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「糸井重里さんも、毎日書いているじゃないか。」から1年経った。

早いもので、Webサイト「ふつうごと」でエッセイを書き始めてから470日が経った。いちおう、毎日欠かさず駄文を記している。

しかしこの間、糸井重里さんも毎日「今日のダーリン」のコーナーを続けている。

もはや続けることが当たり前になっていて、「もしかしたら明日は更新を止めるのではないか」と思っている人など皆無だろう。糸井さんの功績は僕が語る必要もないけれど、僕が凄みに感じるのは、その「ほぼ間違いなく、疑いなく、明日も明後日も『今日のダーリン』を続けるはずだ」という信頼感に他ならない。

糸井さんは、「今日のダーリン」が通算何本書かれているか記すことはない。

「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」と添え書きがあるだけで、それが何を目的にしているものなのか全く説明しない。あくまで解釈は、読み手に委ねられている。

何か主張したって良いはずなのに。せめて「#今日のダーリン」とハッシュタグをつけても良いはずなのに。何もしない。

僕も書くのは普通になりつつあるけれど、それでも「書いている」という感覚は拭えていない。もっと日常として、営みとして「書く」を身近に感じたいのだが、その境地にはまだまだ至れない。

20年以上書き続けるとは、どんな心持ちなのだろう。

それは、たぶん、僕も20年書き続けなければ分からないだろう。雨の日も、風の日も。風邪の日でさえも。

「糸井重里さんも、毎日書いているじゃないか。」

僕なりの提起は、それなりに良い気付きのような直感はある。その仮説検証を粘り強く続けていくように、また明日から、駄文を記していく。

noteやふつうエッセイ、ぜひ引き続きご愛顧ください。

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