいと思っているわけではないのだが)

なぜ、「友達をつくります」が最後のメッセージだったのか

これは、シンプルによく分からなかった。

確かに現実の「外」で、眞人は青鷺やヒミ、キリコと協力しながら前に進んでいった。それは田舎で、ひとり弓矢を作っていたときは大きく違う。ひとりだとできることは限られるが、友達と一緒ならもっと遠くへ行くことができる。それが実感として喜びを伴ったのかもしれないけれど、「友達をつくります」という宣言につながるほどのものだっただろうか、作品を締めるための予定調和ではなかったかと(少なくとも1回目の時点では)感じた。

そして眞人は結局、戦争が終わった後に、東京に戻ることになった。親の都合かもしれないが、眞人は田舎で友達をつくることはできたのだろうか。僕は、彼は引き続き親に飼い慣らされ、そして孤独を抱えたままの少年のように見えた。「友達って、そう簡単につくれるもんじゃないよな」ということだろうか。それはそれで真理だが、ちょっと厳しいし、寂しい。

父、大叔父のキャラ設定

まあ、まず父親のキャラ設定は「最低」の一言に尽きるだろう。

前作「風立ちぬ」でも感じたが、宮﨑は一切、世の中の動きに迎合せず、ろくでもないキャラクターを作り出すことが本分のようだ。堀越二郎は、病状の妻が身近にいながらも煙草を吸い続けた。

そして父親は、病院で寝泊まりしていた妻を火災で亡くす。そして数年後、あろうことか「顔がそっくりな」妹を妻にすることになる。そこにモラルなんてものはひとつもない。しかも眞人は、後妻の存在を全く知らされずに田舎に引っ越してきたという設定だった。

なお眞人の家筋はとても裕福なようで、戦時中とは思えぬ豊かな暮らしをしていた。父親も住み込みで働く人たちに対してぞんざいな扱いはしていなかったが、実際はただの傲慢なビジネスパーソンだった。「大事な息子をこんな目に遭わせられた」といって、学校に300円を納め、学校に通わせないような処置を施すという「暴挙」に出てしまう。(眞人は喧嘩で怪我をしたのは事実だが、頭から流血したのは自傷行為であった)

そういう意味では、大叔父も謎である。とにかく現実の「外」に魅せられて、その小さな世界の中で秩序を作ろうと躍起になる。だが、秩序は必ずしも大叔父の思う通りにはいかない。そのことに気付きながら、ギリギリのパズルを組み立てるしか術を持たなかった。そのくせ支配欲は拭えず「眞人は良い少年のようだね。帰さなければ、ヒミもお帰り」なんて言う。(ちょっと前まで、自分の役目を引き継がせようとしていたのに!!)

大叔父はともかく、父は最後までどんな役割として機能させようとしていたのか分からなかった。

ただひとつフォローをすると、眞人は父親に逆らうことはなかった。というより、序盤の眞人は、父親にそっくりだったともいえる。対話をしようとしない、自分の世界に閉じこもって、自分の見たいものだけ見ようとするということだ。

「夢」をきっかけに人が変わる?

フィクションとはいえ、眞人の身に起こった様々な現象は「夢」だともいえる。フィクションにおいて、夢はメタファーではあるのだけど、じゃあ、どんなメタファーなのだろうか。いまいち分からなかった。

ひとつは現実で読んだ『君たちはどう生きるか』の原著である。あれにポロポロと涙を流していた。

書籍や映画、アートなど、クリエイションの力が夢のメタファーだったのか。確かにそれなら合点がいく……。けれど、その答え合わせは、2回目の鑑賞を済ませてからにしようと思います。

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