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簡単に、絶望なんてするな。(上野千鶴子、鈴木涼美『往復書簡 限界から始まる』を読んで)

とにかく圧倒された1冊だった。

上野千鶴子さんと鈴木涼美さんのマッチアップなら間違いない。発売当初から思っていたものの、触手を伸ばさなかった。ちょうど昨年夏は、創業当初でバタバタしていたからだ。

手に取る時期が遅すぎることに反省しつつ、いまだからこそ気付けたポイントもあったはず。でなければ、こんなに胸が抉られるわけがない。

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この本は「フェミニズム」について考える1冊としても価値がある。女性の視点から語られるジェンダー、自立、家族観など。男性にとって不足しがちな知識(というのが適切か定かではないが)、欠いていたら、もはや成熟した人間としての資質も疑われるだろう。

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しかし個人的には、この本はそういった「知識」を摂取するための用途に留まらない。

読み進めるごとに、人間観の差し替えを迫られるような、熾烈なやり取りが記録されている本である。

それは主に、年長者である上野さんのテキストによって。体裁上、そのテキストは鈴木さんに向けられているのだが、鈴木涼美という客体を通して、読者である僕にも向けられている。

僕は鈴木さんと同世代であり、立場は違えど「文章を書く」ことを生業にしている。実は出身大学も同じで、何度かキャンパスで鈴木さんを見掛けていた。(残念ながら面識はなかったけれど)

デビュー作『「AV女優」の社会学』をきっかけに、今に至るまで急速にメディア露出を増やした彼女。傍目からは成功している「強い女性」というイメージだ。

そんな鈴木さんに対して、上野さんから投げ掛けられる容赦ない問い。その問いが、よもや自分にも向けられている気がして、緊張感を持ちながらページをめくってしまうのだ。

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上野さんの言葉は、優しさと厳しさが同居している。

それぞれ12の書簡が交換されるわけだが、2通目まではお互いの会話が噛み合っていなかった。その違和感を、上野さんはズカズカと破っていった。

あなたは自分の書いたものが、「自分の尊厳ではなく、自分以外の女性を傷つけるために誰かに利用される」ことを懸念しています。また「私に向けられる刃物には耐えられても、私の文を武器にして他者に向けられる刃物にすり替えられることをいかにして回避できるのか」が悩みだと、書いています。迂回路をたどるのはおやめなさい。他人のことを心配する前に、あなたはあなた自身の「尊厳」を守るべきなのだし、あなたに「向けられる刃物」に耐える必要なんてないのです。(中略)
あなたの倍近く、長く生きてきたわたしは、上から目線と言われても、あえて言いましょう。ご自分の傷に向きあいなさい。痛いものは痛い、とおっしゃい。ひとの尊厳はそこから始まります。自分に正直であること、自分をごまかさないこと。その自分の経験や感覚を信じ尊重できない人間が、他人の経験や感覚を信じ尊重できるわけがないのです。

(上野千鶴子、鈴木涼美(2021)『往復書簡 限界から始まる』幻冬舎、P57〜58より引用、太字は私)

強烈な説諭だ。

表面的に読むと、年長者である上野さんが、鈴木さんを叱り飛ばしているように感じてしまうほどに。だが、1冊を読み通すと、上野さんの言葉がすべて繋がっていることに気付く。「現実」という世界の酸いも甘いも嚙み分けてきた、上野さんだからこそ紡ぐことのできる言葉であり、文体だ。

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結局のところ、上野さんが言いたいのは「簡単に絶望するな」ということかもしれない。

本書では、何度も鈴木さんが「なぜ男に絶望せずにいられるのか?」という問いを投げ掛ける。男性にとっては眉を顰める言葉だ。

だが鈴木さんは、元AV女優として、歓楽街で働いていた女性として、男性の暗部たる「欲望」をたくさん見てきている。

そして実際に、社会的にも、ジェンダーギャップの問題は改善されないままだ。

僕自身も「男って愚かな生き物だよね」と、妻に共感を求めたことがあった。安易に一般化すべきではないと軽く嗜められたのだが、僕なりに言い分もあったのだ。

僕は子どものときも、大人になってからも、男性の身勝手さや暴力性を目の当たりにしてきた。仲間だと思っていた友人に、理不尽な暴力を振るわれたことも一度や二度とではない。運動部では、例外なく指導者に暴力を行使された。それらは全て男性であり、中には社会的に尊敬されている人間もいた。

だから、鈴木さんの絶望をよく理解できるのだ。(もちろん僕も男性として、無自覚に誰かを傷つけてきたこともあっただろうけれど)

おそらく、上野さんは僕の言い訳を一笑に付す。

本書で、上野さんはこのように書く。

「しょせん男なんて」と言う気は、わたしにはありません。「男なんて」「女なんて」というのは、「人間なんて」と言うのと同じくらい、冒瀆的だからです。人間は卑劣で狡猾でもありますが、高邁で崇高でもあります。(中略)「ふーん、男ってほんっとにどうしようもないね」と思うことはしばしばですが、もちろんすべての男がそうなわけではありません。石牟礼道子さんの作品に出てくる男女を見ると、「人間って、けなげだなあ」とその必死さに打たれますし、中村哲さんのようなひとがいると思うだけで、粛然とした気持ちになれます。中村さんが「夜の街」に来ることはありそうにもないでしょうが、そういう尊敬できる男女には書物のなかで出会うことができます。
あなたは何度も「上野さんはなぜ男に絶望せずにいられるのか?」と訊ねてきましたね。ひとを信じることができると思えるのは、信じるに足ると思えるひとたちと出会うからです。そしてそういうひととの関係は、わたしのなかのもっとも無垢なもの、もっともよきものを引き出してくれます。ひとの善し悪しは関係によります。悪意は悪意を引き出しますし、善良さは善良さで報われます。権力は忖度と阿諛を生むでしょうし、無力は傲慢と横柄を呼び込むかもしれません。

(上野千鶴子、鈴木涼美(2021)『往復書簡 限界から始まる』幻冬舎、P260〜261より引用、太字は私)

鈴木さんの絶望を「簡単なもの」と言いたいわけではない。

それなりに長い年月を生きてきて、女性として、僕よりももっと狡猾な愚かさを目の当たりにしてきたはず。

それでも、まずは「私は傷ついたんだ」と認めることから始めろと上野さんは諭す。

そこで始めて、「絶望」という受動的態度から解放されることができるのだ。誰しも、内なる「限界」を把握しているはず。

本書のタイトルの通り、これは結論の本ではない。スタートを切るための、苦すぎる処方箋に溢れているのだ。

──

「やむなし」として長い引用をしてしまったけれど、それでも本書の一部を「切り取ってしまった」という感覚は消えない。

できれば、本を買い、全編を通して読んでみてほしい。ふたりのやり取りに没入すれば、表面的な印象など軽く覆ってしまうから。

読書好きで良かった。心からそう思える幸せを、噛み締めている。

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上野千鶴子、鈴木涼美『往復書簡 限界から始まる』の感想を、読書ラジオ「本屋になれなかった僕が」で配信しています。お時間あれば聴いてみてください。

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